矢木@Sのキセキ~やがて想い出とゆうなの花になる~
おはようみんな、九大陸上部の王、矢木聖一朗です。この王座も残すところあと3日となってしまいました。代替わりしたら梁さんの鳥肌が止まらなかったでおなじみ爽やかお兄さん担当に逆戻りかとおもうとなんかさみしいような楽しみなような気がします。
入りから本題に入ることに難しさを覚えたのが1年の七大ブログ、そこから年取れば慣れてくるかと思いつつげているうちにもう最後のブログになってしまいました。お酒やしいたけと同じように時間と回数をかければだんだんと慣れて、好きになっていくと思いましたが全然そんなことはなかったですね。やはり文を書く才能はないのだなと感じました。ただ、4年間続けた練習アカウントの振り返りとドSなゼミの先生と見たことないくらい分厚い本をそのままの厚さで説明してくれるゼミの方々ののおかげで文字数を稼ぐ能力だけが磨かれてしまい、ついには右脳さんのおばあさまや阪大の金光君が読み飛ばしてしまうほどの文量となりました。今回は集大成ということでとんでもなく長く書いてやろうと思っています。ちなみに執筆開始はR8年入ってすぐなので半年以上書き溜めていることになります。もう小分けにして出したほうがいい気はしますよね。ということでこれは皆さんが一番暇になるであろう七大戦初日の午前に落とします。少しずつ読んでくれると嬉しです。
参考までに各章を軽く説明しておくので気になる章から読んでくださいね
1章先輩たちの軌跡
僕が大学陸上に本気で向き合う事になった経緯や、僕なりに本気で九大陸上部、もっというとフィールドパートと向き合おうと決断した過程をできるだけ細かく書いています。特に新入生の皆さんは知らない人の名前だらけできっと混乱することでしょう。フィールドの先輩方はぜひこのパートを読んでくださるとうれしいです。俺のこと書かれてるかな?とかそわそわしながら読んでほしい。きっと書いてあるはずですから。
2章王の軌跡
自語りなのでとばしてもらって結構ですが、それなりに思いを込めて書いている部分です。もしも心が折れそうになった時にはこの章を読みに来てください。きっと力になると思います。
3章最後の奇跡
意気込みですね。それとともにつづれるだけの感謝をつづっています。おそらくここまでの皆やこれまでの先輩たちのように皆に平等に書いてあげられるわけではないです。その人とかかわってきた時間や思いがそのまま文量になっています。ちなみに俺のこと書いてあるかな?で書かれていなかった人の名前はここにあるかもしれないですので探してみてくださいな。
こんな感じで各章の紹介を終わりたいと思います。語彙力も、文章力も何一つ秀でた物はないブログではありますが、気持ちだけはこめて入力しているので読んでくれると嬉しいですね(^^)
1章先輩たちの軌跡
チャプター1:あこがれ
「14m46!!」
「うわぁーーー(歓声悲鳴などなど)」
先輩方、4年生のみんな、このシーン覚えてますか?本人は覚えているかもしれませんね。もちろんこれは我らが元々々フィールドパート長の川野賀・ブラック・大喜さんが七大戦にて記録した距離です。
圧倒的ベストでの入賞
パートを超えて皆が応援に来る団結力
そして参加しているのはたった7大学しか参加していないのにも関わらずピットの周りが人で覆いつくされる密集感(振り返ると競技場のキャパに問題があったような気がするが)
敵も味方も、専門とか専門じゃないとか関係なくぎりぎりの人数でやりあう対校戦(それはそれでもちろん楽しい)しか知らない、くそ田舎出身の目立ちたがり屋ハイジャンパーの僕にとっては、これだけで大学陸上を本気でやろうと思うには十分に足る動機でした。そして今も三段跳びのモチベがあるのもこの大会のアツさが原因です。足首と仲良くなれないので高跳び熱がある間は出ないと思いますが。
当時、ノガさんに対しては、さとぼぉとかいうやけに大人びた3年生や、レンタロウとの確執(笑)等があり、どうしても「ほんとにこの人はパートをまとめ上げてるんだろうか」と疑問に思っていましたが、七大での姿を見て、ものすごい速さの手のひら返しをかまし「パート長えぐい!!」とか言っていたのがなつかしいです。そして先輩とは頼れるものだ、かっこいい存在だ、そしていつかは僕もこうなれるように頑張りたいという動機から、実は1年生のころから何かしらでいいから皆をけん引できるような存在になりたいなと思うようになりました(まさかここまで重たい物をけん引するとは思ってなかったです)。こうゆうわけで、いつかを夢見て、また改めて本気で陸上をするかという気になり大学1年目の夏を迎え、骨折明け兼大学初戦を迎えます。この話は2章にて。
