松本@能なしの夢、12と36。

パスがノーマル過ぎんか福田さん、ということでフィールドパート長の松本です。七大戦に向けてのブログも私で最終回です。早速ですが、
 
①陸上人生の振り返り
②フィールドパートのみんなへ
③七大戦の決意表明
の3本立てで書かせて頂きます。この七大戦をもって陸上競技の選手としては引退するつもりなので陸上人生全部振り返ったろうと思い推敲を重ねていましたが、それだけで5000字を超えそうだったので、18まではサラッと振り返って、大学以降多めで(今回はアニメ関連抜きです)。
 
 
①めちゃくちゃ簡単に18までの私を振り返ると、姉の跳躍に憧れて小2から陸上をはじめ、小学時代はできる競技全て1回以上は大会に出場しました。中学では800m(2分10秒)と3000m(駅伝部部長、10分20秒)と砲丸投げ(10m20)というアホな組み合わせで試合に出続けました。高校では1年次に、近所の支援学校に押しかけ続けて(当時先生たちの間で要注意人物扱いされていたことが卒業時に判明)投擲専門の先生を外部コーチにしてもらい、砲丸投げ(11m80)と円盤投げ(35m70)を専門にしました。
 
小中とどっちつかずの陸上人生を歩み、能なしだけど楽しけりゃいいのスタンスでやってきた私が高校で投擲を専門に頑張ると決めて行動を起こし、なんとか(?)環境を整え、2年次3年次と上位大会にも出場できたんだからよくやったと今でも思っています。 
 
大学でも陸上やろうか、それとも人生初の団体競技を始めようか、揺らいだまま2018年の4月がやって来ました。
 
アメフト部に入りました。今でもこの選択に悔いはありません。筋トレのやり方やプロテインの摂取その他身体鍛錬に関することでアメフト部に勝る部はありません。試合にも出場し、同期とは今でも仲良くさせてもらってますし、ただ、アメフトに重きを置きすぎて大学での勉学が疎かになると思ってしまい、同年7月に退部し、9月に恥ずかしながらも陸上に戻ってきました。
 
私が初めて陸上部の練習に参加した時は総合グラウンドで有馬先輩と二人っきり、諏訪先輩はスキューバダイビングで休みでした。2回目の練習は雨で、有馬先輩も休みで知らない人だらけのトレ室に放り込まれました。今でも鮮明に覚えているのが、ダウンの集合時に木野に真顔で「どちらさんですか?」と聞かれたシーンです。一生忘れない。次の練習では諏訪先輩が遅刻しているにもかかわらず颯爽と自転車でやってきて、アップから終始湿った下ネタをぶちまけるという、私の中での九大陸上部の第一印象は【イメージと違う、全然穏やかじゃない】でした。
 
そんなスタートダッシュを切った大学陸上、1年次は学連登録の関係で1度も試合に出場することなく終わり、球技大会や島原駅伝、春合宿と部の行事を楽しみ尽くしました。その一方で、春合宿中に右ハムの肉離れを起こしてからは常に怪我と向き合い、柔軟や筋肉の使い方などをよく意識するようになりました。
  
大学2年の初戦、砲丸投げの第1投で大ポンをかましてしまいます。間違えて16ポンド(7.26kg)ではなくサイズが一緒の6kg(高校規格)を投げてしまい、しかもその記録が公認記録となってしまったのです。ここで出した11m75は七大戦で超えることが出来ず、なんと抜いたのはシーズン最終戦の新人戦(@島原)でした。この年の七大戦は九大主催で、博多の森をホームな気分にさせてくれたのは後先これ限りでした。
 
北嶋政権から高橋政権に移り、アツさがさらに増していくはずでしたが、研究(勉学)の方も忙しさが増し、私の中での陸上への気持ちが離れつつありました。その中でも私が成長できたのは8月と翌2月にあった七大合宿のおかげで、七大戦でしのぎを削った猛者と切磋琢磨することで2年次の最後には砲丸は12m、円盤は35mを超えられるレベルに立っていました。
 
コロナと脂肪肝
 
2020年度は体の中と外、どちらも試練の時を迎えました。100kgを優に超えていた私の体が悲鳴を上げ、結果、試合に出られれば九大歴代上位の記録はすぐ出せる状態を捨てる決断をし、20kg以上のダイエットを決行し、8月に練習再開した時には10mと30m飛ぶのがやっとという体になってしまいました。ここら辺は前のブログに詳細があるので割愛します。
 
