松浦@軌跡を眺めて思うこと
どうも急遽ブログ書いてみてます。前パート長してましたサトチャンです。七大戦でブログは最後と思っていたのですが、心が動く出来事が七大戦以降もたくさんあったのと、みんなに最後伝えたいことがあったので、もう一度だけと思ってブログを書いてみました。後輩たち許してね。^_^
さてあのブログからもう5ヶ月経つ訳ですが、ここ最近のサトチャンと言えば3ヶ月ほど運動から離れてメキメキと激太りではなく激痩せしてしまいました。1番太っていた暗黒期が87kgだったのですが、今はなんと73-4kg。ヴーヴとかポンくんにそろそろ抜かされてしまいそうです。何が僕をそうさせたのでしょうか。
では、七大戦から振り返っていこうと思います。七大戦の結果といえば、会場を沸かせる跳躍こそ出来たものの全て赤旗でNMでした。やっぱりなんだかんだ悔しかったですね、それ以上の満足感こそありましたが、県選の結果を踏まえてあの時期は自分の競技力にある程度自信も持てつつあった時期だったので、CSまでやる!とは言っていたもののひどく燃え尽きてしまった記憶があります。続く8月は怒涛でした。静岡で練習こそしたものの、合同ゼミでの発表準備や最後の夏休みにやりたいこともあり、ここの穴が後々かなり響いたように思います。七大戦の熱量のまま8月9月を過ごせたらCSの結果も変わったのかもしれません。でも楽しかったからOKですし、この合同ゼミがあったからこそなんとかこうしてブログを書こうかなと思い立てる状況まで持って来れたのもあるので、後悔はしていません。
迎えた最後の大会九州CS。三段に関していえば正直惨敗でした。でもここでもそれ以上に得るものが多かったです。今までの未練をほとんど全て果たすことのできた大会でした。
僕の大学陸上を形成した要素は主に3つあります。1つ目は共に続けた、或いは続ける僕を応援してくれた高校の同期の存在です。彼らへの想いといえば七大戦ブログで書きましたね。実は僕がPBを出した県選では、同期が5000mで東海選手権進出を決め、後の東海選手権でも4位入賞を果たしました。この出来事が実はかなり大きくて、一瞬燃え尽きかけた自分の心にもう一度火を付けました。
そんな彼らと過ごした高校時代の未練として、「補欠ではなく正規のメンバーとして、出たい人たちと4継に出る」というものがありました。短距離の選手が少なかった高校時代、僕は正選手としては4継に出れないまま高校陸上を終えることになりました。そのことだけはずっと未練に思っていて、いつか機会があればと思っていました。迎えた4年目の九州CSでは、そんな思いを抱きながら各所にお願いしたところ、フィールドの3人はもちろんのこと、短距離パートも含めて快く了承してくれました。
44.00、もちろん九大の正規メンバーと比べたらかなりの差がついてしまう結果にこそなってしまいましたが、僕にとっては最高の時間でした。県選でのPBも併せて、高校時代の自分ができなかったことをできた、というのが、未練を清算できたような気がして嬉しかったです。
2つ目にはやはり学連でしょう。過去のブログにも書きましたが、自分の競技だけでなく生活も勉強も犠牲に実に半年を久留米の2大会に捧げました。最近その日々を振り返る時間が期せずしてあったのですが、残酷すぎるそれまでの期間だけでなく、残酷すぎる最期に誇張抜きで過呼吸になってしまう自分がいました。心拍数は120を余裕で超えていました。今だから書きますが、こうなるまで働いても結局学連と陸協の溝を埋め切ることはできず、大会が終わった日かその数日後に当時の幹事長に
「あんたの半年の努力、全部無駄になったね笑」
と言われました。自分でもそのこと自体はわかっていて、大会2日目にその現実を陸協の先生に突きつけられた時は先生の目の前で崩れ落ちて泣いてしまうくらいだったのですが、せめて頑張りを認めてくれていて欲しかった学連側でもこう言われてしまったのですから、その当時の僕のメンタルはズタボロでした。全部本当の話です。今これを書きながら改めて泣きそうです。笑
