山﨑@Point Getter

初めましての方は初めまして、そうでない方はごきげんよう。うネキから指名いただきました、投擲パート長(?)、兼談笑パート長の山﨑充眞(4)です。

 みんなのブログ、楽しく読ませてもらってます。なんかいっぱい悪口言われてた気するけど。毎年七大戦ブログを読むと興奮して「はやく試合しよう!」となりますね。

 さて、7月は激動の月でした(魅せる激動 1桁で脳内革命~)、お祈りメールから始まり、豪雨の中の夏イン、何もわからない韓国語Ⅲのテスト、航空大学校1次試験、UNISON SQUARE GARDEN現体制最後のライブ、壮行会等、、、明日はゼミで卒論の中間発表、木曜は韓国語Ⅲの再試、金曜の10:30からは再々履の経営学Ⅰ期末テスト、13:00からは農業政策の期末テスト、16:00から七大戦で、七大戦が終わればテスト×6、、、一体僕が何をしたっていうんでしょうか!?(全部俺のせい。) とりあえずテスト勉強頑張ります。

 まぁ冗談はさておき(冗談では済まない)、引退ブログなるものを書いていきます。最後の機会ということで長くはなりますがよろしくお願いします。懐古厨なので過去の自分の話ばかりです。まぁ最後だから許してくれ。

 初めてトラックを走ったのは確か小学4年生の時の市民体育大会だったと思います。100mに出て2位でした。記録は覚えてないんですけど、このブログを読んだ特定厨の東筑組がみつけてくれることでしょう。あ、ちなみに参加者は3人でした。とはいえ、学校外の何かで賞状をもらうのは初めてで、嬉しかった記憶があります。(補足ですが、当時の山﨑少年は(今もですが)「称号」や「肩書」、「王冠」を欲しがります)その後も毎年市体で何かしらの種目に出てました。練習も1週間くらいしかしてないし、ユニフォームじゃなくて体操服だし、スパイクも学校のものでした。今一生懸命記憶をたどって思い出した程度なので、特に書くことはありませんね。あ、このころは今よりヴーヴ感がありました。

 中学ではバドミントンに所属していましたが、いかんせん田舎の少人数の学校(部活動の選択肢が吹奏楽かバドミントンの2択)だったため陸上の地区大会とか県の駅伝には出ていました。というか出ざるを得ませんでした。100、400、幅?あたりに出たような気がします。中学はあまりヴーヴ感はなく、今となっては誰も信じてくれませんが、中3時のシャトルランは126回でした。ちなみに126回で限界がきてやめたのではなく、125回を超えて10点だからもういいやということでやめました。やろうと思えばまだまだいけました(イキリ)(ここまで一息)。誰も信じてくれないので、もしこのブログを読んでいる中学の友人がいらっしゃいましたら証言してください。本職のバドミントンでは2年時の県の団体戦で、僕のダブルスが負けたことで、北信越を逃し、3年生は引退します。これ以上に悔しかったことはないです。負けて泣いたのは人生でここだけです。その後も市のダブルスでは優勝という称号を得ましたが、中体連の試合は目立った成績はなく、結局「北信越」という肩書も得ることができず引退しました。中2か中3かは忘れましたが、夏休みの駅伝練習に高岡高校にいった某先輩がきました。その先輩は高校で陸上部に入り、高校生活が楽しいことやや陸上部が最高の部活であることを話していました。そして山﨑少年は高岡高校の陸上部は楽しいということを知りました。