なんやかんやあり、無事にシーズンアウトをし、大学初の冬季練に入っていく事になります。振り返ってもこの冬季ほどきついことは人生で起きないんじゃないかなぁと思います。疲労ガン無視、協調性皆無の冬でした。どんな精神だったらあの時の練習を一人でできたんだろうと思いますよ今もなお。
そこで振り返ってみるともちろん先輩の姿があるんです。そうです、もちろん梁さんです。間違いなく僕の競技観、もっと言うと人生観に影響を与えた人のひとりです。この人がいたからあの時期を乗り越えられたんだと思います。種目的な(というより主に梁さんの特性なきもしますが)こともあり、僕たちの代で投擲パートが増えるまで(期間ごとの増減は無視する)ひとりでウエイト、食事、競技の勉強をこなして練習しておられました。まぁもちろん尊敬しますよね。ついでに自分自身に対する底なしの自信も持ってるんですもん。ついていきたくなるに決まってます。この部にはこうやって本気でやってる人が何人もいるんだ、僕も負けたくない。絶対この人たちとでっかい大会で大暴れしてやるというあこがれだけで1年目の冬季を一心不乱に積み上げました。
まぁ結果としては成功よりも断然失敗が多かったんですがね。良くも悪くも大1の時に抱いた感情や経験が今の九大陸上部としての僕の原点だと思います。ただ思い出としてはとてもいいんですが最適な冬季練だったかと言われるとそんなことはないので後輩たちには絶対にさせていないですしおすすめもしないです。経験したことがある人がいるのならその人から学べばいいだけですから。
チャプター2:つながる
「おれ、おれもう、さ、さとぼぉが、、さとぼぉがとぶだけで、、
あぁ、もう、だめだぁ」(震え声)
うん、今思い返してもとてもグッときますよね、健一さん(^^)
なぜか卒業して陸上部からいなくなったはずなのにみんなが知っているでおなじみ3年生(僕の中でサトチャン健一さん梁さんは3年生のままなんです)の数ある名(迷)シーンのなかで僕だけがその場にいて、そしてこの人たちが僕の2年目の4年生でよかったなと心の底から感じているシーンです。
このめいシーンの名ポイントは3年間対校として出場することのなかったササニシキ先輩がとうとう対校戦として7大戦に出ていること、加えて彼のベストは1304、この年の板はなぜか13板であるにもかかわらず練習から公式まで板は踏んじまいましたが全部余裕をもって砂場に入ってました。明らかな覚醒をしており、4年の7大戦がどんなものなのかノガさんに引き続き再認識させられました。やっぱり先輩はかっこいいです。
迷ポイントは先の健一さんの一言が公式練習1本目から出ていたということですね。さすがに早すぎるうえに意味が分からない。さとぼぉが13板に入る意味は九大のフィしか知らないわけで、本当にちょっぴり恥ずかしかったですね(まぁ僕も人のこと言えないような気はしてきてますが)ただ、やっぱりこの人たちは強い絆で結ばれてるんだろうなと感じます(多分ホモ同士だったのもある)
当時の7大ブログにも書きましたが、3年生がこのフィールドパートを一つにしたことは間違いないです。先輩たちは僕らをパズルのピースのように綺麗にハマるように動かすだとか、作り変えるだとかするんじゃなくて、そのままの形を受け入れて、繋ぎとめてくれました。まるで影アートみたいな感じです。そのままではいびつで、意味を成しているようには見えない。けれど光が当たればそこに一つの絵が作られる。そんな形で1年間まとめるというより繋ぎとめてくれました。僕のことだって気にかけてくれました。何気に恥骨の疲労骨折で絶望してた時、部活に行ったらさとちゃんが「チコチャン」呼びしていじってくれたのは本当に助かりました。今さらですがありがとうございます。
間違いなくフィールドパート最弱時代だったと思います(ひどい言い方でごめんなさい)。インカレ入賞者は梁さんのみ、7大ランキングでいえば梁さんの円盤を除き上位勢0(レンタロウはLusterいた)というどう考えても活気のない時代でした。でも、だからこそなのかもしれません、今でもこの時代はチームとして最強だったと思います。そりゃ引退したのに久留米までチャリで応援に来てくれたり、九大記録会で2回もゲロ吐いたり、真冬に部活に来てくれたり、なんなら北海道まで応援に来てくれたりするくらいですからね。多分ずっとつながり続けるんだろうなと思います。
