マル@七大戦への道と失った愛の蘇り
皆さん初めまして。
中條愛登さんの言った通り、ドイツから来た交換留学生、マーガ・マルセル‐ジュリエンです。ドイツ人として下の名前が二つありますが、マルと呼んでください。
現在、九大で日本語・日本文化研修コース(JLCC)の交換留学生の特別なプログラムを受講していますが、健康・スポーツ科学の修士課程に入ることを目指しています。交換留学生として日本語のブログを書くのは初めてなので、変な日本語を使い、間違いもあるかもしれないので、許してください。笑
本ブログに良い記事を書くように頑張ります。よろしくお願いします。
さてと、七大戦ですね。。。なぜ俺が出るかと自分に聞いたら、色々な考えが頭に浮かびますね。実は、私の最後の陸上大会は7年前ぐらいで、もう大会に出たくないと決めました。。。
私はドイツのミュンヘンの近くにある小さな村に住んでいて、すごく小っちゃい陸上チームのメンバーなんです。アッ、ドイツでは学校や大学などのスポーツ部活はないと伝えるべきですね。普通に地域のチームに入らなきゃいけません。それで、大会に出るときに、ファンや選手を応援する人などが全くいなくて、盛り上がらない状態がよくありました。
その上に、小っちゃいチームだからこそ、トレーナーがたいてい一人しかいません。それで、練習をしにトレーニングに行った時に自分の練習ができなくて、主に子供を指導しました。なんか、だんだんやる気を失いました。
じゃー、現在に戻ってみましょう。何が変わりましたか。。。フーン
去年の九月に日本に来た時に、留学を心から楽しみにして、スポーツいっぱいやりたいと思いましたが、スパイクを持ってこようと思わない程陸上に興味ありませんでした。それで、バド愛というバドミントンサークルに入りました。それが後で私の運命の分かれ道になったんです。バドミントンと筋トレをよくして楽しんだが、時々筋トレ室から九大陸上競技部が見え、陸上が私の心に残した苦しい空虚感が蘇りました。やっぱり心の奥底で陸上が好きだと私は気が付きました。
ある運命の土曜日に、陸上競技部のフィールドパートの皆さんが筋トレ室に来ました。でも、自分の日本語に自信をあまり持てず外国人として、話しかけたかったのに、できませんでした。3年生の山田さんはスクワットをして、バランスが取れませんでした。バーにあるウェイトを見て、左と右のウェイトが異なっていると気づき、そこで、話しかけるチャンス到来でした。勇気を奮い起こして、話しかけました。ウェイトの問題を伝えた後で、もう少し話していて、山田さんに部活の練習に誘われました。それで、次の練習に参加しました。
最初から、皆さんがとても優しかったおかげで、早く仲良くになったと思います。私の小っちゃいチームと比べると、陸上競技部の練習が少なくとも倍ぐらい厳しくて、皆ばけものじゃないかと思いました。ようやく本物の練習ができて、私はとても幸せでした。しかし、長くは続きませんでした。授業が多くて、宿題、発表、試験が集中して、不規則に練習に参加しました。春休みが来ました。北海道でスキーをしに行って、足の腱炎を起こしました。「一か月間ぐらいの休息が必要だ」とお医者さんに言われました。やる気はまたばらつきが大きかったですが、休息が終わりに近づくにつれて、私のモチベーションもまた上がってきました。それで、運命の分かれ道が私の目の前に現れました。
3月18日、バド愛サークルの練習がないはずの日に、バスケットボールサークルがキャンセルしたおかげで、バド愛が今津体育館に入れました。急だったので人数が少ないバドミントン楽しみました。「人数が少ないけん、バスケットボールやろう」との提案があって、皆がだんだんバスケットボールをやり始めたので、バスケットボールが大嫌いな私もしぶしぶ参加しました。
突然。。。アクシデント!!!