 山﨑少年は「田舎の神童」だったので、その先輩と同じく、御三家の高岡高校に進みました。部活動見学で山﨑少年が向かった先は、、、バドミントン部でした。入学して間もなく、まだ友達もいない陰キャな山﨑少年に、陸上部に見学に行く勇気はありませんでした。見学に行ったバド部でクラスが同じ奴が何人かいたためそのままバド部に入ります。さっき話した中2の時に敗北したペアと同期になり、その片割れとダブルスを組むことになります。これ今考えるとかなりエモい。一方勉強の方はというと、「ボクは高校でも学年1位をとるんだい!」と意気込んでいましたが、トップ層はとんでもなく頭がよく、勉強で天下を取ることは早々に諦めます。また、部活も試合でなかなか勝てず、確かシングルスでは公式戦0勝というひどいものでした。ここで山﨑少年は「このままでは高校で勉強も部活も何の‘’称号‘’も得られない!」と思いました。ここで高岡高校陸上部は楽しいということを思い出し、冬にバド部を退部した人たちが陸上部に流れるという状況もあり、心機一転、高2から陸上部に入ることにしました。

 陸上部では毎年総体前に全種目の展望が書かれた紙が配られるのですが、その円盤投げの欄に「一般人が地道にトレーニングで北信越に出場するには、最もいい種目。ただし、黙々と練習し続ける能力が必要でもある。ぜひ円盤をやろう」と書いてあるのを発見します。山﨑少年は中学で届かなかった「北信越」という称号に目がくらみ、この種目をすることを即決しました。しかし、記録会ではNMを連発し、2年生はほとんど公認記録がありませんでした。新人戦では、投擲ブロック5人のうち自分だけが北信越新人に行けないという結果に終わり、めちゃくちゃ悔しい思いをしました。その後冬季練習はおそらく今の自分からは想像つかないほど真面目に練習していたと思います。朝練したり、滑川まで講習会行ってたり、mizuniにDMしたり、話したことない先輩にDMしたり、EAAも飲んだり、結構頑張ってました。春にはより北信越出場の可能性を高めるためハンマー投げも始めました。その甲斐あってか高3の県総体では、どちらもPBを更新して初めてエイトに残り、円盤は8位、ハンマーは5位で北信越に進むことができました。ハンマーを教えてくれた県上位常連のキマ君が3ファーしたのは悲しかった。むさしが骨折って総体に出れなかったのも悲しかった。この年男子はフィールド優勝でした。これはほぼかっつーのおかげか。自身の記録には満足していましただが、みんながハッピーに終わることができなかったため歯がゆい気持ちが残ります。北信越では、1週間前にあった体育祭の棒倒しでけがをしたのと他県の大男に圧倒され、サラっと終わりました。とはいえ上位大会の熱気は初めてのもので、とても楽しかった記憶があります。入部当初の目標を達成し、高校陸上は悔いなく終わりました。高校の部活は先輩や同期、後輩、顧問、とにかく人に恵まれ、楽しかった記憶しかありません。具体的なエピソードはもう4年も前のことなのであまり覚えていませんが、土曜の城光寺練の後は、よく魂心家(かため・多め・濃いめ)、サーティーンワン、マックをはしごしていたこと、きんに君にはまっていたこと、サーキットアップがきつかったことは覚えています。サークルで僕とキマくんとゆらがわいわい喋っており、むさしがふらっと来ては意味わからんフォームでめっちゃ飛ばし、その隣で五嶋さんが黙々と練習していた光景をよく見た気がします。このころから談笑パートの片鱗が垣間見れますね。

 部活引退後は成績がV字回復したものの、結局第一志望に受からず、私立も貫通し、浪人する気でいました。しかしなぜかその年の九大経済後期は倍率が異常に低く、九大に拾ってもらえたため、「旧帝」の称号得れるならいっかーと九大に進学します。浪人するする詐欺してごめんなさい。春休みに部活に行ったとき、剣(新米顧問)に七大戦ってのがあることを教えてもらいました。旧帝の対校戦でみんな派手髪にするらしい。その時はあまり魅力を感じませんでしたが、まぁ旧帝でしかやれないことならやってみたいなーとか、七大戦に出れば高校の先輩である沖さん(東大)とかあぐさん(北大)とか越野さん(東大)おるんかーと頭の隅にはおいておきました。九大陸上部のHPも見てみますが、投擲選手はいないし、七大戦の順位は最下位だし、しゃばいなと思った記憶があります。

