九州大学陸上競技部  フィールドパート

こんにちは!

九州大学陸上競技部フィールドパートです!


このHPではメンバーや日々の活動、大会の結果等々を紹介しています。

また、新入部員を随時募集しています。男女はもちろん、経験未経験も問いません。

興味のある方はぜひ見学に来てください!!みなさんとグラウンドで会えるのを楽しみにしています!


MENBER

4年生

中條 愛登(ちゅうじょう まなと)

走幅跳 6m13

出身校 高松(香川)

和知 陸斗(わち りくと)

走幅跳 6m76

棒高跳 2m60

砲丸投 7m24

出身校 山口(山口)

河野 隼人(かわの はやと)

走幅跳 7m09

出身校 春日(福岡)

福寺 航大(ふくてら こうた)

三段跳 

出身校 津山(岡山)

夏目 廉太郎(なつめ れんたろう) 

走幅跳 7m35

出身校 時習館(愛知)

3年生

鵜木 優羽(うのき ゆう)

走高跳 155cm

出身校 東筑(福岡)

小野 慧大(おの けいた)

走幅跳 5m18

出身校 久留米附設(福岡)

三井 百萌(みつい ももえ)

走幅跳 4m95

出身校 広島大学附属(広島)

森 優和(もり ひろかず)

三段跳 13m84

出身校 東筑(福岡)

矢木 聖一郎(やぎ せいいちろう)

走高跳 2000mm

出身校 倉吉東(鳥取)

高木 淳匡(たかき あつまさ)

やり投げ 46m93

出身校 都立青山(東京)

山崎 充眞(やまざき みつまさ)

ハンマー投げ 35m29

円盤投げ 31m12

出身校 高岡(富山)

2年生

大月康資 (おおつき こうすけ)

走幅跳 6m74

出身校 岡山操山 (岡山)

淺野 寛仁(あさの ひろひと)

110mH 16"88

400m 53"44 

走幅跳 6m51

三段跳 13m26

出身校 岡山操山(岡山)

桂 和弘(かつら かずひろ)

110mH 15.27

400m 51.00

出身校 県立前橋(群馬)

土井 悠羽(どい ゆう)

走高跳 1m50

800m 2'29"56

出身校 基町(広島)

木下 拓道(きのした たくみ)

三段跳 13m55

出身校 明善(福岡)

1年生

増田央介(ますだおうすけ)

やり投げ 63m21

出身校 掛川西(静岡)

大畑 遥暉(おおはた はるき)

砲丸投げ 6m97

槍投げ 33m01

ハンマー投げ 14m82

800m 2:01.65

3000mSC 12:08.13

出身校 蕨高校(埼玉)

福添 相人(ふくぞえ はると)

三段跳 12m76

出身校 楠隼(鹿児島)

片山悠太(かたやまゆうた)

走幅跳 6m80 

三段跳 13m63

出身校 松山東(愛媛)

渡邊 颯(わたなべ はやて)

砲丸投げ 8m70

出身校 嘉穂(福岡)

田中 旬(たなか しゅん)

走幅跳 6m79

倉吉東(鳥取)

院生

川野賀 大喜(かわのが たいき)

三段跳 14m46

出身校 呉三津田(広島)

栗原 悠里子(くりはら ゆりこ)

200m 32秒35

棒高跳 2m10

出身校 福岡(福岡)

山田 健祐(やまだ けんすけ)

走幅跳 6m39

BIG3 total 535kg

出身校 新宮(福岡)

マーガ・マルセル・ジュリエン

100m 10秒95

砲丸投げ 13m67

出身 ドイツ ミュンヘン

胡 大維

走高跳 180cm

出身 中国


フィールド歴代30傑


フィールドブログについて

みなさんお元気ですか??

フィールドのHPブログについてお知らせします。



時間があるときに是非読んでください。

みんなで頑張ろう!そう思っていただけたら嬉しいです!!

最後のブログはあえて短く書くほうがかっこいと思っているので短くするつもりでしたが、いっぱい書けといわれましたので、めちゃ長く書いてやろうと思います。特にこれまでの九大フィールドパートで関わってきた人たちとのエピソードや事案を名指しで語っていこうと思います。後輩はもちろん、卒業された先輩方も読んでいてくれているといいなと願っています。


入部~初めての七大戦

入部理由はこれまでのブログで何度も言っているので周知であると思いますが、

高校時代は帰宅部で悶々とした日々を過ごしていたので、大学では何かしらのスポーツすることに決めており、そしてサークルの緩い雰囲気は好きじゃないので、運動部に入ろうと思っていましたが、野球、サッカー、バスケは中高からやっていないとついていけないだろうし、テニスはやっていたがあんまり好きじゃないしと、候補は陸上かラクロスか何かかと絞られていました。そんな時にちょうどTwitterで陸上部の公開練習のお知らせを見たので、行ってみることにしました。センターの自転車置き場に行ってみると、それっぽい集団がいたので陸上部か確認して、着いていきました。ちょうどその時に対応していたのがポン吉くんだった気がします。グラウンドに着くと見てみたいパートを聞かれたので、小学校の体育の授業の走高跳を思いだして、フィールドパートを見てみることにしました。するとちょうどペロリも見学をしており、二人でベンチに座って練習を見ることにしました。陸上の知識なんてないので何を見てもいいかわからず、見学というよりかペロリや先輩たちとおしゃべりをしているだけでした。いろんな先輩たちが代わる代わるに話しかけてくれて、すごい居心地がいいなと感じて他の部活を見に行かないで陸上に決めていいかもなと思っていました(さとぼぉだけは話しかけに来てくれなかった気がする)。入部してからは、体を動かすのが楽しいというのもあったが、それ以上にフィールドパートの雰囲気が好きで、同期や先輩たちとおしゃべりしに行こうといったモチベで毎回部活に行っていました。この感情が今でも自分の中での部活の意味ですね。当時はドリルの前に必ず、15分くらい4,5人で輪になってだべりながらストレッチをするのが練習の流れで、その時間が特に好きでした。練習では特にマッツオ先輩、三好先輩とのがちゃんがドリルや走りについてアドバイスをよくしていてくれた気がします。「わちち」というあだ名もその時期くらいに淺田先輩がつけてくれました(最近は呼ぶ人が減ってきて、逆にわちち呼びは微妙な仲の人の呼び名という感じになってきた気がします、、、)。またマッツオ先輩がスプレッドシートに練習の反省を書いたことをほめてくれたこともありました。これが今のインスタの陸上日記の原点かもしれない。他にも太田先輩が七大前にいきなり来て気持ち悪いくらいすごいスピードバウンディングをしたり、赤星先輩と学食で中條は「ちちち」じゃなくて「ちゅちち」だのどうのこうの盛り上がったり、Twitterで下ネタを言ったことで岡田先輩が怒っていると三好先輩がニヤニしながら伝えてきたり、フィールド飲みで河野先輩とさとぼぉが銅像に抱きついたりと短い期間だったけど、四年生と過ごした時間はとても楽しかったです。この代のフィールドパートは本当に4年生が一人一人がみんなカッコよくて、面白くて、優しくて、そんな4年生の人柄でできたフィールドパートの雰囲気が本当に大好きでした。もっと話して、もっと仲良くなりたかったなというここと残りが今でもあるくらいに憧れの先輩たちでした。そんなこんなであっという間に初めての七大戦を迎えました。この七大戦はやっぱり淺田先輩の三段跳びが最も印象に残っています。二本を終えて13m84で9位と追い詰められた状況の三本目で手拍子を求めて14m12を跳んで5位に浮上。この時の手拍子の音、跳んだあとの赤星先輩の「いった!いった!」や周りの歓声はいまでも忘れられないです。中高と真面目に部活をしてこなかったので、こんなにもチームが一丸となって応援するという経験がなく、これまでの部活の価値観が変わった瞬間でした。


~二回目の七大戦

フィールドの4年生は皆就職で、七大後も部活を続ける人はおらず、一気に寂しくなったのを覚えています。なぜか夏休みはそれ以外あんまり覚えてないです。自分の競技としてはまだ高跳びをしていて、七大戦NM,博多の森1m40,新人戦DNSとあまり順調ではなかったですが、七大戦でもらった熱で木曜に自主練をするようになりました。いまでこそ部活外での自主練やウエイトは当たり前ですが、当時は全然やっている人がいませんでした。冬季に入ってからはメニューの腹筋サーキットとロングが多いことで、れんたろうとラーメンおじさんが岡田先輩とのがちゃんとぶつかるという事案もありました。またフィールドの1年が島原駅伝の応援にいかないことで、のがちゃんとぶつかり、1年と3年の間に溝が出来てしまいました。これは1年が悪かったか。ごめんなさい。(梁先輩はこの話を聞いてとても喜んでいました。)また梁さんとのがちゃんの衝突もあり、フィールドパートの雰囲気は最悪でした。特にさとぼぉやポン吉くんには1年と3年の間で板挟みで迷惑をかけてしまいました。春休みの練習はのが、ポン、自分の3人とかいう日が多かったです。またポン吉くんの激病み時代突入してしまったこともあり、レスト中も3人だけのにほぼ無言みたいな地獄の雰囲気でした。今だから笑い話ですが、ひどい話だ。新年度からは岡田先輩が休部し、くりこさんも就活であまり来れず、のがちゃんも筑紫なので遅れての参加と新4年生が部活に来られないことが多くなる可能性が浮上してきました。こんな状況では新入生を歓迎できないと、さとぼぉ、ポン、あきこさん、わちで緊急会議が開かれました。さとぼぉがポンにしっかりしろと説教をし、新4年生の分まで頑張ろうというものでした。そうした不安もありましたが、初めての後輩を自分が先輩たちに可愛がってもらったようにすっごい可愛がろうと楽しみにしていました。春休みの終わりには部活に行くと上下赤ジャージの子が誰よりも先にグラウンドに来てました。どうやら高跳びの子だというので、初めての後輩だとわくわくして話しかけに行ってみると、周りと群れて練習する気はありませんといった感じで、冷たくあしらわれてしまいました。これが後の主将となる矢木聖一郎との初対面でした。開幕早々、「和知陸斗、先輩への道」は挫かれそうになりましたが、この子が共創学部だし外れ値で変な子だと思うことにしました。新学期が始まると続々と新入生が来て、いっぱい入部してくれました。しかし、矢木くんは矢木くんだし、ブーブは梁くんに連れまわされて全然話せることなく、梁くんに影響されていき、とっちんは病んで部活に来ないし、ミチーさんと鵜木さんは二人でずっと固まっているし、森くんは心をまだ開いてくれていないしと、川崎さんだけはシャキシャキ話してくれて仲良いかという感じでした。「和知陸斗、先輩への道」、断念、、、オワッタ。後輩といまいち仲良くなれずにいると、れんたろうが春インの応援に行く行かないでのがちゃんと揉めて退部。春インでラーメンおじさんが挫折し、休部。(Fは1年の6月の肉離れが治ったと思いきや冬季にまたもや肉離れを起こし離脱済み)同期、消えてもうた。オワッタ。自分の競技面では、高跳びに挫折して新しい可能性を探るために春インで十種に勉を誘って出場しました。この時の十種は他パートの先輩などいろんな人から応援されて、めちゃくちゃ楽しかったです。これがなければ二年後にまた出るなんて馬鹿はしなかった。この頃に起こったフィールドの事案と言えば、岡田先輩が休部前の出した記録で七大戦のさとぼぉの枠を奪ったことで、賛否が巻き起こったことでしょうか。毎年トライアルはなんやかんやありますね。そんな中、後輩とは仲良くなれず、同期は消えてしまった僕は必然的にポン君とさとぼぉとのがちゃんとの仲が深まっていきました。春インが終わり、七大前が近づくにつれて、のがちゃんが練習後も残って一人でバウンディング、ホッピングとウエイトをして帰る姿はよく目にしました。それまでは自主練をするイメージはあまりなかったのですが、人が変わったように努力する姿はとてもよかったです。頼りないイメージがあるのがちゃんですが、すごくたくましく強く見えました。迎えた七大戦ではのがちゃんが淺田先輩を超える14m46で4位入賞してくれました。競技力がなかったわけではないですが、舐められがちなのがちゃんの努力が実を結び、跳んでくれたことには、自分も頑張ればできるのかもしれないという励ましを勝手にもらっていました。この年もパート長の七大戦での雄姿には力をもらってしまった。


~三回目の七大戦

新体制となったフィールドパートはさとぼぉがうまく1年生や梁さんをまとめてくれて順調に進んでいったように思えます。夏休みは特にポン君との仲が深まりました。この話をすると和知くんからポン君へのラブレターだと馬鹿にされるし、自分まで淫夢厨と誤解されるのでこれ以上は話しません。去年のブログ読んでください。自分の競技も100,幅共に伸びてきてとても楽しかったです。本当に毎回の練習が楽しかった。森くん、三井さんとはじわじわ仲良くなっていきました。三井さんとは新人戦の殺害予告から特に。そして冬季です。この時期の事案としてはれんたろうとの不和でしょうか。書く気はなかったのですが、ガキどもが書け書けうるさいのでさらっと紹介します。特段これといった理由はなく、バイト、部活、授業と接する時間が長くなったことで、些細なことが積もっていった感じです。今思えば、少し距離をおけばいいものの、なんで完全に話すのをやめるなんて極端なことをしてしまったのか。後悔というか選択を間違えたなと思います。説明なく態度悪くしてごめんね。そのことでさとちゃん、ぽんくん、のがちゃんには何度も相談し、迷惑をかけてしまった。もう少しうまくやれなかったもんかね。冬季はそんな感じで落ちこんだ気分でしたが、春合宿やらが楽しくなんだかんだ続けられました。新年度になっても、昨年先輩として意気込んだにもかかわらず、あまり後輩と仲良くなれなかったことで、今年の1年はもうそんなに可愛がろうとしなくていいやと思っていました。しかし来てみると大月くんと浅野くんがまあ可愛いので、つい可愛がっていました(桂くんもフィールドに戻ってきたら可愛がってあげるよ)。最近、矢木君が和知君は2年生が可愛くて俺たち3年は可愛くないんだとヘラっていると聞きましたが、これはちょっと仕方ないか笑(そんなことないよ)。この時期にフィールドで問題になっていたのは三井さん、鵜木さんによる土井ちゃんはぶりです。二人がずーーーーと固まって土井ちゃんと話さないせいで、土井ちゃんがぽつんとなっていることがよくありました。自分らはあれだけ晶子さんやくりこさんに可愛がってもらったというのに。このことはさとぼぉやポン君も問題視しており、たびたび議題に上がっていました(容疑者二名は今でもそんな自覚はなったと供述しているようですが)。この時にあーしが土井ちゃんを気にかけて話しかけていたことを覚えてくれて、ブログで書いてくれたのは嬉しかったです。これ以降は去年のブログに書いたので割愛ですが、ポン君とのすれ違いなどもありながらも、なんだかんださとぼぉとポン君率いるフィールドパートは大きな問題もなく明るい気持ちで七大戦に向かっていきました。この年の七大戦はこれまでの七大戦のように刺激をもらったというよりは、どちらもすごく苦労してきたさとぼぉとポン君の陸上が明るく終われたことが、安心に近い嬉しい気持ちでいっぱいでした。


~最後の七大戦

自分がパート長となった直後は、さとぼぉと比べて自分で大丈夫だろうかと不安でしたが、鵜木さんが部活楽しいと言ってくれたことで、凄く安心して前向きな気持ちで行けました。何となくですが、3年生(矢木君ら)は七大戦の前後から、これまでは合宿に参加しなかったり、個人主義的な部分が見られましたが、少しずつパートのことを考えるようになったなと思います。知らず知らずにさとぼぉやポン君のパートに対する想いに影響されていったのかなと考えています。そうして3年生とも次第に仲良くなってきたように思います。そして、ここで木村くんが入部しました。最初は後期入部で馴染めるか不安でしたが、「パート長のおかげで」すぐに馴染めてよかった。当初の不安は感じさせないくらい自分としては楽しく秋シーズンは過ごせました。冬季に入るとサーキットの進行度の違いで、矢木君と三井さんがひりつくという事案やメニューに関して揉めたりと、パート運営での不安が再来してきました。そんなタイミングでちょっとしたケガやなんやらも重なり、ガッと落ち込んでしまいました。しかし、年が明け七大合宿や香川合宿は楽しくて、なんだかんだ楽しく冬季を締めることが出来ました。七大合宿での浅野君の路上ゲロはフィールドの思い出でtop3に入る楽しい出来事でした。新年度になり三回目の新入生が来ました。今年は9人と過去最高人数、特に投擲が盛り上がって良かった。春インでは無理やり浅野君を十種に誘って、最後に陸上を楽しめて良かった。その後はトライアル1週間前に足の指を骨折するという事故を起こしてしまいましたが、何とか対抗枠を頂けて、やっとちゃんとした対抗選手として七大戦に挑めます。現在の自己ベストは6m36と目標の入賞は届かなそうですが、先日の練習では6m85を跳べたので、七大戦バフを背負えれば可能性はあると信じています。七大戦当日はデカい手拍子と跳んだ際には「いった!いった!」をお願いします。七大戦後のことは正直七大戦が終わってみないと自分の気持ちが分かりません。まだ続けたいと思ったら、頻繁に行くと思うので、そうなったら歓迎してくれると嬉しいです。


