河野@まったく!いい(陸上)人生だった!!

こんにちは、あるいはこんばんは。フィールドパート4年の河野隼人です。早いことに残る練習はあと1回、残す公式戦もあと1回。最後の最後まで定期的に部活を休んだ立場が言うのもなんですが、いざほんとに終わりが目の前に来ると色々感慨深いものがありますね。自分は中1の頃に陸上を始めたので今年で11年目?になります(浪人と休部の2年間は内緒で)。ブログや話などで細かい経歴を語った記憶は無いので、最後ですし少し語ろうかなと思います。拙い文章の自語りになります。あまり自分の過去に興味が無い人は少しスクロールしてもろて、

【中学】

まず陸上競技との出会いから。中学の入学時に走るのが好きで仲良い先輩がいるからと友達も入るって言ってたからという凄く単純な理由で陸上部に入部しました。最初にやった種目は100mでした。正直そこまで足が速かった訳ではないので大した結果も出せずに種目変えたいな〜なんて思ってました。そして夏のシーズンが終わった際に100よりは勝てる自信があった走幅跳を選択。

中1の秋に初戦で大勝利を収めるべくやる気満々で試合に出るのですが、結果は4.31で順位は真ん中より下、同じ中学の同い年の友達A君にすら負ける、つまりごく普通の(もしかしたらそれ以下の)走幅跳デビューでした。その後は悔しすぎてがむしゃらに練習しました。特に頭も使わず何をやったかも覚えていないぐらいです。しかし、一応シーズンが終わる頃には記録も少し伸ばし同じ中学のA君には勝ち越すぐらいにはなっていたのですが、そこまで華やかな1年目ではありませんでした。中2は試合に出る度どんどんPBが出て陸上が楽しくて仕方なかった時期でした。1年間で1mぐらいPB更新しました。この時ぐらいから自分で課題を見つけ、その克服の為のメニューを考えるようになっていました。自分との勝負に目覚めた歳でもあります。初めて試合で優勝したのもこの年です。その試合は新人県大会で、直前の試技の選手が6本目で記録を伸ばし1位になったところ、自分がその直後それより記録伸ばし1位になって優勝した試合でした。過程も含めて初めて表彰台の1番上に登った時のあの感覚は他では味わえない感覚でした。正味大イキリ有頂天のクソガキ河野でした。中2のシーズンがそこそこいい記録で終えたので、冬期から中3にかけて全中を狙いながら練習に励むことになります。練習は順調に積めていたのですが、3年に上がるタイミングで、めちゃくちゃお世話になってた顧問が他の中学に異動になってしまったのです。自分としては精神的支柱を失ったような感じがあり練習中も上の空だった気がします。まだまだ安定した精神力は身に付いていなかった。正直記録も2年に比べてそんなに伸びなかったです。肝心な全中への切符に関わる2つの試合(通信と県大会)でどちらも6mも跳べず、8にすら残れないよな惨敗を経験しました。全中狙って練習してたのもあって、中学生ながら本気で悔しがることが出来ました。試合で負けて泣くやつ意味わからんわとか思ってたのに、ピットのマーク片付けたあと1人で大号泣したのを覚えてます。最初で最後の悔し涙です。でもこの経験で精神的な強さの必要性を学べたと思ってます。いい経験をさせて貰いました。

【高校】

中学の悔しさもあり、高校では陸上をメインで取り組むつもりでしたが強豪でもないただの公立高校に入学しました。一応大学進学を見据えて()自分で行ける最大偏差値の高校に、、部活のやる気しかなかったので推薦入試の面接の時に面接官に必ずインターハイ行きますって宣言した記憶があります。めちゃくちゃ強気な河野少年ですね。そんなこと言いつつ1年の夏ぐらいまでは高校の生活に慣れるのがやっとであまり練習に力を入れれずそこまで伸びなかったような気がします。夏シーズンが終わると、余裕もでき勉強なんて1ミリもせずに、1ミリでも遠くに跳ぶために練習してたような気がします。この時は正直インハイに向けてとかでは無く、中学の時に負けた同年代の人を全員ぶっ倒したくて練習に狂ってました。それが功を奏したのか秋頃には6の後半ぐらいはコンスタントに跳べるようになり、大会での順位争いにも食い込めるようになっていました。そんな感じで好調に記録を伸ばしつつシーズンを終えました。ここから高校の冬季練に入るのですが、人生で1番走り込んだ数ヶ月でした。跳躍選手なのに何故か40秒間走の3×3を毎週やっていたような気がします。二度とやりたくない練習です。全然普通に余裕でタヒねるぐらいのキツさでした。てか1回ぐらい記憶ごと意識失っててもいいぐらい。それでも走力は凄く伸びたと思います。

こっから高校2年に上がるのですが、この1年は言うまでもなく陸上人生のピークだったと思います。シーズンの滑り出しから好調でした。そして好調のままインハイ予選が始まりました。福岡は各地区で予選があり、県大会、北部九州大会、インハイ本戦という形で進んでいきます。正直始まる前から2年でインハイ行けると思って臨んだ中部地区予選。この大会勝ち進んでインハイ行くと豪語していたのに、、、