 大学ではとりあえず体育会のどこかに入ることは決めていて、体育総務の冊子をペラペラ見ていました。某スポーツサークルの新歓にも行ったのですが、バスケで女子がボールを持った時は動かないみたいなルールがあり、当時の僕は「なんじゃそりゃ、手加減すんな!!遊びじゃねえんだよ!」等と思い、サークルには向いてないのは確信に変わりました。いろいろな新歓アカウントを見ていると、グラウンドガイダンスというものがあり、すべての体育会をみれることを知ります。グラウンドガイダンスで陸上部のブースに行って思ったことは、小川さんはかっこいいということです。「高校でハンマーしてました」て言ったら「ハンマー投げる場所あったっけ??(メロい)」と当時の先輩方を困らせてしまいました。体験入部にも行きました。体験に行って思ったことは、あきこさんは美人だということです。あと、さとぼぉはゲイだと思った。冗談はさておき(あきこさんが美しいのはガチ)、ここが矢木、ひろかず、小野くん、うネキ、みちぃさんとのファーストコンタクトだったと思います。第一印象は、うーんあんま覚えてねえっすわ。練習終わりに当時の先輩たちと香香に行ったときにはひろかずが話を回していました。この時はまだ好青年だと思っていました。その後ほかの部活にも顔を出しましたが、航空部はいかにもって感じの人しかおらず断念、トライアスロンは5キロ泳げる未来が見えず断念、ラクロスとアメフトは陽キャすぎて断念、柔道部はBBQだけ参加して断念、ボートは練習場所が遠くて授業に行ける気がしなかった(今となっては関係ない)ため断念、、、ということで結局入部したのはヨット部でした(?????)。部の雰囲気に惹かれたのと、「七大戦9連覇」「全カレ入賞」という経歴に目がくらみました。これは九大でしかできない!とすっかりヨット部に魅了された僕は「大学はヨットに捧げて日本一になるぞお!」と意気込んでいました。ヨット部に入部した後、亭亭舎コンパに矢木と一緒にピザを食べに行きました。この時にたぶんあつまさと初めて会ったのですが、黒髪センター分けで、話を回していて、がんばってんなぁと思いました。もうヨット部入っちゃったんだけどな、と思いながら「俺も投擲や!よろしくな!」とか言った気がします。転機となったのはGWでした。「部活始まったら忙しいからGWいっぱい遊んどけよー」とヨットの人に言われたため、GWに東京に旅行に行きフェスにも行きました。これがまーた楽しすぎて、「ちょっと待ってくれ!大学生楽しすぎるナ」となってしまい部活に全てを捧げるの合ってないかも、と気付き、ヨット部退部を決意します。辞めたのは新入生顔合わせの前日でした。当時一緒にヨット部を辞めて、アメフトに行った子とはなぜか去年から一緒のゼミになりました。

 そんなこんなあって、陸上を続けることにしました。5月中旬に「七大戦の参加調査今週までやでー」みたいなことを、当時学部でクラスが一緒だったまさひろに言われて急いで陸上部にいきます。ポン吉くんに「入部します」と言って、グループLINEに入れてもらい、大学陸上がヌルッとスタートしました。5/21トレ室にいきます。ここで運命の出会いがあります。ニット帽に髭を生やした大男、そう梁梓桐先輩です。「嫌いのものは差別と〇人です!」「お、パラリンピック始まったぞ!」「あの陰キャよりもあいつが持ってるクレープの方が社会的価値あるよな?」「ええか?クリーンってのはチ〇ニーや!」等とんでもない発言の数々を生み出しており、これまでの人生で会ったことのない人種だったため(←「え?人種差別ですか!?これだから日本人は!!差別主義者め!」)、良くも悪くも多大な影響を受けました。おそらく今の4年生男子は多大な影響を受けています。僕とあつまさのジョークのスタイルはもちろん、矢木の〇尊〇卑、ひろかずがトリコの話ばかりするのも全部この先輩の影響です。この日から梁先輩と練習する日々が続きます。(梁式体幹はこの日以降一度もやっていない)あつまさはうっつーうんこまんで部活に来なくなりました。

