矢木@いつかの今日と、この日のためのこの日と、あの日誓った10センチ
おはようございます。森君から指名いただきました、フィールドパートさわやかお兄さん担当兼未来の王になる矢木聖一朗です。記録をミリ表記しているのは単位が大きいとすごそうに見えるからっていう理由なんですけどキロ表記されるとあまりにもしょぼいですね。しょぼく見られないくらいの記録を目指します。
去年やりすぎたので反省して今年はだいぶ控えてます。4年の時に下手したら前後編になる気がしちゃうのでね。
何てこと書いてたんですけどね。書き上げるとありえない量になってたので大幅カットして、タイトルについてだけ語ろうかなって思います。あ、意気込みと4年生へのメッセージもあった。
おそらく今回はわかる人にはわかるのレベルを超えて誰にもわかんねーんじゃねぇかなと思います。これは僕が2000を超えた時に絶対使おうって決めてたテーマですね。まず日にちを入れて、3つのパートがあるのは仮面ライダーオーズの最終話のタイトル(「明日とメダルとつかむ腕」)に寄せてみた感じですね。すごく好きな話なのと、なんとなくこの高さを超えた瞬間から僕の陸上生活最終章に入っていくんだろうなって感じたからです。「いつかの今日」と「この日」、そして「あの日」それぞれ話したいなと思います。ちなみに頑張って少なくしますがたぶん多くなります。暇なときにでも読んでくだぁさい。
①「いつかの今日」:驚くことに3年前の今日、僕は高校陸上を終えました。とても面白い話なのですが予定だと2日早くに上がるはずだったんですがね。いろいろあってちょうど3年経った今日書けるのは何かのめぐりあわせなのかもしれないです。
国体最終選考会:記録1.8m。
最後の最後まで終わりを受け入れなかったことを覚えています。あきらめられず次につながらないとわかっている五県の出場もしようとしていました。言葉じゃ言い表せないほどつらかったです。頭の中は「オワッタ」という言葉と「どうしたらいい?これから僕には何があるんだろう?」という漠然とした不安感でいっぱいでした。何度もそこらじゅうで言ってきてますが、この時には分離症がひどすぎて立っているのもやっとで、とても歩くことすらままならないような状態でした。そんななか何とか跳んだ1.8m。拍手をしてあげたっていい。今のこの痛みがなくなれば、絶対跳べます、と何度も言っていました。そんななか、長い高校生活で初めてボスから怒られました。
「ちゃんとしろ、現実を見ろ」って。
はい、そんなのわかってました。痛みが取れるのはまだまだ先だってこと(実際は大学一年の夏休みまでかかってます)も、シーズンの記録が明らかに足りないことも、それに、もう証明することのできる試合は終わってるってことも。
ほんとは7月になっても一つも痛みが取れないから諦めきって最後の試合を笑顔で終わる予定でした。
「やっぱり痛くて全然跳べませんでした。3年間ありがとうございました」
ってお礼をする気でいました。
でも、できなかったです。最後の最後まで目標を目指さずにいられませんでした。自分への可能性を信じずにはいられませんでした。
だからこそ、ボスから叱られたんだと思います。本当につらい思いで叱ってくれたんだと思います。いつもは低音でどっしりとした圧のある声が、その日は珍しく圧を感じなかったです。サングラスからでもわかる眼圧もその時はなかったです。ふと気になってなんとなく自分がその時震えた言葉リストを見返したらこんな言葉がありました。
「これから毎朝、朝練をしに来るお前の声が聞こえんと早起きも面倒くさいわ」
もったいないくらい嬉しいお言葉です。ボスから聞いた言葉の中で一番心が震えました。