いきなり2ファー、記録無し。

「オワッタ。」

とかは微塵も思わず3本目で跳べるやろーって思ってました。精神ツヨツヨ河野少年。なんか周りの幅友達B君が心配してくれてたらしく、3本目行く前にB君から背中に気合いのビンタを喰らいました。あれなんかエモかったなー。3本目はもちろん勝負に行って6.75ぐらいだったと思います。当時のPBでした。今冷静になると、合わせに行っても予選は通過出来るという場面で、合わせに行かず勝負してPB出すって頭悪すぎますね。どんだけギャンブルしとるんやって自分でも思うぐらいです。そしてそのまま中部地区予選は何事も無かったかのように2位で通過します。次の県予選。この大会は特に危なげ無く2位で通過しました。ここで人生で初めて7mを跳んだのが記憶に残ってます。あの観客席とかピットの選手とかがうおーってなるの嬉しいですよね。顧問とか部活の友達とかが自分のことのように嬉しそうにしてるのが見れたのが嬉しかったです。このときぐらいに応援の力偉大だな〜って気づきました。

次はいよいよ北部九州予選。これでインハイに行けるか行けないかが決まる大会です。ここで6位以内に入ればインハイ、それ以外はロンガイ(あくまで自分についての話です。7位以下の選手を攻撃する意図はありません)。自分はランキングでは5位でインハイ圏内には入ってました。まぁそれで5位狙うようじゃ流石に無理か。5位はね越えてかないと。ってことで3位以内、なんなら優勝ぐらいの気合いで行こうと思ってました。記録はで言うと7はマストなんなら7の20くらい欲しい。余談ですが、この試合同じ高校に進学したA君が付き添いとして、同部屋で泊まっていました。試合の前日さすがに朝早いし早く寝よってことで部屋の電気消したのに横でずっと明るいスマホをいじって睡眠を妨害してきA君のことは未だに許してません。あれで眠れず力発揮出来てなかったらほんま草。

試合は1本目で7.04(確か追参)跳びました。周りの選手が思ったより記録伸ばさず、自分より強かった選手たちも全然跳んでないような状況でした。エイトの時点で自分よりも強者達が何人か落ちて、他の人たちも全然跳んでない。正直ほぼ勝ったなって思ってました。またまた余談ですがB君も同じ大会出てて、自分が今度は逆に背中ぶっ叩いたのに惜しくもインハイ行けず、、ほんとにごめんなさい自分の気合いが足りませんでした。最終的には1本目の7.04で3位で無事インハイを決めました。大一番で記録残したいなら精神力って大事やな〜って思いました。インハイ本戦では実力的にも上位に食い込める見込みは低いと思い、来年のために全国の舞台を経験出来ればいいかなぐらいの少し余裕を持って挑みました。結果はまぁ全然跳べず、、正直あの大舞台に圧倒されてガチガチだったのを覚えています。あと周りの大男達いかつすぎ。精神ヨワヨワ河野少年。だからこそ来年はもっと強くなって決勝には上がれるように心身ともに鍛えるべきだなとも思えました。こっからはインハイはマストで決勝に行くことを目標に練習を始めます。

来年のインハイ中止を僕達はまだ知らない。

インハイ編はこれにて終了です。

これから2年の秋になるのですが、自分の課題は走力と踏切だと思っていたのでそこはずっと練習しまくってた記憶があります。すり足が好きなのは多分このせい。練習の成果は新人でしっかり発揮されて中2の時ぶりの県優勝出来ました。この時が7.09で現在の自分のPBです。ウレシカッタ。この試合はなんとしてでも優勝したい試合で1番優勝にこだわった試合でした。ずっと「自分は優勝するために試合に出て跳ぶ。周りは負けるのにわざわざ来てくれてありがとう」ぐらいに思ってました。傲慢です。有り得ません。

正直上の大会に進むことも嬉しいですが、どんな小さな大会でも優勝することはそれ以上の価値があると個人的には思ってます。そこに出場したどんな人よりも強いという定量的な証明、そんなことしてくれる機会なんて人生においてなかなかないと思います。

そんなこんなでもう2年もシーズンオフに入りまた地獄の冬季が始まるのですが、途中でコロナとかいうもっとやばい地獄が始まり練習は全て中止、なんか外に出ることすら良くないみたいな風潮でしたよね。自分は人と会わずに体動かすため友達と山に上りまくってました。走る練習はほぼしなかったのですがいい運動にはなったと思います。少しコロナが落ち着いて学校とともに部活も再開しました。しかしインハイは中止(ほんとになんで)、モチベを失いかけましたが、AB戦の県大会はあるって言われたのでそこに標準を合わせることにしました。登山トレーニングの成果もあってかその試合は好調でした。伝説の7.38(+2.1)が出たのもこのときです。この試合ちゃんと公認でも7跳んでるはず、、。一応他にもいくつか試合に出るのですが狙いに行った試合がこれぐらいしかなく他は大した成績が残せなかったと思います。勝ちに行くぞって思える試合じゃないと勝てなかったので、、