 大学初戦は下関ナイター。車は梁くんとさとぼぉが運転してくれました。途中、さとぼぉがうんこ漏れそうだと言い出し、梁くんが窓全開でEDMを流しながら煽り運転を始めた時は、とんでもないところに入ってしまった、、と思いました。肝心の試合はというと、今年の夏インのような土砂降りで、ゴミみたいな記録でした。100のスタートを6回くらいやり直させられてしょっぴーが肉離れしたのを見て下関ナイターは二度と出ないと思いました。

 迎えた初の七大戦は東京でした。前日にはラーメン二郎目黒店に行ったり、初日には沖さんあぐさん越野さんさっちゃんと久しぶりに再会したりと試合が始まる前から楽しかったです。(今でこそ高校同期男子の中でさっちゃんと一番仲がいいのは自分だと豪語していますが、初めて会話したのはこの日だったと思います)1日目の三段跳びではP長ののがさんがPBを更新して、4位に順位を上げて入賞していたのが印象的でした。あれまじかっこよかったな。この年はハンマー投げ円盤投げやり投げに出場し全種目PB、ハンマー投げは6位で1点獲得しました。この年は「21世紀初」となる男子45点、総合50点越えで再開を脱出したのも印象的でした。入賞したことで何人かの先輩に話しかけられることもありうれしかった一方、競技中のテントで九大は一人だし、わざわざ投擲のところまで応援しに来てくれる人も今ほど多くなく、シュンとしたこともありました。極めつけは全体グルにあがった競技写真の中に1枚も自分の写真がなかったことですね。悲しかったです。この大会を通して、七大戦で活躍したい、来年以降はもっと点を稼いで目立ちたい、もっと強くなりたいと思うようになりました。

 といったものの夏休みは免許を取るために帰省したり、旅行に行ったりとで再び「大学生たのしすぎるだろ!」期間に突入します。あと1年生のシーズンで印象的なのはCSですね。CSと言ってもCS終わりに行った焼肉ですが。みちぃさんと今はなきみひろが「矢木くんって私たちの名前わかる?なんかあんま話さんし、仲良くなりたくないんかなー?って思って」と聞き矢木が「もちろん覚えてるよ、三井さんと、川崎さんでしょ。まぁでも僕そんなに人と仲良くなる気ないから(キッパリ)。」こいつやば、とドン引きした気がします。しかし、なんやかんやシーズンアウトしてからは矢木が丸くなったこともあり(←実際はどうかわからない)どんどん距離が縮まった気がします。特にOBOG会の2次会で。ここらへんからひろかずのキモさが露呈し始めます。深い自己開示を経たことで、春休みにはみんなで沖縄にフルマラソンを走りに行ったり、全体合宿に参加せず今は亡きイトリーイトで爆食したりするくらいの仲になりました。たぶん1年の秋まで部活終わりにご飯にいくとかはなかったような?何か覚えていることがある人はこの後のブログに書いてください。いつ頃だったかは忘れましたが、梁さんと矢木の陸上話をビッグボーイで3時間くらい聞いた会がありました。ここで陸上にかける熱量に圧倒され刺激を受けた気がします。ここら辺が梁パート?の始まり?か。冬季ではポン君と和知君のせいで僕たちの同期の一人が辞めるといった事態も発生しましたね泣。