フィールド同期4人というくくりでずっと生きてきて、おそらくこのまま4人でワイワイすることしかないのだろうなと思っていた僕が考えを改める(多くの人はこれを丸くなったという)きっかけになったのはやっぱりサトチャンたちのおかげです。こうやってつながった輪を消したくない、てかもっと広げたい。そして、僕らがこの人たちでよかったと思えたように、皆もいつか僕がいてよかったと思ってもらえるようになりたい。結局は自分のことかよって感じですが、支えて支えられて、いろんな人を巻き込んで、幸せを分かち合うことが何よりも大切なことなのかなぁって思った2回目の七大戦でした。そういえばと思い返して2年前の七大ブログを読むとやっぱりチームって言葉をすごく意識してました。
チャプター3:ひっぱる
不安。これがサトチャンたちの代から入れ替わって一番最初に抱いた感情です。僕らの1個上の先輩は良くも悪くも皆自由人で、福寺さんを含めると、僕の知る限りでは大1の4月以降全員揃うということが一度もなかったです。加えて和知パート長は大学から陸上を始めた方なので、経験的な面でどうしても心配なところが多かったです。今思うとそれとこれとは無関係に初代談笑パート長でもあったような気もします。
あっちゃんが今の四年生がそれぞれの役割をもってうんぬんかんぬんと言っていましたが、おそらくこの先輩たちに対する心配からこの役割意識が生まれたような気がします。少なくとも僕は、同期4人で仲良くやろうという考えはこの時すでに捨てました。嫌われたって良い、悪口だって陰口だって何だって受け入れてやる。だから絶対にこのフィールドパートを誰もが羨むパートにしてやる。約2年近く被ることになるヤギセイイチロウ(独裁フォルム)が完成されました。
どうやったら皆の記録を出せるか、
どうやったら冬季にパートの絆を深められるか、
そしてどうやったら7大戦で一矢報いることができるか
サトチャン時代を受け継ぎ、より良くしていくためにずっとこの3つのことだけを考えて来ました。もうさすがにオフレコだろうということでそれに対する僕なりのアンサーを書いておきます。それは夏目廉太郎と僕を覚醒させることです。
当時のランキング上で得点(表彰台)争いに食い込めるのが僕とレンタロウであったため、練習メニューの傾向は二人を伸ばすために練習になるわけですが、当時レンタロウと僕は明らかに走る能力と専門練習を満足に行うだけの体力がなかったためとんでもないボリュームの冬季練になりました。そこにプラスで2人そろってBIG3を本格的に取り組み圧倒的な土台を作りました。
また、ある程度の記録までは強固な土台の完成で行けるだろうと考え皆の記録は自然についてくるはずだと考えました。
そして大舞台の覚醒には仲間とつながっているという実感が不可欠です。そこでフィールド〇〇を結構増やしました。フィールド旅行、フィールド新年会、フィールド合宿(よく考えたらこのどれにも和知さん以外の4年生いなくて草)はそのために行いました。些細かもしれないですが、パートのみんなと非日常を過ごすことで新たなつながりができれば良いなと思っての行動でした。
これがバチハマりして、昨年の7大ではあさイチに行われるOP幅にあり得ない人数のフィールドが集まり、場違いな盛り上がりを見せました。また対校ではレンタロウが見事優勝、ついでに4継も入賞、僕が3位、ついでに鵜木さんも3位入賞を果たすという完璧なフィナーレを終えることができました。
これだけだと僕がすごい頑張ったみたいな感じですが、そんなことはありません。やっぱりこれは和知前パート長の存在がとても大きかったです。僕ら4年生が自分たちの役割を強く自覚できたのも、今の3年生が和知さんみたいなのも全部みんな和知さんのことが好きだったからです。わからないから必死で勉強して実践するひたむきさ、みんなのちょっとした悪乗りも拾い上げる視野、そしていつも始まりと終わりはちゃんと皆を集める丁寧さ、最高学年がひとりの瞬間が多いからこそ自分だけはと必死に努力する様を見逃すことなんてできません。だから皆で手を取り合ってつながったパートになったんだと思います。サトチャンの代が影絵のようなチームなら、和知さんの代はスイミーだと思います。和知さんの意思を皆でくみ取って、完全ではなくとも皆で達成できるように補い合って、大きな形を形成し続ける。つながるパートではなくてひっつくパートでした。そしてこの流れを引き継いで森パート時代が始まっていくというわけです。
