桂@迷ったら、GO!
大月君からご指名をいただきました、フィールドパートに所属しているのに、今年出た試合が
110mハードルだけの謎キャラ?、桂和弘です。もう、「クリスマスが~」とか「年末が~」という言
葉が周りから聞こえてきて大学生に入ってからの時間が過ぎる速さに驚かされています。今思え
ば、一瞬のように感じる2024年も色々あった一年でした。なんといっても受験生→大学生になっ
たので僕にとってめちゃくちゃ大きな変化でした。そんな変化があった2024年を振り返ってみよう
と思います。今年がはじまったばかりのころ、僕は共通テストにむけてとにかく勉強していたのを
覚えています。浪人していたこともあり(←これ言うのn回目)、あとがなくてとにかく怖かったです
ね。受験に使う化学で、知っていることがフェノールの構造式だけで完全にあきらめ状態で臨ん
だ現役時代にくらべて10倍くらい緊張しました、、、。そんな状態でしたが生粋の「陸上ヲタ」で
あった僕は1月1日のニューイヤー駅伝、1月2日、3日の箱根駅伝と共通テスト直前の超大事な
時間を陸上観戦に捧げてしまいました(さすがに現地には行ってないよ!)。共通テストを終えた
あとはあっという間に二次試験がきてしまいました。二次試験の時に初めて、完全に異国の福岡
に来たので完全にアウェイな感じで試験に臨みましたが、なんとか最後までがんばり抜くことがで
きました(全く手がつかなかった化学がめちゃくちゃ気がかりではあったものの)。二次試験から
合格までの二週間はもどかしかったし、とても長く感じました。なぜだかわからないけれどこの期
間はずっとマリオカート8DXをやっていた気がします。そんなこんなで過ごしているうちに合格発
表の日が来てしまいました。正午の発表でしたが、この日は朝起きた時から気が気でなかったで
す。合格発表ページを開くときは手が震えてうまくスマホを操作できなかったのを覚えています。
いざ番号を見てみると自分の番号があって、うれしさを感じるよりもまず、安心しました。あの地
獄(浪人)からやっと解放されるということへの安堵がすごかったです。ちなみにですが、点数開
示を入学した後に見たとき僕は最低点からたった2.5点という位置にいたことを知りました。これ
は共通テストの現代文の8点問題を一つでもはずしていたら(その所を一つでもマークミスしてい
たら)九大陸上部員として、今、こんな風にブログを書くこともなかったということを意味していま
す。人生って本当にギリギリの所で成り立っているんですねえ、、、、。晴れて九大陸上部に入部
して練習するようになってからは本当に充実した生活を送れていると感じています。なぜなら、浪
人しているときもずっとしたいと思いながら我慢していた陸上競技にこころゆくまで取り組めるか
ら!約二年ぶりにスパイクを履いたあの時の高揚感は忘れられません。ここからは大学に入学し
てからについて振り返っていこうと思います。
4月。陸上部の先輩や同期、学科の友達との新しい出会いがあって「新生活の始まり」を感じまし
た。基本的に九大で出会う人は西日本の人ばかりなので東日本出身の僕にとって新鮮に感じる
ことも多かったです。(特に方言。最初は意味が分からなかった方言もたくさんあった。)陸上の方
はというとブランクがありすぎて、全体練習を完全にこなすことはできずに、自分で別メニュー的
な感じですることが多かった気がします。)
5月。ブランクをある程度取り戻すことができて後半の時期くらいからは全体練習に完全について
いけるようになった気がします。たしかこのくらいの時期からスパイクを履き始めることができまし
た。
6月。参加標準記録を切っていたのに、陸協登録と学連登録を忘れていたので群馬県選手権に
出られなくて残念な思いをしました、、、(今は必要な登録は終わってるので来年は絶対に出る
ぞ!)。また月末に七大戦の選考会がありました。技術不足(主に助走の足をあわせる技術)が
祟って、幅跳びの選手に入ることは出来ませんでした(勝負事なので負けた時はやっぱり悔し