 2年生になってからは絶不調で県戦、春イン2週連続で3ファーをします。ここらへんの記憶はあんまないです。春インの日にポン君が「やりの撮影はヴーヴが行くよ」となぜか全体LINEに送ったことで、ヴーヴという(汚)名が広まりました。(ヴーヴ呼びを始めたのはさとぼぉで、原付がヴーヴーと爆音でうるさいことが由来です。決して小太りで子豚みたいということが由来ではありません)また、授業では経済の専攻科目がはじまり、おもんなさ過ぎるのと学歴コンプを発症し、授業開始3日目にして不登校になりました。春イン終わったらさすがに行くわ!と言いながら結局40連休くらいしたんでしょうか。でもなぜか部活は毎回行ってたし、なんなら本来授業のある時間に矢木・あつまさと上のグラウンドで練習したり、梁さんとジムでウエイトしたりしていていました。このころは部活に行くたびに誰かが「今日は学校行けたん?」と聞き、自分が「ん、行けんかった。」と答え、爆笑というくだりをずっとしていた気がします。これが良くなかった。また陸上部に関するやらかしでいえば九大祭ですね。九大祭企画係に任命されたものの期限ギリギリに申し込んでしまい、20組のキャンセル待ち、結局枠が回ってこず、九大祭の出店の伝統はこの年を境に消えました。下手にアンケートなんかせず、企画案は二郎で提出しておくべきでした、反省しています。この場を借りて謝罪します。そんな感じで前期は部活に全ブッパしており、「ボクは単位取れなくても七大戦で結果残すんだい!」と意気込み、豊橋での七大戦は砲丸円盤ハンマーやりの4種目にエントリーしました。しかし、去年6位入賞で調子に乗っていたのか、はたまたケチって夜行バスで移動したせいか、はたまた前日に矢場とん当日朝にファミマの二郎をかちこんだせいか、はたまたにゃんにゃんでパラダイスできなかったせいか、原因は不明なのですが、ハンマーは3ファー、円盤は決勝に進出するも得点に届かず、やり砲丸は箸にも棒にも掛からず、0得点で終えてしまいます。さとぼぉとポン君の最後の跳躍は感動的だったそうですが、自分は競技に出っぱなしで最後の雄姿を見届けられませんでした。梁くんとは種目が全被りだったので見届けることができました。テントでアイスボックスをかちこんで他大の人と乾杯したり、円盤では圧倒的差で優勝したり、ユニフォームを破ったり、表彰台でツイ廃にしか伝わらないピグレットポーズをしたりとやりたい放題でした。ありゃすげえわ。この年の七大はあまりいい思い出がない一方で、決勝の選手紹介を初めてできたり、高校の投擲の後輩である五嶋さんが東北大にいったことで、東北大の人と少しばかり仲良くなったり、レセプションで他大の人とのつながりができたのはよかったです。七大打ち上げは台風で中止となり、しょっぴーの家で史上最悪な飲み会をしていた一方、さとぼぉ宅では青春が繰り広げられていたようですね。うらやましい。夏休みからは調子を取り戻し、ハンマーでベストを更新、地元の大会で久しぶりに表彰台に立てました。この年から京大合宿にも参加するようになりました。僕もあつまさも陰キャすぎて全然なじめませんでしたが、2時間並んだ池田屋は格別でした。(抹茶パフェの迎え舌はきもすぎるのでやめてください)この年のCSも結構印象に残っており、矢木が2年ぶりのベストタイを出し、号泣していたのをよく覚えています。泣くほど陸上に打ち込んでいることに感銘を受けましたが、思い出してみると七大前日もひつまぶし食べながら泣き出すし、島原駅伝の打ち上げでも駅伝に関係ないことを思い出して急に泣き出すし、こいつ涙もろいだけやんとなりました。最近は矢木のやっすい涙を見ていないので今年の七大でそろそろ見たいですね。2年生になってからはプライベートでも陸部の人といろいろやることが多かった気がします。富士山も登ったし、2年生主催の‘伝統’のBBQも始まったし、CS後の梁飲みは最悪で最高だったし、佐賀国体ドライブもしたし、別府旅行も行ったし、キャッツでオールしてそのままCTをしたこともあったし、体育会対抗綱引きで2位になったし、同期飲みもいっぱいしましたね。この年の冬季は前年の反省を生かし、ウエイトのプログラムを購入し、BIG3が100キロ伸び、身体的な土台が完成しました。