後ろからついていくだけだった(とも限らないかもしれない)大1、引き留めてもらった大2、繋ぎとめる役になろうとした大3。多くを学んだこのフィールドパートで、最後にどう向き合えばいいのか。そう考えた僕がえらんだみちは果てしないいばらの道となるわけですがこれは第2章のお話。
振り返ってみると、先輩という存在はいつの、どの発達段階においても僕という人間を作るうえで欠かせない存在です。多くの人からまっとうに評価されていなくとも、本人が自分自身のことを認めていなくとも、僕の先輩であるという事実は不変ですし、先輩たちの思いはどんなものであれ受け継ぎ、後世につないでいくものであると確信しています。だからこうやってブログにつづっているのだと思います。
先輩たちはいろんな形で色々なことを教えてくれます。背中で語るときもあれば、まっすぐ見せてくれたり、ときには反面教師みたいな形で。ある人は僕に大学陸上の華やかさを、またある人はひたむきさを、独立を、緩さを、強さをたくさん見せてくれました。また、脆さや仲間の大切さ、孤独のつらさ、焦り、たーくさん予習させてくれました。活かすタイミングはこれまでたくさんありましたし、これからもたくさんあるでしょう。こんなことしたいな、こんな先輩になりたいな。なんて思って気づいたら時間が過ぎていたことも数えきれないほどあります。
でも、先輩たちの教えには必ず共通点があることに気づきました。それはどの学びも妄想も一人じゃ絶対成立しないってことです。誰かがいたから見栄を張れて、誰かがいるからやめなくて、誰かがいるから衝突して、誰かにあこがれるから成長して、そして誰かがいるからひとりの時間に気づけるわけです。今あるいろんな感情も、フィールドパートの先輩たちが作って、守り抜いてきたからこそあるわけです。そして僕らが作り上げたフィールドパートももうすぐ3年生たちに引き継いでもらいます。
だからみんなで見せよう、今のフィールドパートの強さを。先輩たちに心配されないくらい完成されたチームの強さを。
声出すときは腹から出していけよ!!それじゃぁ、いきまぁぁぁぁす!!! (デジャブかな?)
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第2章王の軌跡
ここまでで7000字くらい。うん、オワッタ。さすがにやりすぎているなと反省。でも、この話や思いは入れたいなと思ってたらこうなっちゃった。てことでこの章ではヤギセイイチロウが王様になるに至った経緯や王様としてどんなことになっていったのかなどなどを語らせてもらおうと思います。たぶん、僕が主将であることに不満を抱いている人もいると思うので自分なりに思いをつづらせてもらおうかなとおみます。
チャプター0自分よりちびに負けるってどんな気持ち???
まぁ、その前に、ほんとかるーく高跳びとの出会いについて書いておこうと思います。僕の高跳びでの出会いは小学校5年の時です。小学校の授業で、高跳びが行われ、そこで初めてマットの素晴らしさを知ります。「なんだこれ、ふかふかすぎる!!」ってのが最初の感想で、そしたら先生からいきなり「高跳びの試合出てみんか?」って言われました。「試合用のマットってこれよりふかふかですか?」って聞いたら「もちろん」って言われたので出ることにしました。5年生の僕はおちびちゃん過ぎて148㎝とかしかなく、公式のマットに跳び乗ることがまず第一関門過ぎたのが試合の練習で思ったことです。そしてマットがかてぇ。体重がない分、マットがうまくへこまんで固すぎたのを覚えてます。そしてマットの方さにイラついたまま試合の高さを申告しに行くのですが、ここも楽しかった。変な逆張りを発揮して皆95cmか1000mmを選択する中、僕は「97cmでお願いします」と言いました。さすがに迷惑すぎる。そして95cmを申請していた子たちの意見は通らずなぜか僕の97cmが通ってしまいました。さすがに楽しすぎた。そして楽しんでいたらいつの間にか終わっていたのが僕の高跳び人生の開始でした。