かった。)。しかし、たまたま110mハードルの枠が空いていた、かつ、高校時代に八種競技の中
で経験したことがあったということで110mハードルで七大戦を走らせてもらえることになりました。
ここからハードルの練習をちゃんと始めました。
7月。七大戦の出番が110mハードルだけであったということもあり、基本的に110mハードルの練
習だけをしようと思っていました。しかし、7月6日に事件は起きてしまいました、、、。いつも通り
ハードルの練習をして、いつも通り右足でとんでリード足である左足で着地しようとしたとき、バラ
ンスを少し崩して変な角度から左足が地面につきました。その瞬間、左足首に激痛が走りまし
た。高校の時は一度も怪我したことがなかっただけに、このような事態にはかなり動揺しました。
結局この怪我のせいで、半月はまともに走ることができなかったです(このブログを書いている現
在も、この怪我は治っておらず、その影響で全体練習に参加できていないという、、、、)。また、と
どめをさされるかのように七大戦の10日前には39℃くらいの熱が出る風邪を引いてしまい、体重
が3kg以上落ちてしまうなど、最悪のコンディションで本番を迎えることとなってしまいました。結
果はというと予想通り、大爆死をしてしまいました。まあ、周りより1年ブランクがあって、怪我を抱
えていて、病み上がりともなれば当然の結果とも言えますね。最初の七大戦はとても悔しい思い
で終わる形となってしまいました。ただこの経験によってより一層、陸上競技に対する情熱を得る
ことができました。
8月。とにかく暑さに弱くなっているなと感じた月でした。福岡の夏は僕の故郷のグンマ―ほどは
気温が高くないとはいえ、海が近く湿度が高くてグンマ―の夏と同じかそれ以上に暑く感じまし
た。しかし、その事実を踏まえたとしても高校の時よりも断然すぐにバテてしまうようになってしま
いました(高校の時は気温38℃の中、500m×8とかできたのに、、、)。ここでもブランクの大きさを
感じさせられてしまって悔しい思いをすることとなりました。ちなみに左足首の怪我はテーピング
でごまかして練習を進めていました(今思えば8月に完全休養して治しておいたほうが良かったの
かも)。
9月。自動車免許をグンマ―でとることになっていたので部活にはほとんど出れませんでした(ち
なみにブログを書いている現在も本試験に受かってないのでまだ免許持っていません、、、。11
月中にとりたいところだ、、、!)。けれども、車校の合間を縫って近くの陸上競技場へ頻繁に走り
にいったりしていたので、部活がある時と変わらない位には体を動かせていたとは思います
(やっぱり左足首の怪我はテーピングでごまかしてた)。この取り組みが功を奏したのか福岡に
帰ってきてすぐあったCS陸上では110mハードルで高校時代に出したPBにあと0.02秒のところま
で迫ることができました。
10月。長崎で開催された新人大会にでました。この大会では110mハードルと走り幅跳びにエント
リーしていました。まず110mハードルに出ました。ハードルに当たりまくってしまい、バランスを崩
しながらのレースだったので記録には期待していませんでしたが、蓋を開けてみるとPBを上回っ
ていたので驚きました。しかし追い風参考となってしまったのでめちゃくちゃ萎えて虚無ってしまい
ました。また左足首の痛みが悪化してしまい、踏切足が左足である走り幅跳びは棄権することに
なりました。ハードル:非公認記録、幅跳び:棄権。マジで何のために島原まで行ったんだ
か、、、って感じですね。ちなみに走り幅跳びは今年はこの大会にしかエントリーしていなかった
ので、これにてフィールド種目に一度も出てないフィールドパートの人間(もはや幽霊部員のよう)
が誕生してしまいました。
11月(このブログを書いているとき)。あと少しで、110mハードルで九大10傑に入れそうであった
ということで、九大十傑入りへの今シーズン最後の望みをかけて、熊本の記録会に一人で乗り込
んできました。しかし、台風が一番ヤバい日に当たってしまったということもあり、天気は最悪。中