少し話は戻るのですが、2年の春休みだったか、自分がパート長になることが決まり、パート長としてやっていけるか不安だとさとちゃんに相談したことがありました。さとちゃんはそれを聞いて、これまでのパート長や先輩を思い出して、それぞれの良い所を考えて、模範となる人を決めてをその人をベースにこんな風になりたいと考えたらいいよと言いました。さとちゃんは確か淺田先輩のように引っ張って憧れるような姿を見せつつも、のがちゃんのような親しみやすさで後輩と接するようにしているといっていた気がします。自分はそれを聞いて、自分は淺田先輩やさとちゃんのように頼られ、憧れられ、引っ張るタイプよりは、のがちゃんやぽんくんのように、親しみやすく寄り添えるタイプかな~と思いました。なのでぽんくんやのがちゃんのように親しみやすさを大切にしつつ、さとちゃんのような明るさをもって接することにしました。改めて今の自分はこれまで可愛がってくれた多くの先輩たちの背中に影響されてできているなと感じます。自分も後輩たちが先輩になったときに、そう思ってももらえるように、今まで先輩たちにもらってきた恩をそうやって次の代、次の代へと送っていけるように自分なりに努めてきたつもりです。そうやって年々フィールドがより居心地の良い場所になってくれることを願っています。


あと自分の願いとしてもう一つ。自分は今でこそ、幅はともかく100mではそこそこの記録を出すことごできましたが、やっぱり自分の中で陸上の楽しさの原点は、記録を追い求めるような競技として楽しさもありはしますが、入部当初の実力なんて欠片もない時のみんなと走って、みんなと話してという時間が好きだからという気持ちです。いつかの全体ミーティングで佐伯元主将が「実力がある人だけが競技のモチベーションが高く、部活に来て陸上部として強くなるだけではダメで、実力があんまりなく、競技のモチベーションは決して高くなく人でも、部活が楽しいから行ってみるという部活の楽しさが部活に来るモチベーションになるような雰囲気を作りたい」とおっしゃっていたことをよく覚えています。この言葉は自分と同じで大学から陸上を始めて、決して実力があるとは言えなかったけど、部活に来てみんなを引っ張ってくれた佐伯先輩だから言えた言葉だと思います。この言葉を聞いた時、1年生の時の競技のモチベーションは高くなかったけど、先輩たちや同期と一緒に話したり、走ったりするのが楽しくて、そんな部活・パートの雰囲気が好きで、部活に行っていたこを思い出しすごい共感しました。自分もパート長になったらそういう雰囲気を作りたいと思いました。フィールドの子はみんな可愛がっているつもりですが、他パートの後輩とかはやっぱり実力はあるけど部活にあんま来ていない子よりも、実力はないけどちゃんと部活に来て頑張っている子の方が可愛く思えます。3年の新人戦の100mの大幅PBは凄かったと言ってくれることが多く、それ以降から話しかけて来たり、態度が変わったりしたなぁと思う人もちらほらいます。話しかけてくれるようになったこと自体は嬉しいですが、少し寂しい気持ちになります。1年生の時、自分以外の同期は持ち記録が凄かったり、実力があったりしていたのですごく他パートの先輩たちから話しかけられていて、すごく寂しい気分になったのをよく思い出します。みんな、決して実力がない子のことをどうでもいいと思っているわけではなく、ただ実力や記録がある子の方が目に留まりやすいので、話しかけたり、可愛がったりする機会が多いだけなのだとは分かっています。だからこそ、自分はより実力がない子にも目を向けてあげようと思って来ました。特に今村くんなんかは境遇が似ていたこともあり、とても可愛がっています。チームとして七大戦総合優勝という目標を建てることは良いと思いますが、記録記録となり、部活本来の楽しさを忘れないでほしいなと思います。部活が楽しくて、続けているうちに記録も伸びて、そのおまけでチームの勝利があればいいと思います。決して実力がある人はすべて正しく、好き勝手にしていいなんてことありません。そんなことになるなら優勝なんていらないと思います。ぜひこれからのフィールドパートは記録や勝利ばかりに気がとられるのではなく、実力がある子もない子も一緒部活を楽しめる雰囲気であり続けてほしいです。


最後の集合でも言いましたが、今年は全然寂しくありません。1年の時は七大戦が終わり、4年生が部活に来なくなりとても寂しく感じました。2年の七大戦ではさび去年よりあんまり寂しくなく感じました。なんだか自分が薄情者になってしまったのかなと感じました。そして去年の七大戦ではもっと寂しく感じませんでした。改めて何でかなと考えたら、1年の時の4年生は部活というコミニティの中でしか繋がれておらず、部活がなくなると会えなくなるからすごく寂しかったけど、のがちゃんやぽんくん、サトちゃんと年々仲良くなっていったことで、部活がなくともそれで会えなくなるような関係ではなくなりました。だから今年は全然寂しくありません。部活がなくなった程度で関わることがなくなるような関係性じゃないと信じているので。


最後にみんなブログで嬉しいことを書いてくれたので各学年に向けて軽くお返事を。


1年生

まだあまり話せずに終わってしまったことを残念に思います。皆実力のある子なので、今後の活躍が楽しみです。楽しむことを忘れずに今後のフィールドパートを後ろから押し上げていってください。


2年生

3年生ほど近くなく、1年生ほどは遠くなく、一番後輩感が強く、一層可愛がってきたつもりです。それがちゃんと伝わっていたようでとても嬉しかったです。これからも和知先輩の真似っこしときな。


3年生

出会った当初は仲良くなれず不安でしたが、この一年でみんなとても成長し、みんながフィールドパートのことをすごく考えてくれて、とても支えてもらいました。ありがとう。来年の七大戦はその集大成を見せてください。

同期へ

いろいろあって、一時期は壊滅ギリギリまでなったけど、また復活できたと思う。最後の最後に同期の力を見せたいね。


先輩方

この一年は最上級生、最年長として先輩ぶってきましたが、憧れの先輩たちのようになれたかは分かりません。しかし先輩たち一人ひとりから、先輩としての要素を学んで務めてきたつもりです。競技としても1年生の時、速くて憧れていた先輩たちの誰よりも速くなりました。必ず大ジャンプと成長した姿をお見せします。なので応援お願いします。

遂に明日から七大戦ですね。


明日のフィール―ドのメニューはそうだな、、、?@&$*>#です!


つまり思いっ切り楽しみましょうということです。


ということで明日からの七大戦も頑張っていきましょう!


いくぞ!えい!!えい!!!おー!!!!

ペロからバトンを受け取りました、どうも夏目です^_^

まずは1〜3年生の皆さん、素敵なメッセージや応援ありがとうございました。もちろん全て読ませていただきました、そして研究室で泣きそうになりました。先輩として背中(広背と大円)で語らねばという気持ちになりました。サイクル的に金曜が背中の日だからちゃんとパンプさせて行きますね^_^

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目次

雑で簡単なワタシの陸上の話

七大へ向けて

メッセージ一言二言

最後に

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雑で簡単なワタシの陸上の話

中学時代(1〜3年目)

どれでもいいから運動部にしようと入った陸上部。そして走る距離が短くて、楽そうだからという理由で走幅跳を始めました。もちろんそんなゴミカスメンタルでは成長をするわけでもなく中三の市内大会を最後の試合に、記録も5m40ほどで中学時代を終了しました。

高校時代(4〜6年目)

続けるつもりはなかったのですが、高校で最初に友達になり、今でもマイベストフレンドのMケン君(北大4)が陸上部に入部するという理由で継続しました。高一の新人で体が成長期に入り、身長、筋肉量が増えたことによって初めて6mを超え、県大会に出場することができました。この辺から、考え方も変化し努力の素晴らしさとそれによって出した結果の価値に気づくことができました。冬季練習も最高に乗りこなしていた矢先コロナがやってきました。悲しいことに一個上の先輩たちが早めの引退をしてしまいました(:_;)。しかし、中学からの仲間と冬季練習の延長を一緒にやったり、メトロンブログという自重マッチョインフルエンサーの動画で自重トレを極めたり(この辺からフィジークやりたいな~って思った)などコロナも乗りこなしました。そうして迎えた高二シーズン、100も幅もマジで全然伸びませんでした。ちょっと飛んで高三シーズン。走る際の体の使い方が少しわかったおかげで100のタイムが0.5秒ほど速くなり、幅も一気に伸びました。市内のインターハイ予選で追参ながら6m90跳べて、県総体7mが見えてきました。県総体当日、コンディション完璧で過去最高に跳べていましたが、3ファールに終わり、僕の高校陸上も終わりました。他の仲間が東海を決めていく中自分が決められなかったのが、本当に惨めで悔しかったです。

大学時代(7〜10年目)

高校での敗北を残したまま終われるはずもなく、脳死で陸上部に入りました。初戦でいきなり7m13(3年ほどベストとして付き合ってきた記録)を跳び、調子に乗りましたが初っ端過ぎて再現性が取れず大一シーズンは6m70くらいをアベレージに終わりました。この年の七大の4年生は本当にかっこよかったな〜

大二、GWだったので間違えて春インの出場しない日にア〇フミたちと遊ぶ約束を入れて川野ガブラック先輩に怒られ、喧嘩別れをして一回陸上部を離れました。この経験を通して人として成長できたし、ラスターの社会人アスリートの人たちを見て陸上に対して勉強し考えることをできるようになりました(フィジーク仲間に出会えたのも)。今ここまで行けたのは間違いなくこの経験が自分の中で生きているからだと思います。ノガさんに感謝です。このシーズンでベストは出なかったものの、幅のアベレージを6m80ほどまで伸ばせました。

大三シーズン。しょーじき一番記憶にない。初戦でベスト近くいったのにそこから伸ばせられなかった。久しぶりの七大はミスチルのライブの関係で2日目入れなかったけど、ぼぉ先輩の跳躍に心を動かされました。来年はここで戦おうと心に決めました。あと分割法を始めたのもこの辺。

そして今年大四シーズン。ハム、足首もずっと痛いし毎試合脚を攣って満足な動きができない中、つい先日うめぼしの力を借り県選で自分の力の一部を発揮できました。気づけば七大戦がそして引退がすぐそこまで迫っている。返り討にしてやる。クラーク待ってろよ〜

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七大へ向けて

あくまで今までの自分との戦いだと思って臨むつもりです。圧倒的な力で超えたい。そのために7後半はいるし、達成した先に優勝や全カレ切りがあると思っています。みんなの力を貸してください!

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メッセージ一言二言

一年生ズ

投擲にメンバーがたくさんいたり、セイイチロウみたいなのがいたり、天才だけどおバカなやつがいたり、関西女の子がいたり、コーチがいたりとタレントに富んでいると思います。今から努力すれば君たちはどこへでもいけます。本当に頑張れ!

二年生

大月くん 

九大記録出してね、期待してるよ!畜産化学きてくれたらもっと嬉しいよ。

浅野くん 

三段もいいけど、十種選手になっちゃえよbro。首に懸賞金かかってるってマ??

土井さん 

うのう筋さんと一緒で脳筋だね。脳筋に怪我は付き物、気をつけてください!

桂くん 

bro〜はやくフィールドに戻ってこい!

木下くん 

七大はちゃんと砂に入ってね。そして少年よ泳げ。王将いくからやめないでね!

三年生

セイイチロウ 

メッセージ心に響きました。セイイチロウの七大にもこれからにもすごく期待しています。今回はしっかり結果を出して先輩として背中で語ります。SDは西カレ間際でも負けないよん。あとあんまキングを出しすぎちゃダメよ笑

森くん 

立ち五結局敗北のまま引退しそうです。練習の動き、バッキバキの脚的に君はもっと上へいける器よ。三年生で一番ポテンシャルを感じています。来年の成長が非常に楽しみな選手の一人です。プレッシャーをかけるつもりはないよ笑

三井さん

少し専門的なアドヴァイスをすると助走のリズムが平坦すぎると感じます。踏み切り4歩前、理想は6歩前からピッチを強引に上げてみる意識をするとスムーズな踏切ができそう。いつもの2歩のペタスじゃなくて6歩ペタスとかやってみるといいかもね。多分5はすぐいけるよ!

あと彼氏??オトコナニモノ??^_^

うのう筋さん

脳筋さゆえ筋トレメモアプリのストーリーをよく見ます。それを見て僕はにっこり。この前県選の結果を讃えてくれましたね。今度は僕にうのう筋さんの結果を讃えさせてほしいです。まだまだこんなもんじゃねえだろ!共に喜びの涙を流しましょう!

ミツマサ

みんなからはブタとか小デブとか言われているけど、俺はすげえと思ってるよマジで。BIG3 500kgはやべえ。パワリフ、フィジーカーになった俺は追いつけるのだろうか?いな弱い奴は何も守れない!

アツマサ

僕もベストが何年も出なかったから、周りのみんなと比較してメンタル的にきついのすごく分かります。でも続けてたら絶対報われる日がくるよ(アタシの経験から)。辞めるな!諦めるなよ!諦めたら僕が槍で〇しに行きますね。

四年生

こうた

インスタの友達消されてたの普通にかなちい

山口みう

応援のメッセージありがとう!

はやとOJ

みゆとはっくんの彼氏。高2でインターハイはやっぱバケモンだし、僕はまだ7m38はまだ超えられてない、、、ʅ(◞‿◟)ʃ

02対決を制して、今度は俺にラーメンを奢らせてくれ!びーあんびしゃす

CCCペロ

TOEICのスコア900だったりスクワットを短期間で50kg伸ばしたり、中学生で幅6m跳んでいた天才。しょーじき七大という最高の舞台で自分の最高出すしかないんよ。

邪念は捨てろ!お前はやれる!

和知ち

友そしてライバル。あまり口には出せないけど、たくさんの勉強と鍛錬の賜物を客観視しても一緒に走ってもものすごく感じる。本当にすごいやつだよ。

七大チャレンジャー同士対抗の幅を楽しもう、そして決勝で暴れよう!

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最後に

七大後西カレ、標準切ったら登録だけして来年の全カレに出るつもりでいます。でも七大後は筋肥大に捧げるつもりです。つまり10年間の陸上選手として最強、そして最高の夏目廉太郎は間違いなく2025年7月27日の廉太郎です。だから応援よろしくお願いします。みんなでオーディエンスの目ん玉がぶっ飛ぶパフォーマンスを作りあげましょう↑↑

ここまで読んでくれた方、今までの陸上を通して出会った方、練習や試合で使わせてもらった学校や競技場、そしてここまで持ち堪えてくれた自分の脚へ 

心からありがとうございました!


夏目廉太郎


「和知くん、あとは頼みます」

皆さんこんにちは。今年はスイカバー消費量世界ランク圏外、共創学部4年の中條愛登です。今年もこの時期がやってきましたね。エッホエッホ、七大戦の時期だって伝えなきゃ。エッホエッホエッホエッホ、北海道での開催だって伝えなきゃ。エッホ、みんなに伝えなきゃ。てな感じで、自分自身初の北海道上陸です。健康管理、節約、北海道移動、福岡脱出だよね。北の大地で最後のお祭り、なまら楽しみだべさ!