2021年は卒論構想発表会に教育実習、教員採用試験と多忙のピークを迎えました(経験値いっぱい)。7月現在は食生活の改善やエニタイムに週5で通っていた甲斐があり、肉体的には全盛期を迎えました(体重95kg、ベンチ130、フルスクワット180、デッドリフト210)。ただ、グライド練習や回転練習を積む暇があまりなく、精神と時の部屋ほしいです。
 
 
②さて、ようやくフィールドパートの話です。
 
【雲外蒼天】
 
覚えていますか?私の代のフィールドパートのスローガンです。様々な悩みや障害も、努力し、試練を乗り切ることで明るい未来を望むことが出来るという意味で、4年生みんなで話し合って決めました(実は私の高校時代のスローガンがそのまま採用されてたりする)。掲げたものの通りにできたのか。私は50%、雲を突き抜けて蒼い空すら超えて宇宙に行っているぐらい成功しているものもあれば、悩みや障害、試練として見て見ぬふりをしているものもあると思っています。自身のことや縦横の繋がり、各々が省みることでわかると思います。後は次世代に託します。
 
フィールドパートの理念5項目を言えますか?
七大戦で結果を出すために本気で取り組む、チーム意識、他パートとの交流、貪欲さ、何より楽しむの5つですね。総括すると、この環境の中で最初の理念以外はみんなよくやっていたと思います。私自身は新しく入った他パートの1年生との関りが浅いですが。ミーティングや審判、練習の合間などいろんな場面で一歩踏み出す癖がつきつつあるように見えますし、ついてくれればと思います。最初の理念は今週末に答えが出ますね。全員が、補欠や試合会場にいない人も含めてやれるだけやってやりましょう!
 
それでは一代ずつ、まずは院生の先輩方、遺してくれたものをしっかり継いで、私たちの代のオリジナリティも加えることでコロナ禍のフィールドパートを引っ張ることが出来ました。私たちの集大成を、ぜひ見守って頂きたいと思います。終わったら、飲むのは苦手なのでいっぱい飯食べるかボウリング行きましょう。
 
1年生、高校最後の年から今まで苦労が多かったと思います。慣れない環境の中でこうして陸上部の一員になってくれたからにはフィールドパートの良さ、楽しさをこれからもっと感じ取ってください。何事も貪欲に。
 
2年生、大学に来てもう1年半が経とうとしています。昨年度は練習方針がコロコロ変わり迷惑をかけました、ごめんなさい。最近の練習の様子を見ていると3年と1年を繋ぐ良~い役割を果たせているなと感心しています。同期の人数が少ない分、横の結びつきを大事に。わからないことがあったら「周りを頼る力」を適宜使っていけ。
 
3年生、何も言わんで大丈夫でしょ。いろんな波が押し寄せてきては乗り越えて、横のつながりはかつてないほど強力です。それだけあればまとめるのなんて容易いもん…ではなく、今までの過ごし方を振り返って、いざ引っ張る立場になった時、このままでいいのかしっかり考えてください。後輩はあなたたちの背中を見て育ちます。
 
 同期へ、最後の最後でいろいろごたついてしまったがここまで私たちよくやったよ、藤井も木野も哲平も福田さんもわーちゃんも。一山登り切ったら、そこからは分岐しちゃうけど、一旦山頂でゆっくりしようぜ。
 
 
③七大戦の決意表明、やっとタイトル回収です。陸上人生の振り返りから能なしだなぁ私と思っているわけですが、そんな能なしにも投擲競技を始めたからには超えたい目標があります。それは砲丸で12m、円盤で36m以上投げることです。どちらの記録も中学や高校ではギリギリ超えることが出来ずに、超えたら上位大会やベスト8に残るような、私の中では強さ基準のボーダーと化しています。練習でなら出したことはあります。私は練習で出ない記録は本番で出ないと考えている人間です。絶対最後の最後に出してやる。気持ちよく引退して見せます!
 
 
七大戦という特別な試合が、様々な条件はあるものの今年は開催されます。まずは舞台がしっかり整えられたことの感謝を忘れずに。そして、各々背負っているもの、周りからの熱い視線があると思いますが、すべてを力に変えて、フィールドパート、ひいては九大陸上部全員が道中も結果も楽しんで笑っていられたらいいなと思っています。
 
約1年、私たちの方針にしっかりついてきてくれてありがとう。「いきます」って言ったら、「はい」って心の中で言ってくれよな?

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