学、高校とたくさん試合に出てきましたが、あれほどの悪天の中走るのは初めてでした(ちなみに
僕が走り終わって、30分くらいしたら雨が止みやがったんですよ!新人大会のときも僕が走って
るときは雨がふってたのに、少ししたら雨が止むってこともあって。僕、雨男なのか?)。ちなみに
結果はというと、大爆死でしたね。まあ、雨がヤバすぎていつもの2分の1以下くらいしかアップを
行えなかったのでレースで体が全く動かず、後半にガン垂れしたというのは当然なのかもしれな
いですね。最悪と言って良いほどの形でシーズンが終了してしまったので、レースが終わったそ
の日は陸上競技へのモチベ≒0になりましたが、生粋の陸上ヲタなので、一晩寝たらモチベを取
り戻せました。最近はそのモチベを元に、ウェイトトレーニングに励んでいます。高校時代に逃げ
続けただけあって、今はクソザコですが、成長を日々感じられて、すごく励みになっています。そ
れにしても、フィールドの先輩方は皆、ウェイトトレーニングへの情熱があって色々教えてくださる
ので本当に尊敬すべき存在ですね!僕もそんな存在を目指してこれからの冬季はウェイトトレー
ニングを頑張っていきたいですね。
12月。????????????(とりあえず、クリパしたい。)
てな感じで僕の大学入ってから今までの振り返りは終わりです。やっぱり、シーズン中盤から終
盤まで左足首の怪我に苦しめられたシーズンだったという印象が強いですね。怪我とは今年でお
別れするためにも、もどかしい気持ちはあるけれど今は走らずに、ウェイトトレーニングに励みな
がら治癒させていこうと思います。年末にはある程度、怪我も治り全体練習に参加できるように
なっていることを願って。
2024年の振り返りをしたところで、次は2025年の目標などについて語っていこうと思います。
走り幅跳び→◎九大十傑入り(6m94cm以上)
◎七大戦に対抗選手として出て入賞
◎群馬県選手権で入賞(6月までに標準記録6m60cmを超える必要有)
ハードル →◎14秒台突入
◎西日本インカレB標準(15.20)を群馬県選手権で切る
◎七大戦で3位以内
その他 →◎とにかく怪我せずにシーズンを終える
◎400mにも挑戦して50秒を切る(PBを1.01秒以上更新したい)
◎シーズンに入っても週2以上でウェイトトレーニングをする。
目標はこんな感じです。どれも、自分にとって達成するのはそう簡単にはいかないものばかりで
す(「怪我をしない」という目標が、地味に見えてけっこうムズイ気もする)。けれど、これからの冬
季練習のがんばり次第では、決して達成できないものでは無いと思っています。だからこそ、ウェ
イトトレーニングで基礎体力を上げつつ、冬季はとにかく頑張っていこうと思います。また、シーズ
ンに入っても、とにかく挑戦する気概を忘れることなく練習に励んでいきたいです(ウェイトトレー
ニングを始めることは今年の僕にとっては”挑戦”でした)。今ある陸上競技への情熱、来年も燃や
し続けるぞ!!
最後に、題名「迷ったら、GO!」について話して僕の文章を終えたいと思います。これは僕の母
校ではない、グンマ―のとある高校の陸上部の横断幕に書かれているフレーズです。これには、
言葉通り、「迷うことがもしあっても、行動することをためらわずに挑戦していこう!」というような
意味があるらしいです。この言葉に対して僕は感じるものがあります。なぜなら、これからどんど
ん新しいことに挑戦していきたいと思ってるからです。だからこそ、これから挑戦に伴い大変なこ
とが増えるであろうとしても、やってみたいという気持ちが自分の中にあるのなら、「迷ったら、GO
!」の精神でいきたいと思ってこのブログの題名としました。
以上で、僕の文章を終わりとします。長い文章を最後までありがとうございました。次のブログを
書くのは、高跳びを専門としながら800mやマイルリレーにも挑戦しているマルチアスリート、土井
さんです!よろしくお願いします!
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