ところで、土井さんが去年の僕の七大ブログを読んで講義中に笑ってくれたようです(講義中にあんなしょーもないもの読まないで)。まあ今年も土井さんには講義中に見ることをオススメします。今回は講義中に爆発笑いしてください。爆笑ではありません。爆発笑いです。


みんなのブログ、一通り読みました。七大戦への意気込みとともに4年生へのメッセージも綴られていて、どんどんモチベーションが上がってきています。ありがとう。あとなんかほとんどみんなインスタのこと書いてて笑った。


さてと、チュチチはもう4年生になっちゃいました。今年で陸上歴10年目に突入です。思い返すと紆余曲折・波乱万丈・新庄剛志あり(北海道ネタ)、決して順風満帆な陸上人生ではなかったですが、周りの環境に恵まれてマイペースに競技を楽しんでこれたと思います。


中学1年で始めた陸上。瞬足履いたらほんまに足速くなると思ってたあの純粋な幼少期から走ったり跳んだりするのが好きで、姉が陸上をやっていた影響もあり、最初から陸上部に入ろうと決めていました。中1の頃は、幅跳びと1500mという、お好み焼きと白米を同時に食べるくらいアホな組み合わせで大会に出場していました。ちなみに幅跳びは4m60、1500mは5分ぴったり。全然陸上のこと詳しくなくて、1500mのアップで1500m走ってた覚えがあります。今思えば、中1男子って体力無限ですね。幅跳びに専念しだしたのは中2からです。夏前には5m71を跳び、地区新人では優勝、県新人では2位と、一気に自信がついた年です。クラブチームにも入って週7,8で練習し、一番純粋に陸上競技を楽しんでいた頃だと思います。中3では6m00を記録したものの、最後の総体では8位に終わり四国大会への切符を逃しました。思い返せば、その頃からなんとなく伸び悩みを感じ始めた気がします。


それでも陸上競技をもっと続けたい気持ちが大きく、高校でも陸上部に入部しました。毎日200mのタータントラックや広いウエイト場のある素晴らしい環境で練習でき、部活のメンバーたちともいい時間を過ごしました。ですが、記録の方はダメダメで、PBタイの6m00を2回記録したもののPB更新には至らず。地元では一番の進学校でしたが、インターハイや四国大会に出る部員も少なくなく、陸上を続ける意義を見失いつつあった時期でした。高校時代は、いい仲間に恵まれましたが、七大戦のようにパッとした試合の思い出はあまりなく、練習や試合をただこなすだけになっていた部分もあったように思います。


高校時代の伸び悩みもあり、大学入学当初は陸上部に入るか迷っていました。そんな中同じ学部で同期の福寺航大から誘われて見学に行きました。5月半ばでしたが、伊都の寒さに震えながらワチチと一緒に部活を見学した記憶が鮮明に残っています。色違いのスタンスミス(僕は緑、ワチチはピンク)を履いて、いつもみんなが荷物を置いてるベンチで、今では考えられないぐらいまともに話していました(初対面だから当たり前といえば当たり前だが)。そんなこんなで、フィールドパートのいい感じにゆるい雰囲気が自分に合ってそうで入部することにしました。1年生の頃は正直あんまり覚えてないですが、当時の4年生がめちゃくちゃ大人に見えたのははっきり覚えています。自分自身が4年生になった今、あの頃の先輩のようにかっこいい大人になれていたらいいなと感じます。2年生は伸び伸び部活をやれてた時期かな。クソザコナメクジながらもウエイトトレーニングを始めたし、後輩も入ってきてモチベーションが上がっていたような。東京開催の七大戦ではピーキングが上手くいきましたが、ハマった跳躍がファールで、自己ベスト更新のチャンスを逃してしまいました。七大合宿では他大学の選手たちから色々技術を吸収できて有意義な時間を過ごせました。山口合宿では、脚を酷使しながらフィールドの皆と5日間やりきって疲労困憊でしたが、練習としても思い出としても最高の合宿だったと思っています。3年次に入った直後は、就活で部活に行く回数が減ってしまいました。ですが、サボりバネのおかげか、七大戦ではUBを出すことができました。人生で初めて手拍子を求めて、みんなの応援が背中を押してくれた結果、踏み切った瞬間にハマった感覚がしました。七大後はすぐにタイ留学に行き、向こうで体を動かせればいいなと思っていましたが、そこまでの余裕はなく、留学後は試験勉強で3月まで何も運動してない状態になってしまいました。試験後の4月は時間があったのですが、しばらく部活に行ってなくて、陸上部やフィールドパートに戻るハードルが高くなってしまっていた気がします。特に和知パート長にはかなりの負担をかけてしまっていたと思います。4年生が1人だけの練習日もあっだだろうと思うし。本人はその期間で下級生たちとも相当仲良くなったように思いますが、同期がいない、少ない部活は大変な部分もあっただろうなと勝手に申し訳なくも思っています。


そんな感じで、そろそろ部活行かないと七大がヤヴァイなと思ってたのが5月上旬。1年生も含め、皆温かく迎え入れてくれましたが、1年弱も部活に行ってなければ案の定ガラッと雰囲気が変わっていて、正直みんなとの接し方や自分のパート内での立ち位置を忘れていたような気がします。復帰直後は肌が白すぎて「体調悪い?」と皆に言われました。あのときの顔色はアンミカの知る白の中でもかなり白い方だと思います。筋力も思ったより落ちていて、スクワット50kg、ベンチプレス40kgで吐きそうになっていました。走りの方も壊滅的。復帰直後は本当に走れなかったです。夢で走ってるぐらい脚が回らなかったです。全然思うように動けなくて6月ぐらいまで5月病でした。


それでも焦らずにコツコツ走りとウエイトを重ねて、7月に入ったぐらいでやっとキレを取り戻して、新しいフィールドパートの雰囲気にも馴染んできたような気がします。7月初めの下関ナイターは、去年の七大ぶりに同期4人での出場となりました。この3年ちょっとで色々ありつつも、4人揃って(?)また七大に向けて再出発したような気がして、土曜朝7時半のNHKぐらいワクワクしました。てか、つくってあそぼって結構前に放送終了してたの知らんかった。久保田雅人好きだったのにな~(誰がワクワクさんの本名分かんねん)。ハヤトも言っていたように、下関までみんなで運転して、試合に出て、プチ旅行みたいで楽しかったですね。みんな結果はあまり奮わなかったですが、それはどうでもいいぐらい楽しかったです。下関でのワチチの運転も印象的でした。駐車場で発券機に寄せきれず、ドアを開けて降りた瞬間ぶつけてバコン言うてました。ワチチ以外の3人は数十キロ、ワチチは3kmだけしか運転してないのにそのハプニングが起きて笑いました。ビブラートに包んで言うと、運転へたぁあぁあぁあぁあぁあ~。包み間違えました。オブラートに包んで言うとセクシーな運転でした。7月中旬には地元で試合に出て、地元パワーで5m84を記録することができました。まあまあやな。ラーマーヤナ。マハーバーラタ、ラーマーヤナ。


七大戦まであと3日となりましたが、練習の成果が出たのか、現在は大学陸上で一番調子がいい状態まで持ってこれました。走りはキレが出てきたし、体重も2kgぐらい落ちて順調です。男子60キョロキョロクロムグー、キログラム級、中條愛登。国立九州大学所属。七大戦4回目の出場です。フィールドパートではおデブいじりされていますが、体重的にはかなり軽い部類に入るよなあと不満に思う今日この頃です。昨日、過去の七大戦の写真や動画を見返して、思い出に耽っていました。今のスパイクは1年生の頃から履いているらしいです。マジックテープがちぎれたりして、買い替えろとよく言われたりもしますが、平凡な僕にはボロスパイクぐらいがちょうどいいんです。愛着もあって、僕が杉下右京なら、僕のフィールドジオは亀山薫のようなものです。


さあ、当日僕はOP走幅跳に出場します。目標はもちろんPB更新です。周りには何回もPB更新するよと言っておきながら毎回有言不実行に終わってきました。僕のPB更新宣言は、フィールドパート1信憑性がないかもしれませんね。青空レストランでの宮川大輔の「うまぁい!」ぐらい信憑性が低いかもしれません。だって、あの人全部美味いって言うもん。「んぅぉおまずぅ~い!」とか言ってるの聞いたことないでしょう。「うまぁい!」がテンプレ化してて、ひどいときは食べる前にもう美味いって言うてるもん。あと、よう分からん野菜とかの回のゲストちょとかわいそうじゃないか?生で丸かじりさせられたりして、肉とか魚の回のゲストとの格差がえぐい。話が逸れましたが、今回こそは有言実行したいところです。また有言不実行になったときのためにちょっと保険をかけときます。PB出なかったらマジでショックです。でも、幸せならOKです。


知っている人も多いと思いますが、実は、今のPB6m00は7年前のものです。巷では古米?古古米?古古古米?が流行っていますが、私の記録は古古古古古古古PBということになります。チュチチ米は消費期限ギリギリなのです。ここで記録を出さないとチュチチ米はただの陸協のエサ(今までの試合の出場料)になっちゃうんです。しかも、七大当日は僕の22歳の誕生日なんです。みなさんびっくりするかもしれないですけど、僕って実は誕生日に生まれたんです。そんなわけで、今回の七大は有終の美を飾りたいところです。これまで一緒に練習してきたフィールドのみんなの期待、PB更新への希望、ピーキングの成否、当日のコンディションへの不安、様々な要素が重なり合って過去一で緊張しています。緊張しすぎて、死ぬ!OP走幅跳はいつも通り1日目の朝に行われます。対校枠ではないですが、後に続くフィールドの選手や他パートの選手たちに勢いをつけることが4年生としてのせめてもの責務だと思っています。1本目からしっかり記録を狙いに行きます。2本目からは余裕があれば手拍子求めます。多分緊張でガチガチになるので、声掛けでリラックスさせてください。本番は1cm2cmでもベストを更新できれば嬉しいですが、ここだけの話、10cm20cmの大幅更新をかすかに狙ってます。


誰にまでメッセージを書けばいいか分からなかったので、LINEグループに入っているメンバー+同期に書きます。僕ら4年生はみんなベクトルの向きが色んな方向に向いていましたが、その中で自分はある程度皆にまんべんなく話しかけに行ったりする役割をしていたと思っています。あっちゃんがブログで言ってくれたように、学年問わずフィールドパートの「潤滑油」的な立場です。



川口さん

僕が今まで見てきた中でもトップクラスに動きがキレイな選手です。普段の部活での様子を見ていても、競技に対する実直な努力の姿勢が分かるし、常に強者のオーラが出ているように感じます。七大戦では好記録を連発してくれることを期待してます。全部5m越え行っちゃおう。

坂元くん

高跳び専門ということで一緒に走ったりする機会こそ少なかったけど、その中でも練習の合間にラフに話したりできて良かったです。そして、個人的に応援してる選手です(もちろんみんな応援するけど)。今ノリに乗っている高跳び勢の一員として競技するのはプレッシャーを伴うと思うけど、坂元くんもかなりの実力者ということで、七大戦もそれ以降もどんなパフォーマンスを見せてくれるのか楽しみにしてます。

福添くん

同じ学部ということもあり、競技のことや勉強のことなど色々話しましたね。そもそも共創学部が少ないので、共創の部員ってだけでなんか嬉しいのに、よく話しかけてくれて僕のモチベーションを挙げてくれる存在の一人でもありました。競技面では、ブランクやケガで思うように走れないときもあったと思うけど、ちゃんと七大前に調子を上げてきているのはさすがです。OP走幅跳では、僕らは仲間でもありライバルでもあります。一緒に頑張ろう。

増田くん

フィールドパートのエースの一人です。謙虚に努力するその姿勢の中に熱く燃える魂を感じます。そのうえ、恵まれた体格を持ってるのが本当に羨ましいです。パワーのある人の投擲は観てて本当に面白いし、個人的にやり投げ結構好きなので、ビッグスロー頼んだよ。

旬くん

田中くんではなく、「旬くん」の方がなんかしっくりきます。同じ総合科目取ってたり、いつもフレンドリーに話してくれたイメージがあります。旬くんのパワーのある助走が個人的にめっちゃ好きです。旬くんも僕と同様、久しくPBを出してないようなので、一緒に七大で男、そして漢になろう。

片山くん

僕も片山くんもサッカー好きで、部活後に1時間ぐらいボール蹴りまくったのはいい思い出です。少し変わってて面白い人という印象で、先輩後輩の壁をいい意味で感じなかったです。怪我で離脱した期間もあって、七大戦はどうなるのだろうと心配してたけど、一緒に幅跳びに出られるのが楽しみです。最近の跳躍練見る感じ余裕で跳べそうだし、ビッグジャンプ期待してるよ。

渡邊くん

一緒に練習した期間は短かったですが、練習記録で砲丸やウエイトをしているのを見て、七大に向けてどんどん調子を上げてきているようでワクワクしてます。初七大戦、遠慮せずに大暴れしちゃってくれ。

大畑くん

いつかの坂ダッシュの時に話したりしたかな。投擲の1年生となると練習している姿を見る機会は少なかったけど、投擲種目を楽しんでいる感じが伝わってきていました。七大は2日間で投擲4種目に出るということで、かなり疲れるだろうけど、とにかく楽しんで爆投してきてね。

浅野ちゃん

フィールド1後輩力の高い人だと思います。どの先輩に対してもその人の性格を考えながら接するのが上手いのかな。僕のとこにもよく話しかけたりちょっかいかけに来たりして、もっと一緒に練習したいと思わされるような人でした。競技に関しては、足が合わないとか跳べないとかネガティブな言葉を聞くことも多かったですが、七大戦に向けて少しずつ調子が上がっているようで安心しています。対校選手として自信を持って行ってこい。

大月くん

僕的に、非の打ち所が一番ないジャンパーです。助走の加速、踏切、空中動作、全てに無駄が少なくて、なにより跳躍がかっこいい。僕もあんな風にできたら楽しいだろうなと思います。実力者だから、練習を淡々とこなしてたイメージがあります。七大戦ではこれまで積み上げてきた努力の成果を発揮しよう。7m超え期待してる。

土井さん

僕のブログで笑ってくれてありがとう。今年の七大ブログはあまり時間がなくて良いものになったか不安ですが…

この1年ちょいで土井さんの跳躍を見ることは意外と少なかったように思います。七大戦での跳躍を目に焼き付けるので、自分の限界を超えた大ジャンプよろしく。あと、インスタに載せてる手書きの日記が、思ったことを素直に書いてて結構好き。

木下くん

僕がいない間に入部してて、他の2年生よりも一緒に練習した時間は少なかったけど、僕のことをお兄ちゃんのような存在と言ってくれて嬉しかったです。僕的にも話しやすい後輩って感じでした。七大戦は13m、そのもっと先を目指してフィールドパートと九大を盛り上げる跳躍を頼んだ。

桂くん

いつの間にか短距離の方に寝返っていたようですが、いつも僕の練習日記にいいねしてくれてありがとう。練習自体は別々でも、グラウンドでハードル跳んでいる姿やブログを見て、七大戦や陸上に対する熱意がひしひしと伝わってきました。北海道で一緒に熱い思いをぶつけるぞ。

森くん

森くんのしなやかな動きが本当に羨ましいです。走りもそうだし、ドリルとかバウンディング、五段跳びなど、全身がバネみたいで、参考にしたくてもできないぐらい上手いです。ポテンシャルが高いからこそ、上手くいかずに悔しい思いをした場面も多かっただろうけど、最近PBを更新してノッていると思うので、七大戦やったりましょう。

三井さん

努力家という、そのイメージが強いです。跳躍練ではいつも動画を撮っては確認してを繰り返して、どんどんいい跳躍が作りあがっていった印象があります。練習記録をコツコツつけたり、ウエイトも頑張ったりしていて、真剣に陸上に向き合う姿勢は本当に尊敬します。今まで努力を積み重ねてきた分、怪我は精神的にもきただろうけど、それでも挫けずにできることを最大限やっててすごいです。もう5m越えや表彰台を狙える実力は十分にあります。自信をもって七大戦に臨もう。

山ちゃん

山ちゃんはいいキャラしてて、フィールドの盛り上げ役って感じかな。実力もしっかりあってフィールドに欠かせない存在です。最近は勉強の方もそこそこ頑張ってるみたいでいいね。山ちゃんのTOEIC天下は僕が終わらせちゃったけど。七大当日、僕はPBタイじゃなくてPB更新狙いにいくよ。山ちゃんも北海道で暴れてくれ。頼んだよ。

