大月@夢の舞台

みなさんこんにちは。桂和弘からバトンをしっかりと受け取りました。1年大月康資です。4月に入部してから早くも三ヶ月が経ちました。フィールドパートの良さを日々感じながらいつも楽しく練習しています。7大戦では走り幅跳びに出場します。今は決勝に出られるよう,本番に向けて調整しているところです。私は、何か大きな目標を達成しようと思う時や,勝負に向かう前には,自分の心技体を整えるようにしています。今の自分の調子を心,技,体の3つに分けて考えてみます。

心:テスト勉強やバイトが忙しいですが陸上に本気で取り組めています。本数が多い練習の,ラスト一本でキツくなった時でもケガしそうでなければ頑張って走るようにしています。

技:空中動作をダブルシザースにしようとしていましたが,習得が間に合わず,今まで通りのそり跳びにすることにしました。こっちの方が自信を持って跳べます。

体:練習に少し早く来たり、空き時間を見つけて筋トレをしています。体の調子はそこそこ良いです。練習の時は日焼け止めを塗らずに肌を焼いて日光の耐性をつけて,試合の時は日焼け止めを塗って日差しでバテないようにします。

高校の部活を引退した後,「大学でも陸上を続ける。」という目標は僕の受験勉強のモチベーションとなっていました。さらに旧帝大に入って七大戦に出場したいと強く思っていました。だから今,九州大学の代表選手として試合に出られることに大きな喜びを感じます。最高の結果を出すためにしっかり準備をして七大戦を迎えたいと思います。あっと驚く跳躍を必ず皆さんにお届けします‼

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19年しか生きてないのに自伝でも書こうかなとかアホなことを最近考えています。そんな感じで僕の陸上人生を振り返ってみます。僕は小5の時に市の陸上大会の幅跳びに出たことがきっかけで岡山市ジュニアアスリートクラブ(OJAC)からお誘いの手紙をもらい,陸上を始めました。陸上クラブでしっかり指導していただいたのでどんどん実力がつき,リレーで全国大会出場,県学童陸上大会幅跳び1位(5m15)など華々しい成績を残しました。地元の中学は陸上部がなかったので,陸上を続けるために岡山操山中学校に入学しました。陸上の実力は順調に上がり,県大会で決勝に残ることもありましたが,上位の大会に出場することは一度もありませんでした。高校に上がり,高1の秋に100mを11秒15で走って,高2では10秒台で走れるだろうと思いました。しかし高2はなぜかあまり成績が振るわず,幅跳びも県総体7位となり、中国大会出場を逃しました。他のライバル達にどんどん追い越され,活躍できない自分のことが嫌になりました。そして今までの成長と活躍を振り返って,自分の陸上人生はもうすでに頂点を過ぎ、後は下がっていくだけなんだろうなと思い,もう陸上は高校でやめようと思いました。そうして3月になり,一つ上の先輩の卒部式の時に顧問が「記録が思うように伸びなくなってからが本当の陸上の始まりだ」と言っていて,自分にはハッとするものがありました。そして高校生活最後の陸上に一花咲かせて終わろうと決意しました。高3になって,練習を頑張るものの,軽いケガを頻発し,その間も後輩はどんどん実力をつけ,その結果,100mの出場枠に入れなかったり,一時期,リレーの正規メンバーから外れたりしました。もがき続けて迎えた県総体では,幅跳びでなんとか6位に滑りこみ,やっと個人種目で上位大会に出場することができました。「記録が思うように伸びなくなってからが本当の陸上の始まりだ」という言葉は今自分が大学で陸上をすることに対して大きな意味を与えています。自分にとっての本当の陸上はまだ始まったばかりなのです。

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陸上を続けていると嬉しいことも悲しいこともたくさん経験すると思います。それが一つずつ積み重なって,自分だけの競技人生の思い出が育っていくのでしょう。4年生の先輩方の最後の競技人生に花が咲くことを祈っています。

続いては操山高校で一緒に陸上を頑張ってきた淺野君にバトンをわたします。よろしくお願いします‼

九州大学陸上競技部フィールドパート's Ownd

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