「弱いなら継続しろ、それが武器になって、そしてきっと最後の最後に必ず支えてくれるから」って高1の時に言われて以来、長期休みで学校が使えないとき以外はテスト期間でも関係なく、独りぼっちでも関係なく朝練をしてました。一番認められたい存在に最後の最後に認められたようなことを言われ、2年ぶりに言葉を回収してくれました。その瞬間あふれる涙はあえてこらえませんでした。ここで出しきらなきゃ本当に諦められない気がしましたから。100のゴールラインでのやり取りだったのでレースが終わる選手たちにすごい困惑され続けたのを覚えてます。恥ずかしいけれど誇らしかったです。この時最後の最後に言われた、2メートル跳んだ報告はいつだって待ってるから急がずまずは大学生になりなさいって言葉が実は大学陸上を続けるって確定した瞬間です。みんなからは当然大学でも続けるだろうと思われてましたが、実はあんまりつづけるきもなかったです。正直幸せな瞬間はほとんどなかったので。ボスからの呪いの言葉で今では良いメンバーに囲まれて楽しく続けられてるんだから人生って面白いですね(^^)
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正直どこでこんな大間違いをしたんだろうってずっと答えの出ないまま苦しんだ2022シーズンでした。答えは初めからわかっていたのかもしれません。たぶん、何もかも信じてなかったんだと思います。この時は自分すら信じることができなかったので。何が正解なのかもわからないまま過ぎていく日々が怖かったです。
この前の春休みに、友達から聞いた話なんですが、友達の父(東高の先生)が廊下ですれ違う僕を見たときに「人でも殺すんじゃないかってくらいの目つきしてた」って当時言われてたらしいです。本当に限界だったんでしょう。今となっては昔話なんですけどね。
回想シーンは終わりにして今に戻りましょうか。
さて、3年経った今年の国体最終選考の記録はというとずばり、
記録なし、ついでに国スポ選手団選考漏れ(29人中の30番手)
でした。この書き方でダメなんかい!!って感じですよね。僕もそう思います。あまりにもブログ執筆がタイムリーなのと、うまくいかないわけないと思ってたのでこの先は書けません。正直今でも頭の中ごちゃごちゃでどうしたらいいのかわからないので。来年の僕の最後の七大ブログでここについてはしっかり書きます。
もう少しだけ、この試合の意味とその日の出来事に向き合うまでの時間をください。ごめんなさい。
必ず乗り越えます。
②「この日のためのこの日」:これは僕の尊敬する人が言っていた言葉の始まりですね。「この日のために頑張ってきた。この日って本当に来るんだな」ってのが全文です。盲目の水泳選手で木村敬一さんという方が、4大会目の東京オリンピックで初めて金メダルを獲得したときに言った言葉で、本当に勇気をもらいました。というかテレビ中継で自分とほとんど縁がない(いっぽうてきな縁)人の姿に初めて感動して涙が出ました。
もちろん彼が僕とは比べ物にならない世界レベルの領域で、本当に悔しい思いをずーっとしてきていることを知っていたというのが大きいです。
ピークを越えているのにもかかわらず、小学校の時にお会いした時とは比べ物にならない程の体つきで試合に臨んでいく木村さんの見えない努力と、金メダル獲得後の涙を流す姿をみて、いつか自分もそこまでのめり込めるようなものに出会いたい、そして乗り越える喜びを誰かと分かち合いたいと思うようになりました。
今僕は高跳びというのめり込めるものに出会えました。良い仲間にも恵まれ続けています。そしてようやく彼の言葉を使うための第一歩に踏み込みました。というより、一度目のこの日が来ました。それは次のセクションで話したいですね。僕の話で彼を邪魔したくはないので。ただ、1度目は心に決めた、自分とのこの日、そして2度目に決めるこの日は、当時の彼がそうであったように僕も誰かに伝え、その日の感動を分かち合うために、ここに書きます。
来る2026年度、僕は選手として全カレ出場を決め、主将として七大戦初の九大総合優勝に導きます。
これらが達成できたとき、「この日のためにがんばってきたこの日って、本当に来るんだな」って絶対言います。