そんな思いをした久留米でも、たくさんの繋がりや経験、絆ができた僕にとっては大切な場所です。学連役員としての松浦くんの魂がきっとあそこで生まれました。だからこそ、学連役員としても久留米に恩返しをしたい、そんな気持ちで何か出来ることはないかと考えていた時、「学連マイル」の話が出ました。イカれてますよね、400mなんて丸1年ぶりでした。でも僕は、競技ではなく競技場中を駆け抜けた去年の日々をふと思い出し、「マイルで競技場を本気で一周して、競技場全体に感謝を伝えよう。」と思うのでした。
圧倒的ビリで繋がれたバトンで、ほぼ逆独走にこそなりましたが、今年の僕は1人じゃありませんでした。誰よりもいろんな思いをした久留米の競技場で、見覚えのある景色で、学連の仲間も部活のみんなも応援してくれました。極め付けはアナウンスですね。「学連チームも走っています!」鮮明に聞こえました。ラップタイムも記録も正直酷いものでしたが、途方もない達成感と思いを伝え切れたような気がして去年の苦しい思いも全てこの瞬間のためにあったのだと思えば、今までの自分が全て報われたような気がしました。
3つ目はもちろん三段に打ち込んだ自分、それを応援してくれた九大陸上部のみんな、そして手拍子で盛り上げてくれる全ての人たちです。七大戦ブログや3年の年末ブログでその辺の思いは沢山書いたつもりなので手短かにと思いますが、僕は目立つのがとても好きなのです。手拍子を求めるとみんなが僕に注目をする。その結果が良くとも悪くとも、最後まで注目をされる。だからこそ七大戦みたいな跳躍をするとさらに沸く。これが僕が三段を楽しめた一番の理由かもしれません。引退してわかりましたが、僕は体を動かすこと自体はそこまで好きじゃないんですよね。昔から基本的にインドアで、外でサッカーしたいという友達に難色を示してゲームをしていたり、外に出ても石やダンゴムシを集める遊びをしていたり、てんとう虫を眺めていたり、海で足をただ冷やしていたりといった感じでしたが、僕にはそれが幸せでした。でもそんな僕が三段を続けられた理由、それは大会にあったのです!......まさかそれだけじゃないです。普段にも一緒に頑張ってくれる人や応援してくれる人がいたから、練習も続けられました。
特に支えになった人を2人挙げるとすれば、全カレという目標を達成した相棒がまずその1人で、どうやら彼女も同じように思ってくれていたらしいです。彼女が言うには七大戦の跳躍の動画を観て、影響を受けて、夏季記録会では歯を食いしばることができたらしいです。その結果も受けて、僕ももう一度頑張ることができました。
そしてもう1人はポンくんですね。僕は普段かなりポンくんに辛辣に接しますが、彼が県選の速報サイトに齧り付いていてくれたこと、七大戦で13m板で跳び切った時に泣いていたこと、実は本当に嬉しかったのです。僕たちは性格も境遇もかなり違いますが、ここまでやって来れたのは近くでそうやって見てくれている人がいたからだと思います。2人にはとにかく感謝しています。相棒は多分今更面と向かってこういうことを言ったら「は?」って顔をするだろうし、ポンくんに言うのもニヤニヤしながら「そうかそうか笑」と言われそうでとても嫌なので、ここで昇華します。2人ともありがとう。
もちろん2人だけではありません。僕を応援してくれた、一緒に練習してくれた全ての人が僕の競技人生の支えでした。だからこそ、最後のCSでの試技はそんな全員への恩返しの気持ちを込めて跳ぶつもりでした。
人人人
>大誤算<
 ̄Y^Y^Y ̄
マイルでバネ使い果たしていたんですよね。笑もし関係ないとしても疲労がやばくて。跳べるかー!と突っ込みたくなるようなアップでした。でも気持ちって凄いですよね。いざピットに立ってみて、手拍子のシャワーを浴びたら跳べるような気がしてしまったのです。一本目が特にそうでした。