 3年生はシーズンインから調子がよく、県戦では6位になり北陸選手権出場権獲得。春インでは円盤ベストで決勝進出。フィールドの多くの選手がベストタイやベスト更新をしており、かなりアツかった。夏インではハンマーベスト、当初は3年以上が自分だけでシャバいかと思ったが行ってみたらガキの相手はかなり楽しかった。BIG3、500キロを達成できたのもデカかった。北海道の七大戦はちゅちちのPB更新、ラーおじのUB更新に始まり、和知君のPB更新+決勝進出、れんくんの10秒台と幅優勝等4年生の最後の姿がくそかっこよかった。ハンマー円盤やりに出場し、やりは久しぶりにベストを更新、ハンマーと円盤では計4点稼ぐことができました。七大の知り合いも増え、過去最高に楽しかったです。1個上の先輩たちの雄姿に刺激を受け、残り1年の陸上ライフを頑張ろうと思いました。その一方で夏以降の試合では思うように伸びず、新人戦のハンマーでは大学ワースト記録をたたき出します。また12月に出たパワーリフティングの大会では日本グランプリの標準に5キロ届かず萎えます。年明けにはさすがに卒業要件がまずいとなり、経験したことのない量のレポートとテストをこなし、半期で37単位取得しました。春休み最初の強化練習は集中講義のため出れず、長崎での春合宿は初日に発熱インフル感染で途中帰宅、といった感じで春休みに部活に行った記憶がほとんどありません。こんな感じで3年シーズンは後半からどんどんと部活のモチベが下がっていきます。山口夏合宿や2回目の京大合宿、宮崎旅行、リベンジ沖縄旅行、弾丸台湾旅行などは同期や後輩たちのおかげで楽しかったです。

 4年になってからは就活に卒論、航空大の受験勉強も重なり、引退まで駆け抜けたいという思いとは裏腹に、部活にかける熱量はさらに小さくなっていきました。そんな中、浅野が6ファーしたでおなじみの記録会では、ハンマー投げでセカンドベストを記録したことで、今シーズンまだ捨てたもんじゃないなと持ち直します。が、その後の県選、春イン、夏インは天候と体調に恵まれず、今シーズンはまだ納得のいく結果が出ていません。

 

 消極的な理由でヌルっと始まった大学陸上は、これといった大きな目標はなく、ゆるゆると続けてきました。対抗戦で入賞したり、西カレや全カレといった大きな舞台で活躍したりするチームメイトに憧れたこともありましたが、高校のころほど陸上に注ぐ熱量はありませんでした。七大戦は投擲の選手層が薄く、僕くらいの記録でも勝負してイキれるので、毎年この時期は陸上のモチベが高くなり、それ以降はモチベ低下といった繰り返しでした。フィールド同期はみんな高いところを見ていて、陸上にかける熱が高く、忙しくても年中練習している人達ばかりで、彼ら彼女らと比べて、自分は、、、と落ち込んだことも、、、うーん、、別にないな笑。のんびり陸上ライフという距離感が大学生の僕にはちょうどよかったのかもしれません。ほぼ横ばいですが毎シーズンわずかにPBを更新できましたし。記録も大したことはなく、九州の試合では共立福大鹿屋におびえ、地元の大会に出てもギリ決勝に残れるくらいで、情けないと落ち込んだこともありましたが、不思議と陸上辞めたいと思ったことはありませんでした。まぁ陸上に捧げる熱量が多くないってのはあると思いますが、大部分はフィールドパートのおかげです。先輩方から受け継がれてきた居心地のいい場所で、何かあってもとりあえず部活行くか―となってました。僕のカスエピソードトークをすればみんなが笑ってくれて楽しかったです。後輩たちはブログで「元気もらえました」と結構書いてくれましたが、元気をもらっていたのは僕の方です。こちらこそありがとうございました。部活に行けばみんなが真剣に練習していたので、不思議とやる気が湧いてきて練習できました。おそらく(特にこの1年は)部活の時間には見苦しい姿ばかりお見せしましたが、フィールドにいさせてくれてありがとうございました。多分ほかの体育会とかほかの大学だったら迫害されてました。後輩たちには、先輩としていい姿を見せられてはいなかったと思うけど、部活のモチベが下がったりして自己嫌悪に陥った際には「まぁあの先輩よりかはマシか」と思ってもらえれば幸いです。うネキが「後輩から好かれている」と書いてくれましたが、それは主将の矢木、女子主将のみちぃさん、副将のあつまさ、(P長のひろかず)等役職持ちの同期たちが先輩として嫌われ役を買ってくれていたからです。冬季には自分がガキ過ぎるとミライザカでみんなに説教されたこともありましたね。あの時は背筋がシャキッとしましたが、今はまたガキたちの悪ノリに乗ってしまっています。すみません。なんか謝ることがいっぱいある気がしてきたのでこの場を借りて何人かに謝罪したいと思います。

