遅咲き@三井

もはやいくつ仕事を掛け持ちしているのか分からない九大陸上部貢献度トップレベルの高木くんから引き継ぎました、三井です。高木くんいつも色々ありがとう。高木くんが天草に行くことになったらそのお別れ会の幹事もよろしくね。でも一緒に部活できなくなったらさみしいから天草に飛ばされないようにがんばってね。

同期〇人問題は内輪ネタ過ぎて伝わらないでしょうが、山崎くんがブログの最後で女子2人もちゃんと同期として認めてくれてとてもうれしかったです。男女の仲が悪いわけじゃないんですけど、男子同士、女子同士の絆が強すぎるんですよね。

本編に入る前に1つ、私のどこがピュアなのだろうか?そんな風に思われていたとはつゆ知らず。私のことを知り尽くしている優羽ちゃんなら私がピュア乙女ではないことは分かると思います笑。これが同期2人と同期4人の差ですね。

七大戦までついに1週間を切りました。今は実験レポートと七大でシフト入れない分のバイトに追われて自分が北海道にいる姿をまだ想像できないのですが、選手紹介の写真を撮ったり、最後の跳躍練が終わったり、4年生と練習できる回数を数えたりしていると、七大戦がすぐそこに迫っているのを実感します。

去年の七大戦は、5m20跳んで表彰台という目標を掲げながらも、4m91で1年生の時と同様5位という結果でした。女子は4位から点をとれるため、九大に1点も持ち帰れず、PBも更新できず、本当に落ち込みました。豊橋で優羽ちゃんと2人で泣きました。その様子がライブ配信に映っちゃっていました。

その後の試合でも記録は伸び悩み、冬季では基盤づくりに重きを置いて、特にウェイトを積極的に続けるようになりました。冬季真っ只中の1月末、右腓骨あたりが継続的に痛み、そこまで痛くは無かったのですが念のため受診すると疲労骨折でした。2か月間走るのはもちろん、クリーン・スクワット・デッドリフトもパワーマックスも禁止でした。整形外科の駐輪場で1人で大泣きしました。こんなつらい思いするならもうやめてしまった方がいいんじゃないかって何回も思いました。でもやっぱり5m跳ばずにやめる自分を許せませんでした。

そこからはみんなのジョグが始まる前のグラウンドを半周歩くのだけ参加して、1人でトレ室に行って、ベンチときつい体幹をひたすらやって、みんなの練習後には下のトレ室に行ってバイクを漕いで、どれだけ眠くても種目数の増えたストレッチを欠かさずやって、走れるようになるまであと何週間、何日、、、と考え続ける日々でした。

復帰後、みんなと一緒に走れてとてもうれしくて幸せでした。ありがたいことに痛みが再発することはなく、今となっては自分の身体と向き合ういい機会だったのかなと思います。あのまま同じような練習をしてもきっと伸び悩み続けるだけだったと思います。

春インでみんなが活躍する姿を見て、とてもうれしい半面、劣等感も感じました。ですが先日矢木くんが、腓骨で2ヶ月遅れている分7月中旬からはまるくらいに考えたらいいとスプシに書いてくれて、元気が出ました。私にとっての七大戦は、みんなにとっての春インポジだから私も跳べるんじゃないかと思えるようになりました。

小学生の時に、自分の名前の由来を親に聞く課題がありました。GWに桃の花がさいていたからももえになったみたいな感じだったと思います。私はずっと疑問に思っていました。GWでもまだ桃って咲いているのか?それから「もも」は分かったが「え」はどっから来たのか?「え」の由来はまだ分かりませんが、桃の開花時期を調べてみると、GWに咲いている桃は遅咲きの桃みたいです。今シーズンみんなより出遅れちゃったけど、真夏に咲かせてみせます。夏のひまわりもいいけど、夏の桃もきれいでしょう。

実際、練習での記録も徐々に伸びてきています。去年の悔しさを晴らして、今までやってきたこと全部出しきって、北海道で5mジャンパーデビューします!!!!!