その試合が楽しすぎたことはあったものの、陸上自体に興味は一つもなく、また1年くらい試合や練習に行くことはありませんでした(そもそもクラブとかスイミングしかいったことない)。それでも初めての高跳びは楽しかったらしく次も出たいなぁとか言ってました。ただ、ここで一つ大きな問題に直面します。背が、伸びない。父も結構ちびなんですが、小6になり、周りの身長が伸びる中、僕の背だけは伸びることはなかったです。なので周りより頭一つ分小さかった僕は、小学校対校の高跳びの試合に出させてもらえず、結構悔しい思いをしました、ただ、小5の時の大会には人数制限もなく出られたのでそこでちょっと見返してやるかと思います。ここで秘密兵器、「バネの力」に出会います。皆がひもの靴やスパイクをはく中、僕だけ自信満々のテープタイプの変なところにゴムみたいなのが入った「バネの力」で挑みます。今思い返すとバカすぎる。でも、プラシーボってあるんですよね、そこで間違えて2番になってしまいます。この時は「バネの力使ったから申し訳ない」という今思うとあおりでしかない思考と、「この人たち僕より10センチくらい背高いのになんで跳べないんだろう」というガチのあおりが僕の高跳びライフを鮮やかにしました。今でもスパイクピンを長くしたり、アディダスの反発材がしっかり入った靴を使うのは少しでも背を高くした方が跳べるに決まっているという浅はかな思考が原因ですし、身長に関してはカイチサンみたいな感じで、僕より背高いのになんで跳べないの⁇というあおりがしたいというこれまたあさはかな動機で頑張れています。ちなみにその時跳んだのが1250㎜で、今は1750を✂跳びするので実に500mmほどキロクを伸ばしています。
✂跳びという圧倒的身長で決まる競技で自分より大きな子たちを倒せたのが嬉しかったので、もちろん中学校に入って陸上部に入るのですがそこでは高跳びの環境と指導者も何もなかったんですね。ただ、そこでラッキーだったのが中3の時に棒高跳びのマスターズ記録保持者が体育の先生で登場します。その先生がなんと小学校の時出場した大会の審判だったらしく、縁あって中3の時に長距離から高跳びという意味不明なコンバートを行うに至ります。当時は無事に第2次成長期に突入しており身長も168くらいありました。ただ、168もあったせいで、中学のベストは165と身長を下回っており、今の鵜木さんや土井ちゃんかなみんみたいに高跳び選手ではありませんでした。それでも、僕より大きな人たちをいっぱい倒せて、中3の2か月ほどで県で4番くらいに入れたので結構図に乗りました。いや、だいぶ図に乗りましたね。だってみんな170超えてたもん。普通に背伸びしてもワンチャン負けるくらいみんなデカいのにさして記録も変わらんし、普通に負けてたのでガチで気持ちよかった。ただ結局身長を超えることはできなかったので高校でもやりたいなぁという感じで僕が高跳びにハマり切っていない時期が終わりました。ちなみに中学校で初めての背面跳びの記録は155くらいでした。✂跳び同様500mm差をもうすぐ付けられそうなのでつけたいですね。高校時代のお話はたぶん過去ブログにていっぱい書いてると思うのでこんな感じで大学までのお話は終わらせていただきます
チャプター1フィールドパート内向的すぎる問題
さて、フィールドパートは今でこそ他パートとそれなりにかかわりがありますが、昔はかなりひどいものがありました。フィールドパート社会不適合時代ですね。特に僕らがB1の時はフィールドパートが実質的には九大陸上部内で独立しているような感じで、大きなコンパはフィの先輩の名前を見たことがなく、2年生は交歓会、追いコン、卒コン、教養コンパとあらゆるコンパにて名前がありませんでした。また、島原駅伝には「長距離が幅跳びの応援に来てるの見たことないから俺らもいかないよ」というとんでも発言まで放ってしまうほどでした。これは非常に由々しいなと南風ろうにて頭を抱えたフィールド1年男子+みひろはせめて僕らだけでも友好の輪を広げよう、と思いコンパなどにはほぼ義務感を感じながら参加をしていました。全てはフィールドパートを九大のみんなに応援してもらうため。パートの垣根以前にチームメイトとしてちゃんと認識してもらうために頑張りました。そしてせめて同期にはちゃんと存在を知ってもらおうということで同期飲みも開いてみたりしました。当時は皆友好的だったおかげで無事に開けた記憶があります。同期飲みの思い出は雨の中びっちゃんこでお店に来た古藤に間違えて「失恋とかしてきたん?」って聞いちゃったことと、短距離とかみんなの前で、「フィールドのみんな普段はシャイで静かだけどほんとはみんなと仲良くしたいんだよ」って言ってたらその真裏で山ちゃんが「いいよいいよ、全然いらない、家帰って水飲むからいいよ」と当時マイブームだったネットミームをかまし、合いの手のみひろがガハハハと手をたたきながら笑っており、あ、オワッタとなったことくらいですね。