でも忘れないでください。これは、僕だけの目標じゃないからね。皆で達成する目標だからね。誰かだけに言ってるわけでも、自分だけに言い聞かせてるわけでもない。皆で達成するよ。だから、絶対言います、ってのはちがいますね。絶対言わせてくださいね(^^)
③「あの日誓った10㎝」:これは結構な人がわかるんじゃないですかね。
僕の前に立ちはだかりつづけた3つの10cm。高2で出した記録に10㎝足りない高3シーズン、その10㎝を跳べれば行けたインハイ、そして超えると豪語してきた2mまでの距離。たくさんの意味があります。僕の持ちうる全ての戦略力、忍耐力、食力、筋力、走力、跳躍力、そして精神力を捧げても届かなかったこの10㎝という距離は、短いようで永遠にも思えるほど遠いものでした。正直届かないんじゃないかと何度も何度も思い続けてました。
でも、行けちゃう日が来るんですよね。僕にとってはそれが春インでした。これが先に言ったこの日です。
今でも振り返ります。なんであの時跳べたんだろうって。
もちろん肉体や色々な要因が噛み合ったことは間違いないです。終わった日は一日中体中が痛くて寝れたもんじゃなかったですから。でも、2000を超えたあの瞬間だけは、限界を明らかに超えた感覚がありました。ミスるわけないという自信と光って見えた助走路と目線。たぶん、皆が見せてくれた景色なんだと思います。
決してひとりじゃたどり着けない景色でした。皆の手拍子に、返事に押されるようにして振り出した足でした。皆の競技の姿と、それら全部を力に変えるマインドがありました。
だから跳べた、というより跳ばせてもらったというほうが正しいのかもしれません。ことあるごとに言ってきてますが、何度でも言います。
ありがとうございます
もはやどの10㎝も過ぎた過去になってしまった今、僕の競技人生のピークであり、最後の壁への挑戦が正式に始まりました。それが
全カレ出場
です。正直これまで言ってきた全カレとこれからのそれとはまったく意味も、重さも変わります。今までは空を切る程遠かったものは、今確実に見えるところにあります。届いてはないんですけどね。だから絶対届かせます。だからこそ重みが変わりました。もう現在進行形で起きている悲劇は繰り返させません。
だからもう一度誓います。これが最後の10㎝の誓いです。絶対過ぎた過去にはしません。
てな感じでタイトルの話をしてみました。正直僕はこれでも十分上がってます。でも、この誓いや目標って、七大戦じゃないですよね。僕はまだ一度も七大戦の意気込みなんて書いてませんし。てことでちゃんと書きます。
意気込み:「みんな、僕を終わったままで終わらせないでください」
ズバリこれですね。正直、向き合えないほど大きなショックから立ち直れてはいません。今は向き合わないことでショックを与えないようにしてるだけです。気を抜けばいつでも鬱になれるし、ネガティブをふりまけます。
要は自分の人生にツカレタ状態です。足を引っ張らないようにするのが精一杯です、跳べるビジョンなんて一つも見えません。
でも、終わったままで終わるなんて絶対嫌です。わがままですね。そりゃあ去年の悔しさもありますから。ここで自分をあきらめたくはないです。だから、春インは僕が(勝手に)全部背負ったように、今度は皆が僕を背負ってください。ひとりひとりが僕を上に持ち上げてください。それには必ず応えます。そのために僕は最善の最終悪あがきをします。信じててください。
目標の順位も、記録もありません。信じてくれる皆にかならず応えること。それが、去年自分にできなくて、今僕がしなければいけないリベンジです。
なんか、アツくなっちゃいました。大満足。てことで4年生へのメッセージですね。何気に去年からはじめてこの流れが続いてるの嬉しいです。去年は応援100だったけど、今回は僕がいつものトーンで書きますね。たぶん結局応援しちゃうから。
河野さん:やっぱり去年の一年生抜きの一年生歓迎会ですね。これはさすがに女のにおいを感じざるを得ない部屋でした。思えばこの時からフィールドパート大たわけ時代は始まっていたのかもしれません。高校時代の半端ない跳躍をもう一度見れると信じてます。オープンで最高にぶち上げてください!!あと何気にサトチャンVS健一さんVS河野さんの02生まれ対決楽しみにしてます(^^)