みちぃさん

「三井さんの全盛期は1,2年生」とかいってごめん。あのころ対校戦で一番結果を残していたのは三井さんだったという意味です。誤解です。1,2年生がまだみたことない三井さんの輝きを最後に七大戦で見せましょう。やるぞ。

矢木

去年の国スポ選考NMだった時に、ストーリーに「くそわろた」とか送ってごめん。俺のNMとは重みが違うのに茶化すようなことしてごめん。七大は「くそわろた」って言わないようにするし、言われない記録出してください。

あつまさ

忙しいぶってるとか言ってごめん。幹部の業務とか研究で本当に忙しいのに。全部獲ろう。

うネキ

黒いって言ってごめん。全然ひろかずの方が黒い。

ひろかず

ロリコンとか言って不穏な空気にしてごめん。1年のマネに藤井さんに似ている子がいるってニヤニヤしてたことはブログには書かないよう気を付ける。

たくみち

バイト終わり二郎行こうって誘ったのに、先に天元突破食べちゃって腹いっぱいだからやめようって言ってごめん。次は空腹で行きます。

あさの

体ヌルヌルって言ってごめん。アルコール消毒してるからきれいだよ。

大月

人数合わせとか言ってごめん。俺は飲み会するなら1番に誘うよ。

土井ちゃん

あつまさが「デ〇」って言ってごめん。代わりに謝ります。

まおちゃん

ヴーヴの称号引き継がせてあげるとか言ってごめん。まおちゃんはヴーヴじゃない。

とりあえず、謝罪はこのくらいにしときましょう。まだ謝られてないんだけど!?って人いたら水曜の部活の時にでも言ってください。えっせいが代わりに謝ります。

 このままうネキのようにみんなにメッセージでも書こうかと思いましたが、うネキほど人脈はないのでやめときます。あと普通に文字に残るのが恥ずかしいので。七大戦終わりの集合か打ち上げの時にでも直接伝えます。たぶん感極まっとる時か酔ってる時しか言えないので。ここでは学年ごとにまとめて軽くね。

1年生

自分がインキャすぎるのであまり関わることができませんでした。あと4か月くらいあれば仲良くなれた気がします。13人もいてそれでいてみんな仲がよさそうで見習うべき存在でした。今年の七大戦は福岡開催、OP種目なしで例年とは違い、応援だけの人も多いと思いますが、楽しみにしててください。俺たちの姿しっかり見とけや。

2年生

実力者ぞろいで今後の活躍が楽しみです。九大陸上部100代目にふさわしい世代。不仲説もありますが、何気に入部当初から誰も欠けていないのでこの先も何とかなるだろう。代交代後にはそれぞれ役職につき、クソガキではなくなってしまうのかなぁというさみしさも残ります。

3年生

4年生みんなが忙しくなってから部活後一緒にごはんにいくことが多くなった気がします。仲良くしてくれてありがとう。来年は同期やな!と調子乗ってるやつもいますが、あんま舐めんなよ?卒業できるよう今後もお手伝いよろしくお願いします。代交代後はおれやあつまさがいなくなってさみしくなるだろうけど頑張って。4年生が残した悪しき伝統を正してさらに良いパートになること期待してます。

4年生

まずは、4年間ありがとう。種目もバラバラ性格もバラバラでありながら、陸上の優先度はみんな高い方で、結構いいバランスで成り立っていたんじゃないでしょうか。まだまだ忙しいと思うので、夏休みか年末か年度末かどこかで、久しぶりにみんなでまたゆっくり飲みに行きましょう。その前に七大戦では大暴れしような。よき仲間でありながら、種目は違えどライバルだと思っているので、最後の七大戦、誰が1番みんなの記憶にのこる跳躍・投擲をできるか勝負や!