ジャンプして、足を捻ったんです。。。あり得ません。。。
診断:骨折。。。
治癒過程:少なくとも3か月間
練習:無理
スポーツができない場合落ち込むタイプなので、私の精神にかなり大きい影響を与えました。だからこそ、骨折からわずか10日でなって筋トレを始めました。上体の筋トレ以外、何もできなかったからです。何日も何週間も過ぎたのに、まだ落ち込んでいました。しかし、5月に全てが変わったのです。
場所は久留米市。インカレ大会。まだ落ち込んでいて、はたして楽しめるだろうかと迷っていたのに、応援しに行きました。この雰囲気、その場に漂っている緊張感、選手たちの気合、観覧席からの声援、誠に素晴らしい。。。
それはまさに、私の心が何年もずっと望んだ感覚でした。出られなくても、三日間すべて久留米市に行くつもりがなかったのに、九大陸上部選手のため、毎日応援しに行きました。いいや、ちょっと違うかもしれません。むしろ自分の心を癒すように行きました。日焼け、雨、骨折の痛み、何も構いませんでした。私はただその場にいて、1分1秒に浸っていたかったです。その時にも陸上部の皆さんとの関係が緊密になったと思いますが、私にとても大切な経験になりました。その三日間、悪い天気にもかかわらず気合のある努力していた九大陸上競技部の選手たち、声援するためにいた仲間、迫力のある戦いを演出してくれた他大学の学生たち、皆さんのおかげで、まるで何年も前に失った陸上競技への愛が、再び燃え上がったかのようでした。そして、あり得ないと思っていたのに、また自分も大会に出たいという気持ちまで与えてくれたました。心から感謝しています。
その経験をした直後に七大戦に出たいと決意しました。しかし、足は七大戦までにどうなりますか。治るか、七大戦に出られるか、こうした心配は今、私の頭の中にあります。私はどんな種目に出たいかという問題についてもフィールドの皆さんと相談しました。それで、100mOP、走り幅跳びOP、そして。。。どうしてこんなことになったのか分かりませんが、私が一番嫌いな種目400m、まぁ、厳密に言えばマイルOPに出ます。なんか説得されました。。。ハッハッハ
でも現在には、まだ骨折のリハビリに努め、練習も始めていません。計画通りに進めば、7月から、ちゃんと練習を始められるはずです。七大戦までに3週間しか残っていないので、ちょっと不安がありますが、まぁ、しょうがないですね。まずは健康、次は練習。その怪我のせいで、非凡なパフォーマンスも期待していません。まぁ、私が得意な種目というのはないんですけどね。むしろ逆です。オールラウンダーと呼ばれてもいいですよ。ドイツで私の最後の大会は十種競技でしたが、肩の怪我のせいでやり投げと円盤投げを痛みなく投げられないようになりました。
それにしても、目的はあります。練習なしで達せないかもしれませんが、皆と一緒に頑張りたいと思います。100mの自己ベストは10秒95ですが、11秒50だったら満足です。走り幅跳びの自己ベストは。。。分かりません ハッハッハ 6mは今まで越えなかったと思います。下手くそだからです。いつか7mを越えたいんですが、七大戦で6m50に目指しています。そして最後にマイルですね。。。400m。。。第一の最も大切な目的は死なないように、生き残ることです。第二の目的はアンカーとして努力を見せて、恥ずかしくないレースをしたいです。そして、出来れば、55秒台を出したいです。
うわー!思ったより長くなりました。。。
私の話をここまで読んでくれた人に感謝します。皆さんがいなければ、たぶん陸上競技の愛を戻せなかったかもしれません。陸上競技部の勇気を持つ皆さんたちともっと楽しい時間を過ごしたいし、七大戦で全力頑張りたいです。
勝つか、負けるか、それは大切ではありません。自分より優れた選手が必ずいます。その人たちと常に自分を比較するのではなくて、その人たちを自分のベストを超えるための刺激にするべきだと思います。もちろん、勝つことは楽しいが、自分に勝つ、全力行って、胸を張って、情けない大会にならないように最後までファイトしましょう。
歓声を力に、限界まで行って、自分のすべてを出し切りましょう。
次は、一年生のトップバッター鵜木優羽さんの出番です。どんなブログになるんでしょう⁈待ちきれません。読者様もお楽しみ下さい。
0コメント