ちゅちちさん:さすが共創学部の先輩って感じです。わが道をしっかり進んでいるのに僕らの練習はいつも見てくれてて(なんなら僕の練習のいいねRTAトップ3常連)、やっぱり変な人だなと思いました。でも、ちゃんと見るべきところは見れてて、和知さんが最後までいてくれたのはちゅちちさんが帰ってくるからなんだろうなって思ってました。なんだって終わり良ければ総て良しなんです。最後の最後に6超えましょう。絶対できます。だって皆が程度の違いはあれど、ちゅちちさんの苦しさや、ベストが出ないのに続ける苦しさを知ってるんだもん。そんなみんなが応援してるんだからできます。そして、僕らのボルテージを最高にぶち上げる最初の競技にしてくださいね(^^)
廉君:昔は幅跳びガチ勢の人だと思ったら本当は合法セクハラタンクトップマスターでした(皆の読むと僕および全員に筋肉扱いされてて草)。なんかいつの間にか幅だけじゃなくてリレーとか100の対抗とか奪ってるし、普通に反則だろって感じです。昔はいい戦いができるときもありましたがもうすっかり離されてしまいましたね。1年の時は張り合えてたのに2年3年になるにつれて遠く離されて行くのが正直憂鬱でたまりませんでした。廉君はいつも僕を強い人間として見てくれますが全然そんなことありません。自分の記録でこんなにも強い人から認められてるのが誇らしくも、劣等感を感じる瞬間でした。でもようやく廉君の期待にこたえつつあります。そして、廉君もこの前僕の期待に応えてくれました。一緒に西カレで大暴れしましょう。七大でもう一度競い合いましょう。足攣ったとか笑える最後はなしですからね。
3年間僕を上に引っ張り続けてくれた廉君にだからこそできるお願いです。僕の背中は皆が押してくれるので、廉君は最後の最後にもう一度僕を引っ張ってください。
わちさん:たくさんお世話になりました。お互いたくさん悩みましたね。とはいえ僕と悩んだのは和知さんのほんの一部でしかないんでしょうが。理論的な話をしっかり勉強して、だからこそ悩みながら作るメニュー会議はとても楽しかったです。感覚を理詰めで正解にしようとする僕とは根本的に違う考えで「なるほど」となることがたくさんありました。ウエイトなんて勉強になることばかりで何も還元できないのが申し訳ないくらいでした。
人にちょっかいかけたり、にぎやかしたりして雰囲気を和ませてくれる和知さんだからこそ、僕は厳しい人間として動くことができました。
一緒に悩んで一緒に作ってきた和知時代。皆が大幅にベストを出す中、和知さんだけが大爆発を起こせてないのは、ご自身でも気づいていると思います。
裏で、僕がプレッシャーをかけてくるのが迷惑って言ってたのは何度か聞いてます。それもこれも次の一言を言うための布石でしたから。今から死ぬほどプレッシャーかけます。読みたくないならとばしてください。
初心者だからとか、ケガしてるからとか、アツさでバテたからとか、どんないいわけも認めません。最後の最後に、幅跳びの対抗選手として、九大陸上部フィールドパート長として、そして和知陸斗として、絶対に、大幅ベストで、九大に得点を持って帰ってきてください。できなかったらしゃーなし僕が和知さんの4年間を肯定する結果を持ち帰ってきます。1年間ありがとうございます。
やめてほしくないので最後に一つだけ。もちろんMでも続けますよね?
こーんな感じで僕のブログは締めよかなと思います。今年は少しくらいアツくできましたかね?毎年この時期は死ぬほどネガティブなので不安です。
ま、次のバトンを渡す相手が彼なら問題ないか。我らが同期4人組が誇る、未だに自分がムチムチドスケベボディであるという自覚(ムチの知)のない山ちゃんですからね。
去年は早すぎる意気込みだったもんね、頼むよ。
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