先輩方

たくさん可愛がってくれてありがとうございました。結果でお返しします。何人かは現地まで見に来てくれるようで嬉しいです。僕が出るハンマーと円盤は金曜の夕方から、平和台で開催なので場所と日時間違えないよう気を付けてください。僕は土日競技ないし、土曜はナイター開催なので金曜競技終わったら飲みに連れてってください!天神近いし。

高校陸上部のみんな

このブログを読んでいるかはわかりませんが、タカ陸に入ったことは人生のターニングポイントでした。みんなとの楽しい思い出がなければ今でも陸上をしているなんてことはなかったでしょう。本当に感謝しています。帰省した際にはまた飲みに行こう。今度こそえっちーごと。大学でも陸上を続けている人たちについては、たまに情報を耳にして元気もらってました。特に今年は三上くんの関カレ、きさきの主務就任やPB(けいたは!??)、さっちゃんのPBには勇気をもらいました。お互いラストシーズンだと思うので、それぞれの地で頑張りましょう。

 

 いよいよ今週末は最後の七大戦。今年は専門種目のハンマー投げと円盤投げに出場します。金曜開催、平和台開催はうーんと思いましたが、どんな形であれ公認記録が残る形で開催にこぎつけてくれた幹部の皆さんや学連の皆さんには感謝しています。平和台も地下鉄ですぐでテスト後に行きやすいし、なにより金曜は投擲のみの開催で応援を独り占めできるのがうれしいです。

 3年前、梁くんと自分の2人だけ(時々松本先輩or姉川先輩or躁あつまさ)で練習していたイースト練も、今となってはあつまさ、央介、あーはた(毎日いる)、颯さん(ほぼいない)、しょうじろう(最近いない)、川久保、徳丸と8人もいてずいぶん大きくなぁと思います。去年は初めて男女ともに対校枠を埋めることができ、今年はトライアルまで開催されるようになりました。東京で感じた寂しさはもうなく、心強さしかありません。僕が出場するハンマー円盤に関しては、九大全員決勝に進める実力があると思ってます。平和台を「朱」に、間違えた、「赤」に染めよう。

さて、僕はまだ大学陸上で何の称号も得られていません。最後に得たい称号は4つ。

1,「七大戦表彰台」

2,「九大十傑」

3,「毎シーズン自己ベスト更新」

4,「創部史上初の総合3位」

東京七大戦終わりに来年は乗れるだろうと思っていたハンマーの表彰台も未だに乗れていないし、すぐに名前を刻めると思っていた十傑にもまだ届いていないし、両種目とも今シーズンはまだベストを出せていない。これは自惚れているかもしれませんが、男子の総合順位には自分がキーマンになってくると思うので少しでも多くの点を持ち帰ってくるよ。そのためにハンマーは41m、円盤は35m投げる。3年前、すぐに達成できるだろうと思って立てたこの目標も4年になった今でも達成できていない。あの日、レセプション後に当時主将だった佐久間さんが、3年後は福岡開催ということを教えてくれました。そこからずっと待ちわびた舞台。大学でも陸上を続けようと思えた大会。陸上最後にこんなにもふさわしい場所はない。

正直、今年はあまり練習できていないし、テスト多くて試合どころじゃないし、上記4うち1つでも達成できれば万々歳だし、3ファーしたらそれはそれで俺らしい終わり方だとも思う。それでもみんなが言ってくれたように、俺には最後の最後にまくる力、土壇場で耐える力が誰よりもあるって思ってます。だから、起こるべき奇跡を信じて。

応援よろしくお願いします。最初にprize winnerになるのは俺だ。

七大戦まであと4日。

次は副将、高木淳匡。

九州大学陸上競技部フィールドパート's Ownd

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