あぁ全員が観ている。
今年は何度も跳べた距離。
デバフかかっても跳べる距離。
そう思って跳んだら、やっぱり砂場には入っていました。ファールでしたが、それでも今まで入ることのできなかった久留米の砂場に入ることができたのが嬉しかったですね。
2本目3本目で決め切りたかったですが、正直もう残っていませんでした。ただ3本目は踏み切ったら入っていたと思います。でも一瞬下を見てしまったのが敗因でした。今思えばもう競技しないんだから体壊れてでも跳べよ笑って話ですが。
でも僕は幸せでした。記録はともかく、思い残すことなんて何もありません。記録という形での恩返しとはいきませんでしたが、最後まで楽しんで競技が出来たことで、今までの自分の頑張りにも、応援してくれたみんなにも、感謝を伝えられたような気がします。伝わってなかったらごめん。自己満足です。
というように、CSは今までの自分のすべての陸上競技を清算する大会でした。本当に引退。今までありがとうございました。
さて、そんな引退からもう3ヶ月が経ちました。先ほども書いたように一時期は87kgあった、引退時79kgくらいだった体重も今や74kg。陸上との距離が離れるにつれて、(卒論の提出が近づくにつれて、)体からも色々なものが離れていっているようです。恐らく本格的にもう一度競技を、とはならないしなれないでしょう。でも今だからこそ、みんなの競技を楽しみに陸上に関わることができています。新人戦こそ行けませんでしたが、島原駅伝は特設サイト作りから全て楽しくすることができました。余談ですが実は駅伝のゴールテープは相棒と持っていたんですよ。相棒と一緒に学連と競技生活のゴールを迎えられた気がして嬉しかったです。
今回ブログを書きたいなと思ったのは、今の自分やCS、駅伝が終わった時の自分が見ているこの綺麗な景色をみんなにも見てほしいと思ったからです。
部活なんて正直、楽しいことばかりなはずがないんです。人と人がぶつかり合う場所だと思いますし、過去の自分と今の自分さえぶつかり合う場所だとも思います。そんな葛藤や悩みから、部活を離れていた時期もありました。でも僕は今こうしてOB面して堂々とブログを書いています。これは僕がなるべく衝突を避けたパート運営をしていたというのもあるのですが、別にそれが1番いい方法だとは思っていません。「もし衝突があったら自分はパンクしてしまうな」と思ったからそうしたというだけです。
今のフィールドパートを遠くから見ていると、去年よりも多い練習量やパート内での盛んなミーティングなど、全員が強くなろうという意識の下練習が出来ているのだと感じます。その中で不和や衝突もきっとあることでしょう。でもね、僕はそれも含めてパートを大切にしてほしいです。沢山悩み抜いて、沢山走り抜いて、迎える最後四年の引退試合。色々あったとしてもパートのみんなが最後の結果を祝うような、そんなパートであってほしい。そうなるためにはきっとそれまでの過程が必要です。今この時を大切に、そしてゴールから最高の軌跡を見られるように、日々の練習にこれからも打ち込んでいってほしいと心から思っています。少なくとも再来年までは恐らく学連主催の主要大会と七大戦くらいは観に行く予定なので、その過程をたまにでいいので見せてください。^_^
前パート長からの最後のお願いです。^_^
とまぁ、ここまでで書きたいことはほとんど書けたので、今までのブログを思えばかなり短いですがそろそろ締めますね。
迎える2025年。僕にとっては今まであったものとの別れと新たな場所(地元ですが)、新たな人や物との出会いの年です。きっとみんなも、新シーズンを楽しみにしながら冬季練習をしていることでしょう!
今年上手くいかなかった人も、上手くいった人も、更なる飛躍の年にしたいですね!もちろん僕も頑張ります!それでは、良いお年を!
次誰か知らないけど!!
0コメント