こんな感じが自分個人の中高の陸上歴ですね。

一応リレーにも出ることは多々あったので少しだけその話も。中学は4継、高校は4継・マイル両方に沢山出ました。自分の陸上史上1番印象に残っている試合は高校のとあるマイルです。高校2年のインハイ中部予選。先輩2人と同期1人とのメンバーで先輩1人だけは個人で県大会逃していて、ほかはみんな個人で県大会に出場決定しているという状況でした。決勝の前に県決めた先輩(部長)が自分ら後輩2人に「あいつを県大会連れていきたいけん頑張って欲しい」言ってくれて、そんなこと言われるまでもなく頑張るのにね。2位までは県大会、予選は4位通過。あと2チーム抜いたら県に行ける。時間ではだいたい2秒ぐらいでした。自分は1走でめっちゃしんどかったけど結構速く走れた記憶です。そっから部長、同期、アンカーの先輩。アンカーの先輩まではずっと1位独走でした。アンカーで1人抜かれ2位になったもののそのまま持ちこたえて2位でゴール。無事県大会出場出来ました。アンカーの先輩の意地とリレーでしか味わえないトラック陸上のチームワークが感じられました。先輩二人はめっちゃかっこよかったです。4人でバリ泣いた記憶があります。先部長と同期はこんなんで泣くようなキャラじゃないのに泣いてるのも良かったなぁ〜。これが陸上で最初で最後の嬉し涙です。ちなみにラップタイムは覚えてないけど、確か動画がYouTubeにあるはず、、良かったら見てね。

多少の挫折はありましたが、6年間で見たら順当にずっと記録を伸ばし続けてこれたとおもいます。当時は自覚してませんでしたが、めっちゃくちゃ練習にのめり込んだ青春でした。周りには結構努力家と思われていたらしい、、自分的にはただ楽しくて好きだから練習していたような記憶です。自分が練習してた時に意識してることは、自分がピットに立った際、これまでの練習を振り返って自信が持てるかどうか、周りの選手より頑張ってここに立ってるて思えるかどうか、これを軸に練習してきました。これは割とみんなよく言うかもしれませんが、陸上は結局最後は気合いみたいなところあるような感じがします。その気合い出す為の自分を信じる精神的な強さ、その源となる練習の積み重ねは大事だと思うのです。

少し偉そうに経歴と陸上のことを語りましたが、大学に入ってからは皆さんが知る通りのただのレアキャラになりました。入部時は少しやる気もあったのですが、ブランクに絶望し、あの時ほどの熱量が無いことに気づき、勝つことよりも楽しむことを軸にして陸上を続けてきました。おそらくPBとの戦い、順位との戦いをしてる人たちからしたら凄くやる気のないような人間に見えたと思います。足を引っ張ってたらごめんなさい。たまにコソ練の目撃情報が入っているようですが、あれは楽しいから走るのであって強くなりたい訳ではないのです笑ただの陸上大好き河野おじさんです。

4年生を初めとする上級生には多大な迷惑をかけたと思います。パート長には特に、、それでも部活に行った時仲良くしてくれたのはほんとに嬉しかったです。3年生も休部明けた時話してくれてありがとう。最近は4年が揃うこともたまにあり嬉しいな〜って感じです。下関ナイターとかプチ旅行みたいな感じで楽しかったよね。

正直なことを言うと大学生になっても昔と変わらない(もしくは新しく)熱量、モチベを維持して練習する皆がとても輝いて見えてました。どっちも失った自分としては羨ましいと思っていたのかも知れません。行く度行く度みんなのフレッシュさと陸上の楽しさに心が洗われていたような感じです。

長くなりそうなので一人一人にメッセージを書くのは辞めておきますが、もう少しだけ書かせてください。個人的に語りたい人は何人もいますが、それはいつかお酒でも飲みながら話しましょう。

そんな親しみやすい先輩ではなかったと思うし、そこまでユーモアや優しさもないと思います。でも大丈夫、それは愛登が得意なので。

ブログ見てたら未だに自分のビッグジャンプを信じてくれているありがたい意見も見かけますが、上で言った通り自分はモチベも無いし練習も積めてないので恐らく跳べません。でも大丈夫、それは廉太郎が跳んでくれます。

頼れるタイプでは無いし、慕われる様な先輩でもないでしょう。そして自分が過去に見せて貰った先輩の意地やかっこいい姿を見せれる自信はありません。でも大丈夫、我らがP長、わちちが全部やってくれます。

優秀な同期に囲まれて自分は特にすることが無さそうなので最後の最後まで楽しませてもらいます。後輩達はかっこいい先輩たちの背中をしっかり焼き付けておきましょう。

最後まで読んで頂きありがとうございます。

時間なくて急ぎで書いて校閲も出来てないのでおかしなこと言ってるとこ見つけてもご容赦ください。

次はフィールド4年の真面目そうに見える狂人チュチチ=マナオこと中條愛登です。

九州大学陸上競技部フィールドパート's Ownd

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