私は口下手なので、あまり直接的な言葉で想いを伝えることはできないですが、このメンバーで臨む最初で最後の七大戦、みんなを信じて、自分を信じて、1人1人の今までの頑張りや想いが実を結ぶことを願っています。

最後にお世話になった4年生の先輩方へのメッセージです。

河野先輩

私の中で先輩と言えば誰よりも速い坂のスタートダッシュと踏切後のきれいな跳び出し姿勢が強く印象に残っています。お休みが多かった先輩に対して、なんで練習来てないのにあんなに動けるのか、と非常に失礼なことを思ったこともありましたが、部活のない時間にグラウンドに行った時、先輩と夏目先輩が練習していたのを何回か見かけました。みんなが言うコソ練をしっかりされていたからこその動きだったのですね。バイトの帰りに毎回王将を覗き込んでいるのですが先輩を(木下くんも)見かけたことがありません。私はたまに1人で王将に行くのが好きだったのですが、先輩たちが王将でバイトしていることを知ってからというもの、ぼっち王将の時に遭遇するのが恥ずかしくて行くのを控えるようになりました。でも王将食べたいです。ぼっち三井を見かけてもそっとしてあげてくださいね。先輩は七大戦のエントリーフォームに回答しておらず、私が声をかけていなければ危うく出場すらできないところでしたね笑。思いっきり跳んで、美味しい札幌ラーメン食べてください!

中條先輩

先輩が久しぶりに部活に戻ってきてくださった時、あまり久しぶりな感じがしませんでした。先輩はインスタの中に住んでいるのではないかと思うほど練習日誌へのいいねが速く、リールを開けば先輩がいいねした動画ばかり流れていたからでしょう。気になってリールを試しに10個流し見すると、そのうち4つに先輩のいいねがついていました。もう10個流しても、またそのうち4つに先輩のいいねがついていました。みんなも確かめてみてください。先輩の復帰後の練習記録を見ていると、なかなか思うように体が動かず、しんどい思いをされていて、いつもみんなに「いいね!」と励ましてくれた先輩に私は何の言葉もかけられませんでした。ですが先輩は七大に向けてコツコツと練習を積み重ね、試合でも記録を伸ばしてきました。みんながいろんな方向を向いていた4年ズをうまくまとめていた先輩はフィールドパートにとって欠かせない存在です。私も5m跳ぶので先輩は6m跳びましょう!

夏目先輩

夏目先輩は私が入部したばかりの頃に、先輩が1年生の時に大きく記録が伸びて今は伸び悩んでいるという話をしてくださったのを覚えています。今思うと、先輩とレベルは違えど私も1年生の時に記録を大きく更新してから記録が停滞していて以前の先輩と同じような状況です。ですが先輩は練習やウェイトを重ね、また大きく記録を伸ばし、一度は九大陸上部から離れてしまいましたが、今では九大の選手として幅でもリレーでも100mでもエース級の活躍ぶりをされていますね。先輩が赤色のユニフォームを着て跳ぶ姿を見るととても嬉しい気持ちになります。圧倒的な記録を出してみんなの期待を裏切らない先輩の活躍を見ていると、私もまだ頑張ってみようかな、という気持ちになれます。先輩の直視していいか迷うくらい鍛え抜かれた肉体、記録に裏付けられた確かな実力、そして九大陸上部からのエールをもってすれば他大の選手なんてどうってことありません。九大記録をさらに更新するジャンプをみんなの前で見せてください!

和知先輩

先輩と初めて話したのはたしか電柱のところで学部を聞かれて、農学部で同じだ、みたいな話をしましたが、私の人見知りが発動し冷たく接した覚えがあります。今ではあの時が嘘のように何でも(?)話せる仲になりましたね。1年生の新人戦の時にPB更新の写真を大浴場で撮ると言われたり、買った飲み物を自販機に忘れてきたり、草を投げつけてきたり、去年の年末には2人で24本坂ダッシュした後いろいろ語り合ったり、私が怪我した時にはよく気にかけてくださったり、ほんとうにいろいろな思い出があります。パート長として、たくさん思い悩んで、どうしようもできなくなって、それでも先輩はフィールドパートの中心としてみんなを七大戦まで導いてくださいました。先輩が悩みを打ち明けてくださった時も、私は何もできず、先輩を支えることができませんでした。先輩からは与えてもらってばかりでした。私がウェイトを継続的に取り組むようになった一番の理由は、ウェイトを積極的にして記録を大幅更新した先輩の姿があったからです。私は頼りない後輩だったかもしれないですが、先輩の頑張りをずっと見てきました。今までの想い全部ぶつけて、憧れの入賞、勝ち取ってください!

さて次からは待ちに待った4年生たちのブログが始まります!4年生トップバッターはラーメンおじさん、あ、間違えましたいや間違えてないか、河野先輩です!お楽しみに!

九州大学陸上競技部フィールドパート's Ownd

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