田中@ドパガキまっしぐら

ついこの前餃子の王将の初出勤をみんなで祝ったのにもう辞めたいと言っているかいりくんからバトンをもらいました田中陸翔です。退勤日決まったら教えてね、またみんなで食べに行くからファンサービス忘れないでね。僕がいつも眠そうにしているのは大学に入学してから怠惰すぎる生活をしているからかな。授業が終わり家に帰るとすぐにベッドの上でインスタ、TikTok、YouTube、ポケモンゲームの毎日で、気が付いたら日付をまたいでいます。そのせいで、僕の今の世間の情報を得る方法はTikTokとYouTube shortのニュースしかありません。こんな生活をしてしまっているのも受験期にそのすべてを制限していたせいでしょう。ほとんどの授業で爆睡するようになってきたので、そろそろ規則正しい生活に戻したいですね。最近は、拓道さんからこのポケモンちょうだいとねだられることがあり、たくさんポケモンをしていたおかげでその要望にすぐに応えることができました。拓道さんもzaしてください。僕もチャンピョンズこれからちゃんと始めます。

余談はこのくらいにして自己紹介をしようと思います。僕は人口最小県の鳥取県から来ました田中陸翔です。専門種目は三段跳です。福岡ではめったに鳥取の人には合わないだろうと思っていたのに、まさかのフィールドパートに僕のほかに3人も鳥取県民がいて毎週鳥取の人に会えてハッピーです。僕が陸上を始めたのは高校生になってからです。それまでは、小学校の時は少林寺拳法、中学校の時はサッカーをしていました。僕は鳥取県の中でも田舎な場所に住んでいて中学校の部活ではサッカーか野球か吹奏楽しか選択肢がありませんでした。なので、仕方なくサッカー部に入りました。当時は、部員の人数がギリギリの弱小校で、体調不良が出れば9人対11人で試合をしたこともあり、いつの間にか負けるのが当たり前になっていました。しかし、中三の最後の総体では、なんとそんな弱小校ながら一勝を取ることができました。ブラジル戦の日本のように前半で先制点を取り、そのあとは相手チームの猛攻を必死に凌いで後半戦の最後まで耐えました。(ブラジル戦もそうであってほしかった。まじで負けたの悲しい。)最後の笛が鳴ったときは本当に嬉しかった。今思うと何かを達成するときの快感が好きになったのはこの時からだと思う。

そのあとはなんやかんやあって高校に進学し、世界陸上やオリンピックを見て少し興味があった陸上部に入りました。1年生の時の総体でたまたま走り幅跳びの枠が空いていて、当時、走り幅跳びに興味があったので出ることにしました。そしたら、なぜか顧問の先生に三段跳にもエントリーされていて三段跳にも出ることになっていました。陸上を始めてまだ1カ月くらいしか経っていないのに三段跳なんか跳べるはずもなく、しっかりNMで初戦を終えました。それから、高校では走り幅跳びと三段跳を専門にするようになりました。三段跳でなんとか砂場に入りたいと思い練習を頑張り、2年の初戦でやっと11m板に入ることができました。そうやって、結果によって成長が分かりやすい陸上にどんどんはまっていきました。僕の同級生はほとんどが小学校から陸上を始めていて県で上位の人ばかりで陸上に対する意識がとても高かったです。そんな彼らに影響を受けて、僕も意識高く陸上をすることができていました。その後もいろいろ試行錯誤を重ねて高校のうちはどんどんPBを更新していましたが、もう少しで目標だった13mに届きそうというところで高校最後の大会が終わって引退しました。それから大学受験を乗り越えて九州大学に合格すると、高校生の時は大学では続けるつもりがなかったのに、目標を達成できなかった心残りからかいつの間にか陸上部の説明会に足を運んで、入部することを決めていました。しかし、大学で陸上を再開しすぐは受験期での+8キロのせいか、思うように体が動かなくてちょっとショックでした。しかも、今は少しずつ体重が減ってきて、+8キロのうちすでに5キロ近くの減量に成功しています。大学4年で陸上をやめたとしてもまだ陸上人生の半分しか経っていないから、成長の余地はいくらでもあるし、三段跳の同期にはブログでものすっごい一面を見せてくれた佐藤君もいるので、切磋琢磨してどんどんPBを更新していきたいです。

次は共創学部3位のフィールドパート1年随一の学力を持つ徳丸大地くんです。

九州大学陸上競技部フィールドパート's Ownd

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