淺野@諦めません勝つまでは
初めまして、同じ高校、同じ陸上部出身、大月からバトンを受けました淺野です。
一年前の今頃では想像もつかなかったことですが、巡り巡って今に至ります。
ブログを書くのは初なので何を書いていけばいいかあまりわからないので、まず自己紹介から書いていこうと思います。拙い文章ですが頑張って書くので、読んでいただけると幸いです。工学部Ⅵ群一年の淺野寛仁(あさのひろひと)です。下の名前を初見で読めた人には未だ出会ったことがない気がします。生まれも育ちも岡山で、そもそも九州に降り立ったのは二次試験を受けに来た時が初めてでした。高校は岡山操山高校というところです。中学の時は走幅跳、高校では三段跳を専門にしていました。大学では走幅跳、三段跳の二刀流で頑張っていきたいと思ってます。
去年の先輩のブログを参考にさせていただいて、軽く今までの陸上人生を振り返っていきたいと思います。中学の時、特にやりたい部活もなくなんとなくで小学校の友達と一緒に陸上部に入部しました。新入部員が大体やる100mは早々に諦め、かといって体力はないので長距離も出来ず、面白そうな跳躍種目を、その中でもただまっすぐ走って跳ぶだけだと思っていた走幅跳を選びました。中学一年生の頃こそ記録は伸びなかったものの、中学2年生で新人戦の決勝に残れるくらいにはなることができました。大月と初めて出会ったのは、この中学2年生の時の新人戦でした。ちょうど幅跳びの予選で試技順が前後で、決勝でまた再会したのを覚えています。彼が覚えてるかは知りませんが。中学3年では今でも自己ベストの記録を県大会で出して、中学陸上を終えました。高校陸上は本当に特に書くことがないくらい何もなかったです。高校一年生の時、足首の骨折をしてからずるずるそのまま怪我引きずり、軽い肉離れなどを繰り返し、最後の最後まで記録が伸びませんでした。今思えば、中三〜高一くらいが全盛期だったのかもしれません。正直大学で陸上をするつもりは全くありませんでした。グラウンドガイダンスに行った時は一丁前に「ほぼ陸上部に入ります!」などと言ったものの、本当はほぼほぼ入る気持ちはなかったです。すいませんでした。ところがなんででしょう。結局陸上部に入り、フィールドブログを書き、七大戦までエントリーしているではありませんか。入学前には全く想像もつかなったことです。ブログを書きながら入部した理由を考えてみたのですが、やはり高校時代何も残せなかった悔しさが大きかったと思います。ですが、それよりも大きな入部した理由があります。初めて部活動体験に行った日、あの日のフィールドパートの雰囲気で最後は入部を決めました。今思えば結構大きな決断でしたが、全く後悔などしていませんし、大正解の選択肢を選んだと思っています。
軽く今までの陸上人生を振り返りましたが、ここからは本題の七大戦について、書きたいと思います。大学初戦で出た久留米の大会では、恥ずかしながら中二の自分に敗北する結果を残してしまったので、七大戦で上書き保存しようと思います。三段跳は人生初の13m板で正直かなりビビってます。なんとかして砂場に入ります。色々考えてたら跳べないので、何も考えず、雰囲気に任せて走って三歩跳ぶだけと思って頑張ります。もとより跳躍種目は楽しいから、面白そうだからという理由でやっているので、七大戦というお祭り雰囲気を、そして何より、跳躍種目を楽しみながら跳んできます。
そして最後に4年生方に向けて、今思えばとてもとても短い間でしたが本当にお世話になったと思っています。特にお世話になった山田先輩、さとぼぉ先輩に一言ずつ感謝の言葉を書きたいと思います。
山田先輩は一番最初に話した先輩だと記憶しています。細かい動き一つ一つを分析して、直向きに努力する姿は本当にかっこよかったです。ビッグジャンプ期待しています。
さとぼぉ先輩は最初怖い先輩かと思いましたが、そんな誤解はすぐに解け、頼り甲斐のあるパート長で、個性強めなフィールドパートをまとめることができる本当にすごい先輩だと思います。
続きまして、フィールドパート1年の紅一点、土井さん、お願いします!
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