せいいちろう

僕が知る限り、せいいちろうより陸上熱がある人は見たことがありません。僕は感情の浮き沈みが全然無い人なので、練習からあんなに熱意を持って感情を出しながら競技に向き合えるのは羨ましいです。熱意に加えて、実力も知識もあって、今のフィールドが成長していくにあたっては欠かせない存在だと思います。せいいちろうは自己分析が上手なので僕がどうこう言う必要は全くないですね。ただただ、より高く跳んでほしい。それだけです。

あっちゃん

上にも書きましたが、僕を潤滑油に例えてくれたこと、まさに僕が意識していたことで、よく先輩のことを見ているなーと感心しました(誰目線)。あっちゃんのブログを読むと、共感できる言葉が本当に多かったです。「過去の自分を超えることだけが自分を救う」。僕の心もこの言葉に動かされたような気がします。この七大戦は自分を超える最高のチャンスだね。競技は違うけど、お互いに過去の自分に勝ったりましょうや。

鵜木さん

最近はインスタやチイックトックで大量の動画を送り付け合っていますね。Duolingoも繋がってるし、結構話が合うことが多かった気がします。いつも僕の練習日記を見てくれていて、よくコメントをくれたりするのが嬉しかったです。鵜木さんもかなりの努力家で、私生活でも競技面でも自分を律するのが上手いのかなと思っています。今まで、自分に勝てなかったとき、悔しくて感情が溢れることも多かったと思います。ですが、それは常に目標を高く持っているからこそです。七大でも大きな目標を掲げていると思うけど、それを達成する瞬間、見せてほしいです。

マルセル

バドミントンとか研究とかやってて、一緒に走る機会はそれほど多くなかったかな。でも、一応僕ら4年生とは同期扱い?で、いつも気さくに話しかけたりしてくれて、マルセルが来たときは練習の時間やフィールドパートの空間がより楽しくなったような気がしていました。個人的にはマルセルの言葉選びが結構好き。グラウンドから学研まで何回か車で送ってくれたこともあって、お兄ちゃん的存在でした。ありがとう。

胡さん

胡さんは僕がしばらく部活を休んでいた時に入ってきて、ほとんどお話したことはなかったように思いますが、いつも黙々と練習に向き合っている姿が印象に残っています。胡さんも実力者なので、活気ある高跳び勢の中でみんなと切磋琢磨し合いながら練習に励んだことと思います。九大陸上部、そしてフィールドパートに参加してくれて感謝です。

最後に同期へ

パート長ワチチ

君には尊敬の一言です。大学から陸上を始め、最初は知識も少ない状態で練習していたと思いますが、今では我らがフィールドパートの誇るパート長にまで成長しました。強くなることへの貪欲さと楽しみながら陸上に向き合う姿勢は、誰にも負けないと思っています。ひょろひょろだった入部当初から見る見るうちに成長し、追いつかれたかなと思えば一瞬で抜き去られ、自分の長年の努力は何だったんだろうと複雑な気持ちになることもありました。ですが、今ではそんな気持ちもすっかり尊敬に変わりました。僕も他のメンバーも、ワチチから学んだことはとても多いと感じています。走りも跳躍もウエイトも食事も、強くなるための手段やプロセスをあんなに楽しんで追求できるのは才能だと思います。部活以外でもよく一緒に遊んだり、おバカなこともしたりして、仲良くしてくれました。パート長としては不器用なところが多く、ときに頼りないこともあったかもしれません。ですが、僕はワチチが七大でみんなの予想を一回り二回り超えるパフォーマンスを見せてくれると確信しています。憧れの舞台でパート長のかっこいい姿見せてくれ。頼んだ。

ハヤト

ハヤトには競技面で本当にお世話になりました。フィールドパートで一番といっていいぐらい言語化が上手くて、よくアドバイスを求めていました。伝え方も上手で、いいところはちゃんと褒めてくれるし、できてないところは論理的に説明してくれて、褒められて伸びる僕にはぴったりのコーチでした。そんなハヤトですが、大学での陸上生活は決して満足いくものではなかったと思います。僕も同様に伸び悩んだ身なので、勝手にハヤトと自分と重ね合わせて考えることが多かった気がします。ハヤトもそれを分かった上で、僕に共感しながら日々の練習で対話を重ねていってくれたのだろうなと思っています。最後の七大戦、僕たちは同じくOP走幅跳に出場しますね。これまで助け合ってきた(僕がハヤトに助けられることが多かったが)よき仲間であり、七大当日はライバルでもあります。最後、自分たちが満足できる試合にして、絶対に有終の美で終わろう。

レンタロウ

フィールドパートの大エースです。僕とは実力が何段階も違うのに、同じ競技者として3年と少し、いつも対等に接してくれたのが嬉しくて、レンタロウと一緒に練習ができて本当に楽しかったです。強くなるための努力をいとわない姿勢はめちゃくちゃ尊敬します。練習後に「300走ろう」とか「この後ウエイト行こう」とか誘ってくれて、一緒に強くなれているのを実感する時間がとても有意義でした。2年次の冬季にはほぼ毎週一緒に自主練したりと、レンタロウのおかげで今の自分があるといっても過言ではないぐらいです。一言でいうと、レンタロウは僕のモチベーション製造機のような存在でした。そんなレンタロウと、OPと対校の違いはあれど、最後に同じ場所で競技できることを幸せに思います。レンタロウのビッグジャンプが楽しみでたまらない。会場をどよめかせるジャンプ頼んだよ。

山口美雨

早い段階で部活をやめてしまったけど、何回か同期で集まって一緒に遊びに行ったりできて良かったです。ご飯食べたり、カラオケでワールドカップ見たり、本当にいい時間でした。七大の応援メッセージもありがとう。しっかり受け取りました。北海道で全部ぶつけてきます。

コウタ

今のフィールドパートの皆とはあんまり関わりがないだろうけど、僕にとっては大切な存在の一人です。コウタは勉強に力を注いでいて、陸上部としての活動は少なかったけど、僕が練習動画を送ったり、試合の結果を共有したりした時には、いつも励ましの言葉やアドバイスをくれました。七大戦、いい報告ができるように頑張ります。


みんな、日付跨ぐ前までに投稿しようと思ってたけど、思ったより時間かかっちゃってごめんなさい。


ブログ文字数多すぎで今これ


次は我らが大エース、マッチョマン夏目廉太郎です!

こんにちは、あるいはこんばんは。フィールドパート4年の河野隼人です。早いことに残る練習はあと1回、残す公式戦もあと1回。最後の最後まで定期的に部活を休んだ立場が言うのもなんですが、いざほんとに終わりが目の前に来ると色々感慨深いものがありますね。自分は中1の頃に陸上を始めたので今年で11年目?になります(浪人と休部の2年間は内緒で)。ブログや話などで細かい経歴を語った記憶は無いので、最後ですし少し語ろうかなと思います。拙い文章の自語りになります。あまり自分の過去に興味が無い人は少しスクロールしてもろて、

【中学】

まず陸上競技との出会いから。中学の入学時に走るのが好きで仲良い先輩がいるからと友達も入るって言ってたからという凄く単純な理由で陸上部に入部しました。最初にやった種目は100mでした。正直そこまで足が速かった訳ではないので大した結果も出せずに種目変えたいな〜なんて思ってました。そして夏のシーズンが終わった際に100よりは勝てる自信があった走幅跳を選択。

中1の秋に初戦で大勝利を収めるべくやる気満々で試合に出るのですが、結果は4.31で順位は真ん中より下、同じ中学の同い年の友達A君にすら負ける、つまりごく普通の(もしかしたらそれ以下の)走幅跳デビューでした。その後は悔しすぎてがむしゃらに練習しました。特に頭も使わず何をやったかも覚えていないぐらいです。しかし、一応シーズンが終わる頃には記録も少し伸ばし同じ中学のA君には勝ち越すぐらいにはなっていたのですが、そこまで華やかな1年目ではありませんでした。中2は試合に出る度どんどんPBが出て陸上が楽しくて仕方なかった時期でした。1年間で1mぐらいPB更新しました。この時ぐらいから自分で課題を見つけ、その克服の為のメニューを考えるようになっていました。自分との勝負に目覚めた歳でもあります。初めて試合で優勝したのもこの年です。その試合は新人県大会で、直前の試技の選手が6本目で記録を伸ばし1位になったところ、自分がその直後それより記録伸ばし1位になって優勝した試合でした。過程も含めて初めて表彰台の1番上に登った時のあの感覚は他では味わえない感覚でした。正味大イキリ有頂天のクソガキ河野でした。中2のシーズンがそこそこいい記録で終えたので、冬期から中3にかけて全中を狙いながら練習に励むことになります。練習は順調に積めていたのですが、3年に上がるタイミングで、めちゃくちゃお世話になってた顧問が他の中学に異動になってしまったのです。自分としては精神的支柱を失ったような感じがあり練習中も上の空だった気がします。まだまだ安定した精神力は身に付いていなかった。正直記録も2年に比べてそんなに伸びなかったです。肝心な全中への切符に関わる2つの試合(通信と県大会)でどちらも6mも跳べず、8にすら残れないよな惨敗を経験しました。全中狙って練習してたのもあって、中学生ながら本気で悔しがることが出来ました。試合で負けて泣くやつ意味わからんわとか思ってたのに、ピットのマーク片付けたあと1人で大号泣したのを覚えてます。最初で最後の悔し涙です。でもこの経験で精神的な強さの必要性を学べたと思ってます。いい経験をさせて貰いました。

【高校】

中学の悔しさもあり、高校では陸上をメインで取り組むつもりでしたが強豪でもないただの公立高校に入学しました。一応大学進学を見据えて()自分で行ける最大偏差値の高校に、、部活のやる気しかなかったので推薦入試の面接の時に面接官に必ずインターハイ行きますって宣言した記憶があります。めちゃくちゃ強気な河野少年ですね。そんなこと言いつつ1年の夏ぐらいまでは高校の生活に慣れるのがやっとであまり練習に力を入れれずそこまで伸びなかったような気がします。夏シーズンが終わると、余裕もでき勉強なんて1ミリもせずに、1ミリでも遠くに跳ぶために練習してたような気がします。この時は正直インハイに向けてとかでは無く、中学の時に負けた同年代の人を全員ぶっ倒したくて練習に狂ってました。それが功を奏したのか秋頃には6の後半ぐらいはコンスタントに跳べるようになり、大会での順位争いにも食い込めるようになっていました。そんな感じで好調に記録を伸ばしつつシーズンを終えました。ここから高校の冬季練に入るのですが、人生で1番走り込んだ数ヶ月でした。跳躍選手なのに何故か40秒間走の3×3を毎週やっていたような気がします。二度とやりたくない練習です。全然普通に余裕でタヒねるぐらいのキツさでした。てか1回ぐらい記憶ごと意識失っててもいいぐらい。それでも走力は凄く伸びたと思います。

こっから高校2年に上がるのですが、この1年は言うまでもなく陸上人生のピークだったと思います。シーズンの滑り出しから好調でした。そして好調のままインハイ予選が始まりました。福岡は各地区で予選があり、県大会、北部九州大会、インハイ本戦という形で進んでいきます。正直始まる前から2年でインハイ行けると思って臨んだ中部地区予選。この大会勝ち進んでインハイ行くと豪語していたのに、、、

いきなり2ファー、記録無し。

「オワッタ。」

とかは微塵も思わず3本目で跳べるやろーって思ってました。精神ツヨツヨ河野少年。なんか周りの幅友達B君が心配してくれてたらしく、3本目行く前にB君から背中に気合いのビンタを喰らいました。あれなんかエモかったなー。3本目はもちろん勝負に行って6.75ぐらいだったと思います。当時のPBでした。今冷静になると、合わせに行っても予選は通過出来るという場面で、合わせに行かず勝負してPB出すって頭悪すぎますね。どんだけギャンブルしとるんやって自分でも思うぐらいです。そしてそのまま中部地区予選は何事も無かったかのように2位で通過します。次の県予選。この大会は特に危なげ無く2位で通過しました。ここで人生で初めて7mを跳んだのが記憶に残ってます。あの観客席とかピットの選手とかがうおーってなるの嬉しいですよね。顧問とか部活の友達とかが自分のことのように嬉しそうにしてるのが見れたのが嬉しかったです。このときぐらいに応援の力偉大だな〜って気づきました。

次はいよいよ北部九州予選。これでインハイに行けるか行けないかが決まる大会です。ここで6位以内に入ればインハイ、それ以外はロンガイ(あくまで自分についての話です。7位以下の選手を攻撃する意図はありません)。自分はランキングでは5位でインハイ圏内には入ってました。まぁそれで5位狙うようじゃ流石に無理か。5位はね越えてかないと。ってことで3位以内、なんなら優勝ぐらいの気合いで行こうと思ってました。記録はで言うと7はマストなんなら7の20くらい欲しい。余談ですが、この試合同じ高校に進学したA君が付き添いとして、同部屋で泊まっていました。試合の前日さすがに朝早いし早く寝よってことで部屋の電気消したのに横でずっと明るいスマホをいじって睡眠を妨害してきA君のことは未だに許してません。あれで眠れず力発揮出来てなかったらほんま草。

試合は1本目で7.04(確か追参)跳びました。周りの選手が思ったより記録伸ばさず、自分より強かった選手たちも全然跳んでないような状況でした。エイトの時点で自分よりも強者達が何人か落ちて、他の人たちも全然跳んでない。正直ほぼ勝ったなって思ってました。またまた余談ですがB君も同じ大会出てて、自分が今度は逆に背中ぶっ叩いたのに惜しくもインハイ行けず、、ほんとにごめんなさい自分の気合いが足りませんでした。最終的には1本目の7.04で3位で無事インハイを決めました。大一番で記録残したいなら精神力って大事やな〜って思いました。インハイ本戦では実力的にも上位に食い込める見込みは低いと思い、来年のために全国の舞台を経験出来ればいいかなぐらいの少し余裕を持って挑みました。結果はまぁ全然跳べず、、正直あの大舞台に圧倒されてガチガチだったのを覚えています。あと周りの大男達いかつすぎ。精神ヨワヨワ河野少年。だからこそ来年はもっと強くなって決勝には上がれるように心身ともに鍛えるべきだなとも思えました。こっからはインハイはマストで決勝に行くことを目標に練習を始めます。

来年のインハイ中止を僕達はまだ知らない。

インハイ編はこれにて終了です。

これから2年の秋になるのですが、自分の課題は走力と踏切だと思っていたのでそこはずっと練習しまくってた記憶があります。すり足が好きなのは多分このせい。練習の成果は新人でしっかり発揮されて中2の時ぶりの県優勝出来ました。この時が7.09で現在の自分のPBです。ウレシカッタ。この試合はなんとしてでも優勝したい試合で1番優勝にこだわった試合でした。ずっと「自分は優勝するために試合に出て跳ぶ。周りは負けるのにわざわざ来てくれてありがとう」ぐらいに思ってました。傲慢です。有り得ません。

正直上の大会に進むことも嬉しいですが、どんな小さな大会でも優勝することはそれ以上の価値があると個人的には思ってます。そこに出場したどんな人よりも強いという定量的な証明、そんなことしてくれる機会なんて人生においてなかなかないと思います。

そんなこんなでもう2年もシーズンオフに入りまた地獄の冬季が始まるのですが、途中でコロナとかいうもっとやばい地獄が始まり練習は全て中止、なんか外に出ることすら良くないみたいな風潮でしたよね。自分は人と会わずに体動かすため友達と山に上りまくってました。走る練習はほぼしなかったのですがいい運動にはなったと思います。少しコロナが落ち着いて学校とともに部活も再開しました。しかしインハイは中止(ほんとになんで)、モチベを失いかけましたが、AB戦の県大会はあるって言われたのでそこに標準を合わせることにしました。登山トレーニングの成果もあってかその試合は好調でした。伝説の7.38(+2.1)が出たのもこのときです。この試合ちゃんと公認でも7跳んでるはず、、。一応他にもいくつか試合に出るのですが狙いに行った試合がこれぐらいしかなく他は大した成績が残せなかったと思います。勝ちに行くぞって思える試合じゃないと勝てなかったので、、