まぁでもこうやって悪目立ちし続けたこともあり、無事に九大内ではそれなりに認知してもらえるようになったような気がします。実際、鹿児島で行われた春インでは、大雨にもかかわらず、割とマジでいろんな先輩が応援に来てくれてて、めちゃくちゃうれしかったです。まぁチコったけど。
これが今ある、7大関係なくパートの垣根を超えて応援しあえるような雰囲気を作りたいと思ったきっかけです。結局なんだかんだまだ他パートの人たちを7大戦以外で高のピットや砂場に召喚できているわけではないのでちょっと悔しいですが。でも岡田さんや梶西さんたちのようなMの先輩たちがインカレの時応援まで来てくれるようになったのはめちゃくちゃ嬉しいですね。ちなみに僕は陸上をすることや見ることより応援することの方が好きなタイプなのでけっこう皆の応援してます。そしてたまによく聞こえるせいで怒られることもあります。去年みーこに怒られて吃音症を発症したのが昨日のようです。
脇道もひどくなってきましたが、まぁ言いたいことはこうです。せっかく160人とかいるような部活なんだし、たった30人と関わるだけで終わる4年間はやめようやってことです。
だいたいフィールドの学年の流れは、騒がしくてめっちゃみんなと関わる→優秀だけどしずか→めちゃくちゃ優秀だけど変→くそ陰キャというサイクルです。この理論で行くと今年はなんと13人の陰キャをかかえている可能性がありますが、なんか同期仲は良さそうなので大丈夫でしょう。フィールド競技は応援されてなんぼの競技です。きっと30人の手拍子よりも100人の手拍子のほうが力も出るはずですから、これからも引き続きみんな仲良くで頑張りましょうね(^^)
チャプター2大沼ジンクス開始
ここはつまりCSの時のお話になるわけですが、まぁそのあたりのことは過去にも話しているので、少し別の視点でこのCSを語ろうかなと思います。2年前の僕は本当に追い込まれていました。神様仏様と何でもいいから力を貸してくれって感じでした。そこで出てくるのが「大沼様」です。あっちゃんとやまちゃんから、どうやら大沼が撮影したらベストが出るらしいといううわさを聞きます。そこでなんとしてもキロクを出したかったヤギセイイチロウ(20)は、CSにて大沼にまじでスタンドぎりっぎりで動画をとってくれと懇願します。そして見事に動画をとってもらい、ジンクス通りベストが出るわけですが、この後心が揺れます。なぜか大沼が僕より泣くという事故が起きました。僕が大泣きするのはまぁいいです。なにしろ久しぶりの1900でしたから。ただなぜ大沼が泣くんだと驚きが隠せなかったです。「ほんとによかったね」とひとこと泣きながらもらっていろいろ気づかされました。「あぁ、やっぱり誰かに応援されるっていいな、居場所がある気がして幸せになる」って思いました。ちなみにこれが矢木が丸くなったと言われる、ダメ押しのきっかけです。僕が試合の中で居場所を見出していったように、皆の居場所をどこかに作ってあげる、支えて支えられてで成り立つ九大にしたいなって思ったように気がします。
大沼からしたらただのマネージャーの仕事に謎の因縁をつけられて迷惑だったのかもしれません。そこは結構申し訳ない。でも僕にとっては、大沼ジンクスは守るべきルールの一つになりました。このおかげでおそらく大沼が撮影するときはべストとは言わずとも絶対に入賞はしてきましたし、1段階僕のギアが上がるのは確かです。改めてこれまで何度も炎天下の中、ひとりスタンドの端の端まで撮影に来てくれてありがとう。今シーズンはいまだに大沼に撮影してもらってないのでまだ大沼ジンクスも弱まっていません。ラストシーズン、最初で最後の大沼撮影、ぜったい喜びの声が動画に残るような試合にするのでポカリとか冷風機もって長丁場覚悟しといてくださいな。
チャプター4魔王降臨、そして限界へ