こんな感じが自分個人の中高の陸上歴ですね。

一応リレーにも出ることは多々あったので少しだけその話も。中学は4継、高校は4継・マイル両方に沢山出ました。自分の陸上史上1番印象に残っている試合は高校のとあるマイルです。高校2年のインハイ中部予選。先輩2人と同期1人とのメンバーで先輩1人だけは個人で県大会逃していて、ほかはみんな個人で県大会に出場決定しているという状況でした。決勝の前に県決めた先輩(部長)が自分ら後輩2人に「あいつを県大会連れていきたいけん頑張って欲しい」言ってくれて、そんなこと言われるまでもなく頑張るのにね。2位までは県大会、予選は4位通過。あと2チーム抜いたら県に行ける。時間ではだいたい2秒ぐらいでした。自分は1走でめっちゃしんどかったけど結構速く走れた記憶です。そっから部長、同期、アンカーの先輩。アンカーの先輩まではずっと1位独走でした。アンカーで1人抜かれ2位になったもののそのまま持ちこたえて2位でゴール。無事県大会出場出来ました。アンカーの先輩の意地とリレーでしか味わえないトラック陸上のチームワークが感じられました。先輩二人はめっちゃかっこよかったです。4人でバリ泣いた記憶があります。先部長と同期はこんなんで泣くようなキャラじゃないのに泣いてるのも良かったなぁ〜。これが陸上で最初で最後の嬉し涙です。ちなみにラップタイムは覚えてないけど、確か動画がYouTubeにあるはず、、良かったら見てね。

多少の挫折はありましたが、6年間で見たら順当にずっと記録を伸ばし続けてこれたとおもいます。当時は自覚してませんでしたが、めっちゃくちゃ練習にのめり込んだ青春でした。周りには結構努力家と思われていたらしい、、自分的にはただ楽しくて好きだから練習していたような記憶です。自分が練習してた時に意識してることは、自分がピットに立った際、これまでの練習を振り返って自信が持てるかどうか、周りの選手より頑張ってここに立ってるて思えるかどうか、これを軸に練習してきました。これは割とみんなよく言うかもしれませんが、陸上は結局最後は気合いみたいなところあるような感じがします。その気合い出す為の自分を信じる精神的な強さ、その源となる練習の積み重ねは大事だと思うのです。

少し偉そうに経歴と陸上のことを語りましたが、大学に入ってからは皆さんが知る通りのただのレアキャラになりました。入部時は少しやる気もあったのですが、ブランクに絶望し、あの時ほどの熱量が無いことに気づき、勝つことよりも楽しむことを軸にして陸上を続けてきました。おそらくPBとの戦い、順位との戦いをしてる人たちからしたら凄くやる気のないような人間に見えたと思います。足を引っ張ってたらごめんなさい。たまにコソ練の目撃情報が入っているようですが、あれは楽しいから走るのであって強くなりたい訳ではないのです笑ただの陸上大好き河野おじさんです。

4年生を初めとする上級生には多大な迷惑をかけたと思います。パート長には特に、、それでも部活に行った時仲良くしてくれたのはほんとに嬉しかったです。3年生も休部明けた時話してくれてありがとう。最近は4年が揃うこともたまにあり嬉しいな〜って感じです。下関ナイターとかプチ旅行みたいな感じで楽しかったよね。

正直なことを言うと大学生になっても昔と変わらない(もしくは新しく)熱量、モチベを維持して練習する皆がとても輝いて見えてました。どっちも失った自分としては羨ましいと思っていたのかも知れません。行く度行く度みんなのフレッシュさと陸上の楽しさに心が洗われていたような感じです。

長くなりそうなので一人一人にメッセージを書くのは辞めておきますが、もう少しだけ書かせてください。個人的に語りたい人は何人もいますが、それはいつかお酒でも飲みながら話しましょう。

そんな親しみやすい先輩ではなかったと思うし、そこまでユーモアや優しさもないと思います。でも大丈夫、それは愛登が得意なので。

ブログ見てたら未だに自分のビッグジャンプを信じてくれているありがたい意見も見かけますが、上で言った通り自分はモチベも無いし練習も積めてないので恐らく跳べません。でも大丈夫、それは廉太郎が跳んでくれます。

頼れるタイプでは無いし、慕われる様な先輩でもないでしょう。そして自分が過去に見せて貰った先輩の意地やかっこいい姿を見せれる自信はありません。でも大丈夫、我らがP長、わちちが全部やってくれます。

優秀な同期に囲まれて自分は特にすることが無さそうなので最後の最後まで楽しませてもらいます。後輩達はかっこいい先輩たちの背中をしっかり焼き付けておきましょう。

最後まで読んで頂きありがとうございます。

時間なくて急ぎで書いて校閲も出来てないのでおかしなこと言ってるとこ見つけてもご容赦ください。

次はフィールド4年の真面目そうに見える狂人チュチチ=マナオこと中條愛登です。

もはやいくつ仕事を掛け持ちしているのか分からない九大陸上部貢献度トップレベルの高木くんから引き継ぎました、三井です。高木くんいつも色々ありがとう。高木くんが天草に行くことになったらそのお別れ会の幹事もよろしくね。でも一緒に部活できなくなったらさみしいから天草に飛ばされないようにがんばってね。

同期〇人問題は内輪ネタ過ぎて伝わらないでしょうが、山崎くんがブログの最後で女子2人もちゃんと同期として認めてくれてとてもうれしかったです。男女の仲が悪いわけじゃないんですけど、男子同士、女子同士の絆が強すぎるんですよね。

本編に入る前に1つ、私のどこがピュアなのだろうか?そんな風に思われていたとはつゆ知らず。私のことを知り尽くしている優羽ちゃんなら私がピュア乙女ではないことは分かると思います笑。これが同期2人と同期4人の差ですね。

七大戦までついに1週間を切りました。今は実験レポートと七大でシフト入れない分のバイトに追われて自分が北海道にいる姿をまだ想像できないのですが、選手紹介の写真を撮ったり、最後の跳躍練が終わったり、4年生と練習できる回数を数えたりしていると、七大戦がすぐそこに迫っているのを実感します。

去年の七大戦は、5m20跳んで表彰台という目標を掲げながらも、4m91で1年生の時と同様5位という結果でした。女子は4位から点をとれるため、九大に1点も持ち帰れず、PBも更新できず、本当に落ち込みました。豊橋で優羽ちゃんと2人で泣きました。その様子がライブ配信に映っちゃっていました。

その後の試合でも記録は伸び悩み、冬季では基盤づくりに重きを置いて、特にウェイトを積極的に続けるようになりました。冬季真っ只中の1月末、右腓骨あたりが継続的に痛み、そこまで痛くは無かったのですが念のため受診すると疲労骨折でした。2か月間走るのはもちろん、クリーン・スクワット・デッドリフトもパワーマックスも禁止でした。整形外科の駐輪場で1人で大泣きしました。こんなつらい思いするならもうやめてしまった方がいいんじゃないかって何回も思いました。でもやっぱり5m跳ばずにやめる自分を許せませんでした。

そこからはみんなのジョグが始まる前のグラウンドを半周歩くのだけ参加して、1人でトレ室に行って、ベンチときつい体幹をひたすらやって、みんなの練習後には下のトレ室に行ってバイクを漕いで、どれだけ眠くても種目数の増えたストレッチを欠かさずやって、走れるようになるまであと何週間、何日、、、と考え続ける日々でした。

復帰後、みんなと一緒に走れてとてもうれしくて幸せでした。ありがたいことに痛みが再発することはなく、今となっては自分の身体と向き合ういい機会だったのかなと思います。あのまま同じような練習をしてもきっと伸び悩み続けるだけだったと思います。

春インでみんなが活躍する姿を見て、とてもうれしい半面、劣等感も感じました。ですが先日矢木くんが、腓骨で2ヶ月遅れている分7月中旬からはまるくらいに考えたらいいとスプシに書いてくれて、元気が出ました。私にとっての七大戦は、みんなにとっての春インポジだから私も跳べるんじゃないかと思えるようになりました。

小学生の時に、自分の名前の由来を親に聞く課題がありました。GWに桃の花がさいていたからももえになったみたいな感じだったと思います。私はずっと疑問に思っていました。GWでもまだ桃って咲いているのか?それから「もも」は分かったが「え」はどっから来たのか?「え」の由来はまだ分かりませんが、桃の開花時期を調べてみると、GWに咲いている桃は遅咲きの桃みたいです。今シーズンみんなより出遅れちゃったけど、真夏に咲かせてみせます。夏のひまわりもいいけど、夏の桃もきれいでしょう。

実際、練習での記録も徐々に伸びてきています。去年の悔しさを晴らして、今までやってきたこと全部出しきって、北海道で5mジャンパーデビューします!!!!!

私は口下手なので、あまり直接的な言葉で想いを伝えることはできないですが、このメンバーで臨む最初で最後の七大戦、みんなを信じて、自分を信じて、1人1人の今までの頑張りや想いが実を結ぶことを願っています。

最後にお世話になった4年生の先輩方へのメッセージです。

河野先輩

私の中で先輩と言えば誰よりも速い坂のスタートダッシュと踏切後のきれいな跳び出し姿勢が強く印象に残っています。お休みが多かった先輩に対して、なんで練習来てないのにあんなに動けるのか、と非常に失礼なことを思ったこともありましたが、部活のない時間にグラウンドに行った時、先輩と夏目先輩が練習していたのを何回か見かけました。みんなが言うコソ練をしっかりされていたからこその動きだったのですね。バイトの帰りに毎回王将を覗き込んでいるのですが先輩を(木下くんも)見かけたことがありません。私はたまに1人で王将に行くのが好きだったのですが、先輩たちが王将でバイトしていることを知ってからというもの、ぼっち王将の時に遭遇するのが恥ずかしくて行くのを控えるようになりました。でも王将食べたいです。ぼっち三井を見かけてもそっとしてあげてくださいね。先輩は七大戦のエントリーフォームに回答しておらず、私が声をかけていなければ危うく出場すらできないところでしたね笑。思いっきり跳んで、美味しい札幌ラーメン食べてください!

中條先輩

先輩が久しぶりに部活に戻ってきてくださった時、あまり久しぶりな感じがしませんでした。先輩はインスタの中に住んでいるのではないかと思うほど練習日誌へのいいねが速く、リールを開けば先輩がいいねした動画ばかり流れていたからでしょう。気になってリールを試しに10個流し見すると、そのうち4つに先輩のいいねがついていました。もう10個流しても、またそのうち4つに先輩のいいねがついていました。みんなも確かめてみてください。先輩の復帰後の練習記録を見ていると、なかなか思うように体が動かず、しんどい思いをされていて、いつもみんなに「いいね!」と励ましてくれた先輩に私は何の言葉もかけられませんでした。ですが先輩は七大に向けてコツコツと練習を積み重ね、試合でも記録を伸ばしてきました。みんながいろんな方向を向いていた4年ズをうまくまとめていた先輩はフィールドパートにとって欠かせない存在です。私も5m跳ぶので先輩は6m跳びましょう!

夏目先輩

夏目先輩は私が入部したばかりの頃に、先輩が1年生の時に大きく記録が伸びて今は伸び悩んでいるという話をしてくださったのを覚えています。今思うと、先輩とレベルは違えど私も1年生の時に記録を大きく更新してから記録が停滞していて以前の先輩と同じような状況です。ですが先輩は練習やウェイトを重ね、また大きく記録を伸ばし、一度は九大陸上部から離れてしまいましたが、今では九大の選手として幅でもリレーでも100mでもエース級の活躍ぶりをされていますね。先輩が赤色のユニフォームを着て跳ぶ姿を見るととても嬉しい気持ちになります。圧倒的な記録を出してみんなの期待を裏切らない先輩の活躍を見ていると、私もまだ頑張ってみようかな、という気持ちになれます。先輩の直視していいか迷うくらい鍛え抜かれた肉体、記録に裏付けられた確かな実力、そして九大陸上部からのエールをもってすれば他大の選手なんてどうってことありません。九大記録をさらに更新するジャンプをみんなの前で見せてください!

和知先輩

先輩と初めて話したのはたしか電柱のところで学部を聞かれて、農学部で同じだ、みたいな話をしましたが、私の人見知りが発動し冷たく接した覚えがあります。今ではあの時が嘘のように何でも(?)話せる仲になりましたね。1年生の新人戦の時にPB更新の写真を大浴場で撮ると言われたり、買った飲み物を自販機に忘れてきたり、草を投げつけてきたり、去年の年末には2人で24本坂ダッシュした後いろいろ語り合ったり、私が怪我した時にはよく気にかけてくださったり、ほんとうにいろいろな思い出があります。パート長として、たくさん思い悩んで、どうしようもできなくなって、それでも先輩はフィールドパートの中心としてみんなを七大戦まで導いてくださいました。先輩が悩みを打ち明けてくださった時も、私は何もできず、先輩を支えることができませんでした。先輩からは与えてもらってばかりでした。私がウェイトを継続的に取り組むようになった一番の理由は、ウェイトを積極的にして記録を大幅更新した先輩の姿があったからです。私は頼りない後輩だったかもしれないですが、先輩の頑張りをずっと見てきました。今までの想い全部ぶつけて、憧れの入賞、勝ち取ってください!

さて次からは待ちに待った4年生たちのブログが始まります!4年生トップバッターはラーメンおじさん、あ、間違えましたいや間違えてないか、河野先輩です!お楽しみに!

オレオレ詐欺を長電話で撃退した現役インスタグラマー節子さんを祖母に持つ鵜木さんからバトンをもらいました、最近、研究室訪問で先輩たちに歓迎され知育菓子を作りながら談笑している際に、レンジで加熱しすぎて容器を燃やしてしまい危うく火災報知器を鳴らしかけるほどのボヤ騒ぎを起こしてしまったでおなじみ、高木です。

これの面白ポイントは知育菓子でボヤ騒ぎが起こってしまったことではなく、訪問した研究室が細胞や生物を使って実験をするウェットな研究室ではなくデータ解析などを主にするドライな研究室だったが故に知育菓子で失敗してしまったという部分です。今後三年間お世話になると考えるといい研究室と先輩に出会えたなという印象ですネ。

天草行きなんて誰が流した噂でしょうか。失礼ですよ。

いやーやってきました七大戦!!

この大会のために練習を積んできていると考えると努力の結果を示さなきゃいけないように思えて苦しいですがやるしかないんです。

去年と同じく今回もやり投げに出場します。去年は体がコントロールできないほどに動けてしまい、PBは出たもののあと一歩の9位でしたし目標の45mに40㎝足りないという悔しい結果でした。

今年はそのリベンジを果たし、レベルアップした姿を見せて8位以上、50mを狙う戦いです。本当は他の投擲種目も人数を埋めるために出るべきなのですが、優秀な後輩たちと心配な同期に恵まれてやり一本に集中してやれるそうです。何としてでもトップエイトには残らないとです。

なんか冬季にたてた目標とはだいぶ下がってしまいました。それもこれも全部春インで心が一回折れてしまったのが大きいです。

ずっとPBが出ると信じて調整してきて蓋を開けたらこのザマ。辛くてそのあと食べたお祝いの焼肉は今まで食べた焼肉の中で一番味がしませんでした。壺の中のたれに漬けた肉とかありましたがゴム食ってんじゃないかと思うくらいでした。

多少の不安はあってもフィジカルとかウエイトで伸びた数値に縋って自分は成長しているんだと信じ込ませるのにもうんざりしてしまいました。

辞めたくなるほど絶望してるわけではないし、かといってモチベを上げられるほど希望もない状態でした。

「信じなければ結果がどうであれ落ち込まないじゃないか」そんなことを思って久留米でさらに記録を落とし、心にセーフティネットを張るのに必死になってしまいました。

答えはわかっているのに何で続けてるんだろうって課題が終わった深夜3時頃、遠くの信号と街灯だけが光る夜中に原付を走らせながら考えたりしてました。

結局色々考えたって無駄なんです。過去の自分を超えることだけが自分を救うんです。

絶望だって全部糧になる。終わってからのことは終わってから何とかすればいい。

いいじゃねえか戦ってやろうじゃねえかと弱気な自分に中指を立てるのです。

そんな自分を超える機会に七大戦はうってつけなのです。自分との戦い+他校との戦いになりますからね。高校同期の梁さんをブチ切れさせたでおなじみ橋本かんきくん(はしかん)も倒さなきゃいけません。ほんと負けてらんないですよ。

そして、この七大戦はフィールド和知政権の集大成となる大会になります。ふと、このパートが始まってグループが作られた時の最初のノートを振り返ってみました。

さとぼぉ政権で1つ何かしらの目標をもって成長したのなら、競技以外での目標を追加で1つ持って、2つ3つと成長してほしい。と。

だからこの1年間はとても対話が多いパートになったなと個人的に感じました。競技内でいえばメニュー決めだったり、アドバイスの交換だったり、競技外でも遊びに行ったり食事に行ったりが多かった気がします。

間違いなくこれは和知パート長が中心になって起こしたムーブメントだったと思います。時に後輩からでさえもウザがられることがあっても、誰も一人にせず、誰もおいてけぼりにせずぶつかり合ったり励ましあったりして対話を続けてきた、まぎれもなく和知くんが作ったパートです。

和知くんはパート長になって頑張る理由として恩送りと言っていました。最初に聞いた時に、正直そのモチベだけで大丈夫なのかなと不安になってしまいました。自分のために頑張るだけでいいんじゃない?とかパート長をやる重圧も知らない身分で思ったりしてました。けど杞憂でした。この1年間、誰よりも努力して、誰よりも悩みぬいてみんなを引っ張ってきた和知くんを見てきました。恩送り、十分すぎるほど果たせていると後輩からは思ってます。(自分がどう思っているのかはわからないけど)

のがさん、さとぼぉと続いてきたフィールドパートを自分の色にして作り上げてきた結果を今見せるときです。

陸上競技は個人的にメンタル面が7割ぐらいあると思ってます。支えあえるのはこの強いつながりを作ってきたフィールドパートのみんなです。病みせいいちろうくんがみんなに跳ばせてもらうと言ってましたね。みんなで跳びましょうや。みんなで投げましょうや。余裕綽々シャクシャインの気持ちでみんなやったりましょうね。

最後に四年生へ。(みんなここあるある書くとこじゃないからね)

河野さん

ラメーンおじさんこと河野さんは、部活に復帰するまでブランクがあったというのに一度も坂とかショートスプリントで勝てたことが記憶がないほど動けてて地の力強くてスゲーってずっと思ってました。自分の最初の体験入部の時に当時の2年生4人とひろかずとアタシでシャンシャンに行ったときの仲のいい4人の記憶が強くあるので、ちゅちちが返ってくるときの「ななだいいっしょにいきたい」のDMは少し涙が出ました。

過去の栄光が過去のままじゃもったいないです。でージャンプ見せてください!

ちゅちちさん

4人が離れなかったのは絶対ちゅちちがいたからだと思います。鬱時代の1年の自分にも気軽に接してくれるぐらい社交的でフィールドの潤滑油でした。まさに「私を潤滑油で例えると…」状態です。

6mの壁ぶち壊せるのはきっとここです。思いっきりやりきってください!

廉くん

ファーストインプレッションが河野さんと同じくシャンシャンなので、抜けるとなった時、なんでこんな怖いお兄さんになっちゃったの?と戸惑ってしまいました。でも何回もジムで会って、自分にも他人にもストイックなだけなのだと気づいてからはめちゃくちゃ接しやすくなりました。

ジムでの合トレもマックス測定もプラネタリウムも楽しかったです。

陸上人生の最後にどでかい花咲かせて、北海道の砂場に骨埋めてきてください。

フィジーカーとしても期待してます!

わっちくん

もう色々言われ尽くしているので少しだけ。

色々あったけど終わり良ければ総て良しです。

最後は自分のために跳んでください。我々後輩が死ぬほど背中押します。

泣いても笑ってもこの代は今年で最後。何かを信じ続けた者だけに喜びがあり、絶望があります。おびえること、怖がることから逃げたって先には何も待ってません。

とにかく自分を信じて戦うしかないです。仲間を信じて応援するしかないです。

さぁ行くぞ北の大地へ。

まってろ北海道、まってろクラーク!

ブログ停滞させてごめんなさい!文章書くのにイップスハマりました!

次のブログは同期2人だと嘆いている三井さん!

アタシはどちらも悪いところがあると思っているので否定も肯定もしません!!

ピュアッピュアなブログにご期待ください! 

お世話になっております。九州大学陸上部フィールドパート3年の鵜木です。

3年生になってこの文言を使う場面がかなり増えた気がします。

山﨑くんからどんな悪口で次のバトンを渡されるだろうと思っていましたが、世間知らずはちょっと最近自覚あって何も言えない。

でもようやく同期だと認めてもらえたようでうれしいですね。

それはそうと最近、クラスの編入生からはおしとやかで運動しているようには見えなかったと言われ、妹の友達には清楚系だと言われ、部活着で授業を受けていたとしてもやはりしみでてしまうのだなと思うこのごろです。

私のことを右脳筋とか真っ黒とか言っている人たちはもう一度見直した方がいいかもしれないですね。フィールドパートの落ち着きを保つ役割をこれからも担っていこうと思います。

すでに1,2年生全員のブログがあがり、みんなのを楽しみながら時に感動しながら読みました。

やっぱり3年生のブログはすごくくるものがありましたね。

Twitterでブログ紹介しているのは見てくれていますか?ネタ切れと闘いながら頑張って書いているのでTwitter登録してない人はぜひ今からしましょう。

フィールドパート(怪しい)ツイッタラーもいるのでフォローしてみるのもおすすめです。

にっこりなんたらというアカウントのフィールドパートひどすぎるあだなランキング。上位2つは同一人物という。おめでとうございます。

右脳筋はもっと上でもいいとは思うのですが、たしかに意味わからないあだな多すぎて強敵ぞろいです。そんなところもフィールドのいいところです。

最近は九州長距離王国さんのツイートでchatgptで選手のことを調べられるということを知り、いろんな人を試してみました。

「陸上競技の○○選手について教えてください」と尋ねたら、もうあることないこと書かれます。

時によって返答ちがうみたいなのでぜひみなさんも試してみてください。

文系では珍しい数学科というところもよくわかりませんが、一番は1m55が更新されていないことですね。

まだchatgptによると私は1m50どまり扱いのようです。

また跳んでわからせてやらないといけないようです。

1年生の時は7/3,2年生の時は7/4にブログを書いていて、18日に書くということに学年があがったことを感じます。

同時にもう残りそんなに少ないのかと思うと、寂しさと不安がこみあげてきます。

今まで部活に来たり来なかったりはありながらも、なんだかんだフィールドを色づけてきた4年生たちとの練習できなくなる日が目前まできています。

留学のため一時お休みします、ジムでトレーニングのためお休みします、TOEICのためお休みします、私用でお休みします

という連絡がたびたびありながらも次は一緒に練習できていたのがもうあと残り数回かと思うと。

部活のときは楽しくてそのことを忘れてしまいますが、部活のない日にふとそう思うとしんみりしてしまいます。

先輩は過ごしてきた時間が長いぶん、引退してもつながっていられると言っていましたが、

過ごしてきた時間が長いぶん、思い出もたくさんでそれを思い出すと余計寂しく思えます。

4年生のみなさんはこれからも仲良くしてくれますか。

河野先輩

私たちが入部して先輩が姿を見せなくなるまで会ったのは数回でしょうか。1年生のとき先輩を見たのは、実物よりもホームページの写真のほうが多かった気がします。

ですがいつの日か1年生にまぎれて部活に戻ってきてくれたとき、すごく自然にとけこんでいました。

長い間部活を離れていたにも関わらず、私がずっともっていた風をきって走るイメージは健在でした。

じつはコソ練していましたか?今でもよくグラウンドで自主練の目撃情報を聞き、やっぱりフィールドパートの一員だなと思わされました。

去年の春イン後の1年生のいない1年生歓迎会。「机は小さいけど部屋は広いです」の一言に始まり、まさかの開催場所が河野先輩宅になりました。

あのときはお邪魔しました。なんの会話があったかは全くと言っていいほど覚えていませんが、久しぶりのみんなの集まりでとても楽しい時間でした。

寝てしまった当時4年生たちのお世話を押し付けて帰ってしまってごめんなさい。

七大後のバーベキューも酔いつぶれた山田先輩を一緒に自転車に乗せて運んだのを覚えています。

なんだかんだフィールドの集まりに先輩は参加していて、フィールドにいて楽しいと思ってくれていたのなら嬉しく思います。

ラーメンおじさんというあだな、これもひどいあだなランキングにランクインしていましたが、失礼ながらつけた人はナイスセンスです。

部活後にラーメン行こうという話になると目の色変わってとても嬉しそうでした。

私は先輩のような福岡県民らしさはなく、ラーメンはあまり好きではなかったのですが、少し行ってみたくなりました。

餃子の王将も先輩と木下くんいるときに行ってみたいです。また行きたくなる美味しい料理お願いしますね。

陸上の話からはかなりそれてしまいましたが、言いたかったのは先輩はラーメンおじさんかもしれないですがまだまだ走れるし跳べるおじさんということです。

去年より年は取りましたが、去年より1年分練習してきました。

七大戦でそれを解放して私たちが今までに見た先輩のどの跳躍も越えるジャンプを見せてください。みんな楽しみにしています。

中條先輩

初めて参加した部活の帰り道、反対のゲートから出る坂道から私たちを連れて帰ってくれたのが記憶に残っています。

入部当初から幅広い守備範囲で私たちに話しかけてくれたのが印象的です。

今もそれは変わらず、みんなにいろんなリール動画を送って部活以外でも関わりをもってくれるのが嬉しいです。

最初のLINEは部活の話ではなく、まさかのDuolingoのフレンド追加でした。今のフィールドのDuolingoブーム(?)は先輩とのフレンドが始まりです。

最近は乃木坂の動画をたくさん送ってきてくれます。あやうく櫻坂も布教されそうになっています。

同じ趣味の人がいるのはとても嬉しいですね。工事中10回ずつ見るのは完全にガチファンです。これからも教えてください笑

そんな多趣味な先輩がその多忙な時間の一部を陸上に使おうと思ってくれたのが嬉しかったです。

明日からまた練習に参加しようと思いますと送ったLINEにはたくさんのリアクションがついていて、私も含めみんな先輩の復帰を楽しみに待っていました。

練習日記、つらそうなときもありましたが、それでも部活に来続けてくれて、最後七大戦やり切ってやろうという感じが伝わってきます。

少しブランクはあるかもしれませんが、雨の日の2+1、平和台の150*3*2、春合宿の山登り、なぜか少人数のきついメニューのときには先輩がいました。

これまでたくさんのきつい、つらいを乗り越えてきた先輩なので、最後もきっと目標をこえることができると思います。

去年より仲間も増えて応援の力ももっと強くなります。

先週の試合では先々週より19㎝伸ばしました。あと19㎝伸ばせば6m、風が2.0m吹けば6m越えです。数学科がいうので間違いないです。

それに先輩の勝負の1日は記念すべき22歳のお誕生日ですね。先輩が誕生日パワーで跳んでくれれば私も最後の20歳パワーふりしぼれそうです。

先輩は私たちがいい記録がでたとき、一緒に喜んでくれました。先輩からの「いいね」の一言に何度も元気づけられました。

七大戦、やりきって一緒に喜びましょう。

夏目先輩

インスタのまじめなれんくんのアカウント、いつもものすごい量のウエイトをしていて見るのが驚かされていました。

短距離でも幅跳びでも記録をどんどん伸ばした先輩を見ていると、ウエイトってちゃんと意味があるんだなと思えてやる気ももらいました。

どの部位もよく鍛えられていて、先輩の筋肉美をうわさしたりもしています。

あんなに鍛えられた見た目でも、腹筋に苦戦するという意外な一面もみれました笑

私のウエイトのストーリーも見てくれていて、練習のときにがんばってるねと言ってくれたのが嬉しかったです。

強くなったとか、動きよくなったとか、夏目先輩に褒めてもらえると本当にそうなのではないかと自信をもらいました。

練習中もたまに応援の声をかけてくれて、走るのがまだまだ遅い私が速くなるのを応援してくれていたのではないかと自意識過剰にも思ったりもしました笑

もっと速くなります。

去年の七大戦では、アクエリアスの買い出しのお金をわざわざPayPayで送ってくれて、そのあとに送ってくれた応援メッセージにはとても力をもらいました。

去年は先輩が期待してくれた通りPBは更新できませんでしたが、今年は応えたいです。

矢木くん、夏目先輩が西カレ標準をきって私もきりたいとさらに思いました。

年末ブログで書いていた、来年は九大として戦いますという言葉がとても印象的でした。

九大陸上部フィールドパートとして試合に出た今シーズン、先輩は誰よりも記録を伸ばしていて、先輩が記録を出す度に何度驚かされ、盛り上がったことか。

少しでもこのパートにいたことが記録につながっていたら嬉しいなと思います。

先輩の大躍進を見ていると、この先も無限に伸びていくのはないかと思ってしまいます。

春インで全カレをきると意気込んでいたことを覚えていますよ。七大戦、高のピットからにはなってしまうかもしれませんがしっかりと目に焼き付けます。

和知先輩

まずは1年間フィールドパートのパート長をやりきってくれてありがとうございます。

部活の時間はとてもあっという間で部活のない曜日がすごく物足りなく感じてしまうほど、私にとって部活は一番居心地よくて、一番居場所を感じられて、一番楽しい時間です。

もちろん走るのが楽しいのはあるけど、一人でする練習じゃだめでフィールドのみんなとする陸上がいいです。

そんなフィールドパートになったのは先輩が中心となり作り上げた雰囲気のおかげです。

今みんなが仲間として、ライバルとして、チームで一つになれているのは先輩がみんなをつなぐ架け橋になってくれたからだと思います。

普段の練習でいろんな人に話しかけてくれていたことはもちろんみんな知っていることだと思うけど、

それ以外でもみんなからは見えないところで一人一人を気遣ってくれて、声をかけてくれたり話を聞いてくれたりしていたのを知らなかったとしても、みんなが感じ取っていたと思います。

私もそうで、チームを作っていく力になれるようにちょっと成長できたのかなと思います。

つらい時期もあっただろうけど、誰よりもみんなを大切に思ってくれていてすごくいいパート長でした。

去年の七大戦、試合が終わって泣いてしまったとき、後ろからタオルでたたいてきたことすごく印象に残っています。

今年は自分の競技では泣きません。先輩の感動的な跳躍を見るまでは泣けないので。

入賞を目指すというのを聞いたときとても嬉しかったです。

私の高が長引いてもちゃんと見れるように、応援できるようにベスト8に残ってほしいです。

先輩からたくさん勇気づけてもらいました。先輩が自信をもって跳べるように私ができるのは応援だけなので。

四年間ここまで練習だけでなく、チームのために積み重ねてきたものが発揮されないわけがないです。

みんなが待ち望んでいた先輩が対校選手として出場する走り幅跳びです。

もうめちゃくちゃ盛り上げるので、めちゃくちゃ盛り上げ返してください。

4年生ばかりにプレッシャーを与えて自分のことは何も書いていなかったのでここで目標を書かせてもらいます。

あ、まずありがたいことに今年も走高跳の対校選手として出場させていただくことになりました。

嬉しいことに今年もゆうちゃんという心強い後輩と一緒に戦うことができます。

去年の七大戦で、試技差で表彰台を逃したあの日からずっと掲げてきた目標は変えません。

今シーズンCSもあるし、まだ来年の七大戦もあると思うかもしれませんが、私にとっての七大戦は毎年毎年絶対に無駄にできないものです。

それはもちろん、一番盛り上がる大会だからというのもありますが、4年生みんなと一緒に戦える最後の大会だからです。

その年の4年生と戦える七大戦はたった一回しかないから、4年生の先輩たちに少しでもいい姿を見せたいと思います。

そう思うと余計不安が募ってしまっていましたが、いろんな人が励ましの言葉をくれて、弱気になってはいけない!!!と決めました。

ここ最近たくさん泣きつくして弱い気持ちは全部出しつくしました。出しつくしてくれました。

だからもう残り10日をきった今日からは跳ぶことしか考えないです。

今持ってる力を全部使って本番は跳びます。

自分で自分にすごくプレッシャーをかけてしまいましたが、4年生にあんなことを言ったからにはしょうがないですね。

ずっと続いていたPBタイから抜け出せないのではと心のどこかで思ってしまうときもありました。

でもようやく春インでこえることができて、次の目標は1m60を跳ぶにかわってしまいました。

去年よりさらに高い目標になってしまったけどそれを越えるのをみんなに見てもらう。それが私の七大戦の目標です。

1年生、今年も熱い子たちがたくさん入ってきてくれました。とても嬉しいですね。まだあと3回あるからなんて思わずに初の七大戦からやりきってほしい。それにはまずは楽しむことです。高校のころとは比べ物にならないほどたくさんの応援がついています。一緒にいい七大戦にしようね。

2年生、去年よりさらに頼もしい後輩になってくれました。木下くんは初七大戦、一緒に命かけて跳ぼうね。ゆうちゃん、大月くん、淺野くん、桂くんは2度目の七大戦、なんとみんな去年に引き続き同じ種目だ。確実に強くなっていて、確実に去年の自分を越える力をつけました。一緒にそれを見せつけようね。

3年生、いや同期のみんな。去年は悔しい七大戦になってしまったけど、今年はもう繰り返さないよね。後輩にも先輩にも負けてられない、同期全員PB達成しよう。みんな種目はばらばらだからそのぶんたくさん点も稼げるね。ようやくみんなすこしは先輩らしくなったから、先輩らしくいいところ見せよう。そして後輩としてのぞむ最後の七大戦、4年生たちの背中を追いかけて、引っ張ってもらって、これからに安心してもらえるようにいいところ見せよう。

4年生、偶然にも4人同じ種目が集まってしまいました。それぞればらばらに進んでいた時期もあったけど、最後4人とも九大陸上部フィールドパートとして七大戦に出場すること、それだけですごくうれしいです。だけど、先輩たちが自分の目標をこえて喜んでいる姿を見るのはもっとうれしいです。先輩たちのかっこいい姿をしっかり目に焼き付けます。それと絶対4人揃った写真たくさん撮ります。もう肖像権とかうんたらないですから。みんなでふぃるもこれくしょんseason2いっぱいにします。

OBやMの方々の久しぶりの試合もとても楽しみですね。

そういえば私の砲丸投げもどうなることやら。大泣きの投擲にならないようにだけ頑張ります。

ということで私のブログはそこそこに次の人にバトンタッチします。

次は今年最後の七大戦になるかもしれない!!?髙木(3)です。

筆が進まないと言っていましたがきっとなんだかんだいいブログを書いてくれると思います。

といじりながらも天草に行って同期が減ってしまうのはさみしいのでテストも課題もそこそこに進めながら書いてね。

あ、タイトルで終わらないといけないんでした

一度きりの北海道七大戦、どうか晴れて気温も上がっていい天気になりますように。最高のものにしましょう!