のがさんから始まり、さとぼぉへ、そして和知さんへと引き継がれていったこのフィールドパートを、僕たちはどんな色にすればいいのか、もっというと僕はどんな役割でいなきゃならないのか。パート長の思いを汲み取り、僕が果たさなければならないと覚悟を決めた役割は、汚れ役になる、ことでした。
森君はパートの中心で皆に慕われるような人であってほしい、山ちゃんはみんなにとって存在しているだけでみんなが楽しくなるような人であってほしい。あっちゃんはその視野の広さで皆を支えてあげてほしい、みちぃさんはDUOちゃんを、右脳さんは川口さんをさみしくないようにちゃんとかかわってあげてほしい。みんながフィールドパートの光でいてほしかった。そのために僕は心を鬼にすることに決めました。発言に圧がかかるようできるだけ私生活と部活を区切って生活するようにしていました。皆とご飯に行くときっとその子に情が移って厳しくできないと思い、2年の冬季とは真反対に、部活終わりの夜は直帰していました。皆との写真がもっと欲しかったなと思うことは何度もありました。が、そのたびに「いいや、これでみんなのキロクが出る手伝いになるのなら本望だ」とさみしさを押し込んできました。部活の前はいつも10分くらい鏡の前で魔王の仮面をかぶるための用意(ゆるんだ顔ではなく、かくじつに圧が出る表情を視覚的に覚えさせる)がありました。もうこんな作業も終わりかと思うととてもうれしいです。
そして魔王の仮面の裏は日に日に不安定になっていき、ついに限界を迎えます。それが春インです。皆の結果が皆の期待を下回り、そして僕自身も何一つうまくいかず、これまで僕を安心させるために唱えていた言葉たちが全て崩れ落ちます。すべてが壊れて、もうどうしたらいいかわからなくて、毎日が重たかったです。夜も眠れなくなって、朝も起きれなくなりました。自暴自棄になって高跳びをあきらめていいくらいの体型になろうとすら思いました。部活もしばらく顔を出したくないとすら思いました。でも、そうはできなかった。その原因はたくさんありますが、もしもそうできないようにさせた要因のみを上げるとするなら、新しい1年生として入ってきた、水田あつひさでおなじみあっつーうんこまんの登場です。
初めて最高学年となり、フィールドパートのためにやっていたことを評価してもらいました。彼の陸上に対する探求心と、積み上げる力はすさまじく、今は亡き梁パートの資質を感じました。だから僕は部活に行けました。梁パートは強かったです。でも、やっぱり誰かに支えてもらえないと最後の最後で踏ん張りがきかないことを僕は同期男子や大沼に教えてもらいました。だから水田君にはそうなってほしくないという思いが強かったです。あまり先輩いきりはしたくないですが、似たような性格と陸上への探求心を持っている君にだけは伝えておきます。仲間を、部をないがしろにだけはしちゃいけない。今はライバルたちでも、縛りの多い組織のように感じても、かならずそれが助けになるから。僕みたいにたくさん陸上の勉強してる子はきっと他にもいる。だから誰かとかかわることは忘れないで。僕の限界だったメンタルをなんとか維持し続けられたのは君の「うわ、めっちゃわかったわ」という納得や常に流れてくる疑問をぶつけてくれたおかげです。僕がうまく応えられたときに「なんで、....って先輩の努力に失礼か」と言ってくれたのはすごくうれしかったです。
本人もきっと気づけないところで支えて、支えられてるのが森君たちが築き上げた今のフィールドパートのとってもいいところだと思います。今日から3日間は最高の支え愛で皆の最高のパフォーマンスをしちゃいましょうね。
高跳びに出会って、同期4人に出会って、大沼に泣かれて、健一さんが泣いて、レンタロウが引っ張って、旬ちゃんを連れまわして、あつひさに尊敬?されて、他にもたくさんのかけがえのない出会いがあってと、僕がひとりで頑張ったって決して出会えないものや気持ちをたくさん教えてくれた九大陸上部、および僕の陸上人生でした。まだまだ伝え足りないことはあるけど、僕の源泉にはいつもみんなの笑顔と、皆から後ろ指をさされる景色がありました。頼りないし、ダメダメな王様をいつも見ててくれてありがとう。
なんかきれいに締めくくれないけど、王の軌跡の振り返りはここまで残りの軌跡も最後まで見届けてね。
後編に続く⁉
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