初めましての方は初めまして、そうでない方はごきげんよう。

病み聖一朗からご指名いただきました。指名料として2000円いただきます。(PTSD発症)

どうも、自認体重44キロ、スペ値120の山﨑です。スペ値120のどこがムチムチなんでしょうか?ガリガリ好きは怖いですね。

春インから現在までの彼の動向をみていると、先が思いやられますʅ(◞‿◟)ʃ、幹部交代後ほんとに大丈夫なんでしょうか?

最近の悩みといいますと、投擲パート長であるのに幹部MTGに呼ばれないことが挙げられます。フィールド同期は次期幹部が多く、最近は僕の知らない話ばかりしていておいてけぼりです。寂しいですねʅ(◞‿◟)ʃ


僕もまずタイトルについて語りましょうかね。ブログのタイトルは本文の最後を締める言葉にするのがええらしいです。知らんけど。僕のブログのタイトルはだいたい引用orオマージュです。前回の年末ブログのタイトルは僕の大好きなロックバンドUNISON SQUARE GARDENのベース田淵智也のブログタイトルのオマージュ、去年の七大戦ブログのタイトルは、、、やめておきましょう。

今回のブログタイトルは『呪術廻戦』死滅回遊編、虎紫雲vs秤からの引用です。病み君からポジティブなブログにしろという圧を感じたので、本来のタイトルから変更して、アガるタイトルでお送りします。ちなみに死滅回遊編は難しくてよく分かってないです^ ^

本来のブログタイトルは「Clear Above Visibility Unlimited」、航空用語で「限りなく視界良好」という意味です。この頭文字をとった「CAVU」がこれまた僕の大好きなロックバンド04 Limited Sazabysのメジャーデビューアルバムのタイトルです。これでも良かったんですが、最近怪我人が多いのと僕自身がウエイトで萎えたので、「んー視界悪くねえか?」ということで変更しました。


さて本題に戻りまして、七大戦。今年は北海道ということで、個人的にはめちゃくちゃホームで安心しております。親戚が北海道にいたり、父が北大卒ということもあり、よく北海道に訪れており、今回で4回目となります。とはいえ、年長(札幌旭川)小4(札幌小樽函館)小6(函館)ぶりなので9年ぶりですね。楽しみです。ところがどっこい、金曜と火曜にテストがあるため愛知や東京の時のようにたくさん観光できなさそうです。今年はちゃんと単位とります(PTSD発症)ちなみに七大戦の2週間後には家族でまた北海道(道東)に行きます笑。観光はその時にとっておいて、今年は試合に集中しますわよ。

ですが、食にはストイックなので、食べたいものは全部食べます(PTSD発症)サッポロクラッシックも飲みたいし、カツゲン、ナポリン、ガラナも飲みたい。ジンギスカン、すみれのラーメン、スープカレー、かに汁、寿司。これだけ食べれば全部エネルギーになって当日爆発的な力を授けてくれることでしょう。



今年はやり円盤ハンマーの3種目に出場します。去年に引き続き4種目エントリーも可能でしたが、先日の夏インで暑さでバテバテになってしまったため、2日目の専門の円盤とハンマーの間にある砲丸は辞退させていただきました。1年生3人に頑張ってもらいます。


1年生といえば、今年は宣言通り3人入れることができました。入ってくれたみんなありがとう。あとは福女と女子投擲入れるだけやね^ ^全種目で選考のトライアルが行われるのも、土曜にイーストに5人いるのも初めてでかなり嬉しいです。そして!今年はなんと!投擲男子4種目女子2種目!全ての枠を埋めることができました👏九大史上初の快挙です!これまでは点数争い以前にそもそも選手が出せないという状況でしたが、まずはスタートラインにたつことができました。専門種目以外にもチャレンジしてくれる1年生、跳躍選手にも関わらず出てくれるひろかず、鵜木さん、まおちゃん、長距離パートだけど混成経験者ということで出てくれるえみなちゃん、ありがとう。全員死に物狂いで点数に絡みに行こうや。今年は全体得点の1/3を投擲で占めたいですね^ ^(密かな計画)

1年生は筋肉もそこそこあって吸収もはやいので、1年後のトライアルの際にはヒヤヒヤさせられそうです。キャー



本題に戻りまして、

今年の目標といたしましては、、、

そろそろ表彰台に立ちたいです。ほんとに。

去年の富山カップで高3ぶりに表彰台に立ちましたがやはり気持ちが良い。表彰台のって賞状もらってポーズきめてみんなに写真撮ってもらいたいです。ハンマー円盤ダブル表彰台で8点獲りたいなあ。今季のランキング的にはハンマーは安牌にすすめば乗れそうですが、円盤がなあ。団子状態なのでミスれば予選落ち、ハマれば表彰台というイメージです。まあ正味資格記録なんて当てにならないんでね。本番は何起きるか分からんので。去年の誰かさんみたいに3ファーする可能性もあるので。(PTSD発症)

今年は笑顔で陣地に戻りたい(PTSD発症)


具体的な数値を示すと、やり40、円盤32、ハンマー41です。やりは1年ぶりにやってみてシューズで35だったので、本番なら40くらい行くでしょうという見込み。円盤は今シーズンの目標かつ、点数に絡めれるくらいのライン。ハンマーは北陸選手権の標準記録かつ表彰台確信ライン。(ちなみにまだcs標準の36も歴代十傑の37.14も出せてませんが汗)

北陸選手権の標準切り(ハンマー41円盤36)を1年から目標としているわけですが、気づけばもう3年生です。ナンテコッタ‼

個人的に北陸選手権標準は、「大学で陸上やってます!」て言えるくらいの記録だと勝手に思ってます。種目間での単純比較は難しいですが、 100m11“00、800m2‘00”00、5000m15’40“00、走高跳1m90、走幅跳6m80、三段跳13m90といった感じです。

そろそろ切りたいです。ほんmoney。

今やってるのはハンマー投げと円盤投げじゃなくて、ハンマー遊びと円盤遊びなのでね。そろそろ陸上選手になります。



正直去年の七大戦がトラウマすぎて試合まで9日を切っているにも関わらずかなり弱気になってます。


だ!が!しかし!


ハンマーは夏イン、円盤は春インでPB、BIG3は去年の今と比較して95kg増(S140→180、B100→115、D160→200)、クリーンとスナッチはそれぞれ10kg増、肉体的には過去最高です。今シーズンは県選、春イン、夏インと出場してNMなし、ハンマーは3ターンで32は安定、3ターンベストも更新、円盤は春インで1投目以外は30安定。4月の軽い肉離れを除けば怪我もなし。

間違いなく、記録は出ます。出力も上がってきてるし(PBが先が怪我が先か、、)

冬季でしっかり土台をつくれたため、今シーズンはかなり良いシーズンになる気がします(n回目)県選の順位で北陸選手権に出れるのも、春インで共立福大鹿屋に続いて決勝に残れたのもかなり自信につながりました。去年はなかった「努力に裏付けられた自信」というものがあるのでね、七大戦、やったりますよ。OBさんたちに上手い肉ご馳走してもらったしね。壮行会で「見にきて後悔させません、期待しててください。」やら「春インの決勝に比べたら七大はたいしたことないです」とか大口たたいちゃったんでね、やるしかない。

あとは春インの時みたいにフィールドパートのみんなの流れに乗せてもらうだけです。PBラッシュお願いしますね。




今だからいうんですけど、去年の七大ブログは僕がトップバッターで4年生ひとりひとりに一言書いたじゃないですか。あれ、あきこさんに「おい、いつまで休部しとんねん🫱」て書きたかっただけなんですね。ところがなんかみんなメッセージ書く流れができて、しかもすごい長文で!さて今回はどうしようか、、、、、



「お前が始めた物語だろ。」ということでいっぱい書きます。もちろん6人全員に。涙なしでは読めませんよ!



ラーヌンおじさん

体験入部の時によく話した先輩。ところが春イン後に僕が入部したら消えてました。ん??あれ??まぁ色々あったんでしょう、戻ってきてくれて嬉しいです。しかし、はっくんの同棲相手であるためワイの恋敵。グループに晒されてたちゅちちへのメッセージは泣けました。まじで。最後にかましましょう!あと、ラーメン二郎札幌店はもちろん行きますよね。引退してからもまた二郎食べに行きましょうね。そういえばBBQのお金まだですか?

ちゅちち

ワイのTOEIC天下を終わらせた留学生。900てぇ、、もはや現地人(どこの?)。おそろのカワウソのスタンプを持っている。この世の全てのリール動画にいいねをつけている。タイのアイドルに認知されている。IELTSとか留学関係でまたいろいろ教えてね^ ^本人は望んでないと思うけど、七大戦はPB更新じゃなくて、PBタイ🇹🇭が出るとかなり面白い。ちゅちちとご飯とか行った記憶がまじでないんで引退したらいっぱいご飯とか飲みとか行きましょうね。

福寺さん

鹿児島の春インでアミノバイタル配ってましたね

山口さん

インスタのフォロリク通って草

れんくん

春イン後僕が入部したときにはいなかったラスターの刺客。初めて会ったのは夏季記録会。梁くんが紹介してくれた声がらがらの人。ホモじゃないんだけどさ、夏目くんの体ってムキムキで胸筋とかまじでエロいワケなんよ、射◯が止まらんワケよ。誓ってホモじゃないんよ。(読者のみなさん、間に受けないでください。僕は本当に「まだ」男の人は対象外なんです。)腕肩は完全敗北してるけどパワーリフターとしてBIG3の重量は負けないよう頑張ります。3年生の頃のれんくんはちょいトゲトゲしてて全体メニューがぬるいだの、フィールドパートをもっと強くしたい的なことを言ってた記憶があったんですが、今年の春イン終わりにこのチームで七大戦までがんばりたい的なことを言ってて、強いパートになりつつあるのかなぁとニッコリしちゃいました。九大生として出る七大戦、陸上の死場所としては最高の舞台だと思うんでぶっ放してください。引退後のフィジーカーも楽しみにしてます。

和知くん

やけに先輩らと仲のいい1年やと思ったらまさかの1個上。(しかもほんとは2個上やった)。これは普通に嘘。めちゃ話盛った。正直去年は次のパート長が和知くんなのはかなり不安でした。和知くんを見直したというか(←なんかすごい上から目線)尊敬したのはやはり、新人戦での爆PBと黒閃の連続記録ですね。エピソードトークで言うとクソガキの頃のエピソードも好きだし、ケツのエピソードもかなり好きです。あと春インのハードルも。「大学で始めたのに..」やら「勉強して知識がすごくて..」やらは言われ飽きたと思いますが本当すごいです。(←なんかすごい上から目線) 。和知くんは先輩として、パート長としてちゃんとやれているだろうかと苦悩していた時期もあったと思いますが、ちゃんと、残したモノはありますヨ。個人的に今の2年生は和知くんの影響を大きく受けていると思っていて、この前の夏インで1,2年生のガキ供を引率した際にはかなりそれを感じましたね。言葉ではうまく言い表せないんですが、和知くんがパート長でよかったなぁとシミジミしました。1年間お疲れ様でした。遂に対校選手ですね。そろそろプレッシャーで下痢の嵐なんじゃないでしょうか。パート長としてかっこいい姿見せてくれるよね!?(圧)


後輩から言うのもアレですが、、

4年生は、本当に閉鎖的で協調性がなかったと思います!陸部全体の飲み会に行っても島原駅伝の応援に行っても1個上の先輩たちは全然いなくて、部活に4年全員がいないってのもザラにあって、もう、ほんとに、どうなってんだっ!?て感じです。でも今年に入ってからは4人ともBBQきてくれたり、4人で下関ナイターいったりとおわりが近づくにつれてまとまってきていてニッコリです(←なんかすごい上略)

今年はみんなで島原駅伝みにきて、南風楼のソファで写真撮ってね^ ^

愛しのはっくん、経経のパイセン岩永きゅん、大怪獣そーやさん、同郷の春本さん、たむかす、飲み会番長段吉さん、普通に結婚したい宮坂さん、メロいみこってぃー、ライブ仲間の植坂さん、トゥクトゥクのよっちゃんなどなど

他パートもお世話になった先輩がたくさんです。



七大戦、今のチームで挑む集大成。

さあ、九大は強いと証明しよう。




さて七大ブログ3年生編、次は誰にまわそうかしら?

疲労骨折ピュア乙女?サイコパスサイボーグ痴女?むっつりスケベロリコン?通ぶりがち差別主義下町ジジイ?ADHDメンヘラロマンチスト女たらし?

みんなええ同期やで😭ほんま😭

ほな次は世間知らずでおなじみの鵜木さんお願いします。

おはようございます。森君から指名いただきました、フィールドパートさわやかお兄さん担当兼未来の王になる矢木聖一朗です。記録をミリ表記しているのは単位が大きいとすごそうに見えるからっていう理由なんですけどキロ表記されるとあまりにもしょぼいですね。しょぼく見られないくらいの記録を目指します。

去年やりすぎたので反省して今年はだいぶ控えてます。4年の時に下手したら前後編になる気がしちゃうのでね。

何てこと書いてたんですけどね。書き上げるとありえない量になってたので大幅カットして、タイトルについてだけ語ろうかなって思います。あ、意気込みと4年生へのメッセージもあった。

おそらく今回はわかる人にはわかるのレベルを超えて誰にもわかんねーんじゃねぇかなと思います。これは僕が2000を超えた時に絶対使おうって決めてたテーマですね。まず日にちを入れて、3つのパートがあるのは仮面ライダーオーズの最終話のタイトル(「明日とメダルとつかむ腕」)に寄せてみた感じですね。すごく好きな話なのと、なんとなくこの高さを超えた瞬間から僕の陸上生活最終章に入っていくんだろうなって感じたからです。「いつかの今日」と「この日」、そして「あの日」それぞれ話したいなと思います。ちなみに頑張って少なくしますがたぶん多くなります。暇なときにでも読んでくだぁさい。

①「いつかの今日」:驚くことに3年前の今日、僕は高校陸上を終えました。とても面白い話なのですが予定だと2日早くに上がるはずだったんですがね。いろいろあってちょうど3年経った今日書けるのは何かのめぐりあわせなのかもしれないです。

国体最終選考会:記録1.8m。

最後の最後まで終わりを受け入れなかったことを覚えています。あきらめられず次につながらないとわかっている五県の出場もしようとしていました。言葉じゃ言い表せないほどつらかったです。頭の中は「オワッタ」という言葉と「どうしたらいい?これから僕には何があるんだろう?」という漠然とした不安感でいっぱいでした。何度もそこらじゅうで言ってきてますが、この時には分離症がひどすぎて立っているのもやっとで、とても歩くことすらままならないような状態でした。そんななか何とか跳んだ1.8m。拍手をしてあげたっていい。今のこの痛みがなくなれば、絶対跳べます、と何度も言っていました。そんななか、長い高校生活で初めてボスから怒られました。

「ちゃんとしろ、現実を見ろ」って。

はい、そんなのわかってました。痛みが取れるのはまだまだ先だってこと(実際は大学一年の夏休みまでかかってます)も、シーズンの記録が明らかに足りないことも、それに、もう証明することのできる試合は終わってるってことも。

ほんとは7月になっても一つも痛みが取れないから諦めきって最後の試合を笑顔で終わる予定でした。

「やっぱり痛くて全然跳べませんでした。3年間ありがとうございました」

ってお礼をする気でいました。

でも、できなかったです。最後の最後まで目標を目指さずにいられませんでした。自分への可能性を信じずにはいられませんでした。

だからこそ、ボスから叱られたんだと思います。本当につらい思いで叱ってくれたんだと思います。いつもは低音でどっしりとした圧のある声が、その日は珍しく圧を感じなかったです。サングラスからでもわかる眼圧もその時はなかったです。ふと気になってなんとなく自分がその時震えた言葉リストを見返したらこんな言葉がありました。

「これから毎朝、朝練をしに来るお前の声が聞こえんと早起きも面倒くさいわ」

もったいないくらい嬉しいお言葉です。ボスから聞いた言葉の中で一番心が震えました。

「弱いなら継続しろ、それが武器になって、そしてきっと最後の最後に必ず支えてくれるから」って高1の時に言われて以来、長期休みで学校が使えないとき以外はテスト期間でも関係なく、独りぼっちでも関係なく朝練をしてました。一番認められたい存在に最後の最後に認められたようなことを言われ、2年ぶりに言葉を回収してくれました。その瞬間あふれる涙はあえてこらえませんでした。ここで出しきらなきゃ本当に諦められない気がしましたから。100のゴールラインでのやり取りだったのでレースが終わる選手たちにすごい困惑され続けたのを覚えてます。恥ずかしいけれど誇らしかったです。この時最後の最後に言われた、2メートル跳んだ報告はいつだって待ってるから急がずまずは大学生になりなさいって言葉が実は大学陸上を続けるって確定した瞬間です。みんなからは当然大学でも続けるだろうと思われてましたが、実はあんまりつづけるきもなかったです。正直幸せな瞬間はほとんどなかったので。ボスからの呪いの言葉で今では良いメンバーに囲まれて楽しく続けられてるんだから人生って面白いですね(^^)

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正直どこでこんな大間違いをしたんだろうってずっと答えの出ないまま苦しんだ2022シーズンでした。答えは初めからわかっていたのかもしれません。たぶん、何もかも信じてなかったんだと思います。この時は自分すら信じることができなかったので。何が正解なのかもわからないまま過ぎていく日々が怖かったです。

この前の春休みに、友達から聞いた話なんですが、友達の父(東高の先生)が廊下ですれ違う僕を見たときに「人でも殺すんじゃないかってくらいの目つきしてた」って当時言われてたらしいです。本当に限界だったんでしょう。今となっては昔話なんですけどね。

回想シーンは終わりにして今に戻りましょうか。

さて、3年経った今年の国体最終選考の記録はというとずばり、

記録なし、ついでに国スポ選手団選考漏れ(29人中の30番手)

でした。この書き方でダメなんかい!!って感じですよね。僕もそう思います。あまりにもブログ執筆がタイムリーなのと、うまくいかないわけないと思ってたのでこの先は書けません。正直今でも頭の中ごちゃごちゃでどうしたらいいのかわからないので。来年の僕の最後の七大ブログでここについてはしっかり書きます。

もう少しだけ、この試合の意味とその日の出来事に向き合うまでの時間をください。ごめんなさい。

必ず乗り越えます。

②「この日のためのこの日」:これは僕の尊敬する人が言っていた言葉の始まりですね。「この日のために頑張ってきた。この日って本当に来るんだな」ってのが全文です。盲目の水泳選手で木村敬一さんという方が、4大会目の東京オリンピックで初めて金メダルを獲得したときに言った言葉で、本当に勇気をもらいました。というかテレビ中継で自分とほとんど縁がない(いっぽうてきな縁)人の姿に初めて感動して涙が出ました。

もちろん彼が僕とは比べ物にならない世界レベルの領域で、本当に悔しい思いをずーっとしてきていることを知っていたというのが大きいです。

ピークを越えているのにもかかわらず、小学校の時にお会いした時とは比べ物にならない程の体つきで試合に臨んでいく木村さんの見えない努力と、金メダル獲得後の涙を流す姿をみて、いつか自分もそこまでのめり込めるようなものに出会いたい、そして乗り越える喜びを誰かと分かち合いたいと思うようになりました。

今僕は高跳びというのめり込めるものに出会えました。良い仲間にも恵まれ続けています。そしてようやく彼の言葉を使うための第一歩に踏み込みました。というより、一度目のこの日が来ました。それは次のセクションで話したいですね。僕の話で彼を邪魔したくはないので。ただ、1度目は心に決めた、自分とのこの日、そして2度目に決めるこの日は、当時の彼がそうであったように僕も誰かに伝え、その日の感動を分かち合うために、ここに書きます。

来る2026年度、僕は選手として全カレ出場を決め、主将として七大戦初の九大総合優勝に導きます。

これらが達成できたとき、「この日のためにがんばってきたこの日って、本当に来るんだな」って絶対言います。

でも忘れないでください。これは、僕だけの目標じゃないからね。皆で達成する目標だからね。誰かだけに言ってるわけでも、自分だけに言い聞かせてるわけでもない。皆で達成するよ。だから、絶対言います、ってのはちがいますね。絶対言わせてくださいね(^^)

③「あの日誓った10㎝」:これは結構な人がわかるんじゃないですかね。

僕の前に立ちはだかりつづけた3つの10cm。高2で出した記録に10㎝足りない高3シーズン、その10㎝を跳べれば行けたインハイ、そして超えると豪語してきた2mまでの距離。たくさんの意味があります。僕の持ちうる全ての戦略力、忍耐力、食力、筋力、走力、跳躍力、そして精神力を捧げても届かなかったこの10㎝という距離は、短いようで永遠にも思えるほど遠いものでした。正直届かないんじゃないかと何度も何度も思い続けてました。

でも、行けちゃう日が来るんですよね。僕にとってはそれが春インでした。これが先に言ったこの日です。

今でも振り返ります。なんであの時跳べたんだろうって。

もちろん肉体や色々な要因が噛み合ったことは間違いないです。終わった日は一日中体中が痛くて寝れたもんじゃなかったですから。でも、2000を超えたあの瞬間だけは、限界を明らかに超えた感覚がありました。ミスるわけないという自信と光って見えた助走路と目線。たぶん、皆が見せてくれた景色なんだと思います。

決してひとりじゃたどり着けない景色でした。皆の手拍子に、返事に押されるようにして振り出した足でした。皆の競技の姿と、それら全部を力に変えるマインドがありました。

だから跳べた、というより跳ばせてもらったというほうが正しいのかもしれません。ことあるごとに言ってきてますが、何度でも言います。

ありがとうございます

もはやどの10㎝も過ぎた過去になってしまった今、僕の競技人生のピークであり、最後の壁への挑戦が正式に始まりました。それが

全カレ出場

です。正直これまで言ってきた全カレとこれからのそれとはまったく意味も、重さも変わります。今までは空を切る程遠かったものは、今確実に見えるところにあります。届いてはないんですけどね。だから絶対届かせます。だからこそ重みが変わりました。もう現在進行形で起きている悲劇は繰り返させません。

だからもう一度誓います。これが最後の10㎝の誓いです。絶対過ぎた過去にはしません。

てな感じでタイトルの話をしてみました。正直僕はこれでも十分上がってます。でも、この誓いや目標って、七大戦じゃないですよね。僕はまだ一度も七大戦の意気込みなんて書いてませんし。てことでちゃんと書きます。

意気込み:「みんな、僕を終わったままで終わらせないでください」

ズバリこれですね。正直、向き合えないほど大きなショックから立ち直れてはいません。今は向き合わないことでショックを与えないようにしてるだけです。気を抜けばいつでも鬱になれるし、ネガティブをふりまけます。

要は自分の人生にツカレタ状態です。足を引っ張らないようにするのが精一杯です、跳べるビジョンなんて一つも見えません。

でも、終わったままで終わるなんて絶対嫌です。わがままですね。そりゃあ去年の悔しさもありますから。ここで自分をあきらめたくはないです。だから、春インは僕が(勝手に)全部背負ったように、今度は皆が僕を背負ってください。ひとりひとりが僕を上に持ち上げてください。それには必ず応えます。そのために僕は最善の最終悪あがきをします。信じててください。

目標の順位も、記録もありません。信じてくれる皆にかならず応えること。それが、去年自分にできなくて、今僕がしなければいけないリベンジです。

なんか、アツくなっちゃいました。大満足。てことで4年生へのメッセージですね。何気に去年からはじめてこの流れが続いてるの嬉しいです。去年は応援100だったけど、今回は僕がいつものトーンで書きますね。たぶん結局応援しちゃうから。

河野さん:やっぱり去年の一年生抜きの一年生歓迎会ですね。これはさすがに女のにおいを感じざるを得ない部屋でした。思えばこの時からフィールドパート大たわけ時代は始まっていたのかもしれません。高校時代の半端ない跳躍をもう一度見れると信じてます。オープンで最高にぶち上げてください!!あと何気にサトチャンVS健一さんVS河野さんの02生まれ対決楽しみにしてます(^^)

ちゅちちさん:さすが共創学部の先輩って感じです。わが道をしっかり進んでいるのに僕らの練習はいつも見てくれてて(なんなら僕の練習のいいねRTAトップ3常連)、やっぱり変な人だなと思いました。でも、ちゃんと見るべきところは見れてて、和知さんが最後までいてくれたのはちゅちちさんが帰ってくるからなんだろうなって思ってました。なんだって終わり良ければ総て良しなんです。最後の最後に6超えましょう。絶対できます。だって皆が程度の違いはあれど、ちゅちちさんの苦しさや、ベストが出ないのに続ける苦しさを知ってるんだもん。そんなみんなが応援してるんだからできます。そして、僕らのボルテージを最高にぶち上げる最初の競技にしてくださいね(^^)

廉君:昔は幅跳びガチ勢の人だと思ったら本当は合法セクハラタンクトップマスターでした(皆の読むと僕および全員に筋肉扱いされてて草)。なんかいつの間にか幅だけじゃなくてリレーとか100の対抗とか奪ってるし、普通に反則だろって感じです。昔はいい戦いができるときもありましたがもうすっかり離されてしまいましたね。1年の時は張り合えてたのに2年3年になるにつれて遠く離されて行くのが正直憂鬱でたまりませんでした。廉君はいつも僕を強い人間として見てくれますが全然そんなことありません。自分の記録でこんなにも強い人から認められてるのが誇らしくも、劣等感を感じる瞬間でした。でもようやく廉君の期待にこたえつつあります。そして、廉君もこの前僕の期待に応えてくれました。一緒に西カレで大暴れしましょう。七大でもう一度競い合いましょう。足攣ったとか笑える最後はなしですからね。

3年間僕を上に引っ張り続けてくれた廉君にだからこそできるお願いです。僕の背中は皆が押してくれるので、廉君は最後の最後にもう一度僕を引っ張ってください。

わちさん:たくさんお世話になりました。お互いたくさん悩みましたね。とはいえ僕と悩んだのは和知さんのほんの一部でしかないんでしょうが。理論的な話をしっかり勉強して、だからこそ悩みながら作るメニュー会議はとても楽しかったです。感覚を理詰めで正解にしようとする僕とは根本的に違う考えで「なるほど」となることがたくさんありました。ウエイトなんて勉強になることばかりで何も還元できないのが申し訳ないくらいでした。

人にちょっかいかけたり、にぎやかしたりして雰囲気を和ませてくれる和知さんだからこそ、僕は厳しい人間として動くことができました。

一緒に悩んで一緒に作ってきた和知時代。皆が大幅にベストを出す中、和知さんだけが大爆発を起こせてないのは、ご自身でも気づいていると思います。

裏で、僕がプレッシャーをかけてくるのが迷惑って言ってたのは何度か聞いてます。それもこれも次の一言を言うための布石でしたから。今から死ぬほどプレッシャーかけます。読みたくないならとばしてください。

初心者だからとか、ケガしてるからとか、アツさでバテたからとか、どんないいわけも認めません。最後の最後に、幅跳びの対抗選手として、九大陸上部フィールドパート長として、そして和知陸斗として、絶対に、大幅ベストで、九大に得点を持って帰ってきてください。できなかったらしゃーなし僕が和知さんの4年間を肯定する結果を持ち帰ってきます。1年間ありがとうございます。

やめてほしくないので最後に一つだけ。もちろんMでも続けますよね?

こーんな感じで僕のブログは締めよかなと思います。今年は少しくらいアツくできましたかね?毎年この時期は死ぬほどネガティブなので不安です。

ま、次のバトンを渡す相手が彼なら問題ないか。我らが同期4人組が誇る、未だに自分がムチムチドスケベボディであるという自覚(ムチの知)のない山ちゃんですからね。

去年は早すぎる意気込みだったもんね、頼むよ。

お久しぶりです。福添くんからバトンを受け取りました、3年の森です。とうとう今年の七大戦2週間を切ってしまいましたねー早い。それでは3年生のトップバッターとしてブログを書いて行きたいと思います!

 今年の開催地は札幌。札幌はあの南部忠平の生まれ故郷だそうです。ご存じの方も多いと思いますが彼は100年前くらいの陸上選手で、100m10.5秒、走幅跳7m98(1931年当時世界記録)三段跳15m72(ロス五輪金メダル)とかいうばけもの選手だったらしいです。100年前の道具と技術でこの記録は意味わからなすぎますね。会場の円山陸上競技場にはこの方の記念碑があるそうで、これはもう三段跳選手としては行くしかないですね。みなさんも時間があればぜひ。

 さて、今年の七大戦では三段跳と円盤投に出場します。三段跳は3度目の出場です。一昨年は大学生のレベルの高さを実感し、2年目はぎり去年は気合が入りすぎてガチガチに力んだ熱中症フラフラで1本しかまともに跳べず、9位で決勝に進めず非常に悔しい思いをしたという、それぞれ七大戦には強い記憶が残っています。

今年の目標は、ズバリ、はい表彰台に乗ること。これでいきます。点数を狙い続けて3年目、今年こそ3度目の正直です。ただそのためには周りの記録的に14m50は跳ばないといけません。今のPBが13m84なのでまあ50cmくらい伸ばさないとというシビアな目標ではあります。5月あたりで14m台は跳んでおく予定だったんですけどね。ただ表彰台という目標は、去年の七大戦後から決めていたので今更変えません。調整&試合バフがベストにかみ合えばでる今のMAX記録が14m50だと思ってます。ぎり14いかないとかびみょいのが一番だめですね笑(フラグ立ててる訳じゃないです)それだけは全力回避します。

 円盤はとにかく楽しみます。ただ対校枠を貰ったからにはしっかり点数を狙います。投げたあとにサークルを前から出ちゃう(ファール)癖があるのでそれだけはやらかさないよう気をつけます。

 去年の9月に足首を捻挫し冬季練習が全く積めず、技術に関しても理想には近づきつつも完成にはまだ遠いかなという感じで、正直この1年で満足いく練習ができ、成長できたかといえば微妙です。ただこっからネガティブ思考しても意味ないですからね。春インでPBを更新できたのはわりと自信になってるので、こっからは睡眠、調整、本番の暑さ対策!!とやれるべきことをやります。それだけです。

 無理やり意気込みを終わらせた感じになってしまいましたが、最後に引退する4年生へのメッセージを送りたいと思います。

和知さん

 いつの間にか仲良くなってた気がします。僕が入部した当初はそんなに話した記憶はないですが、すごい面白い人だなとは思っていました。なんでいつも、あんなしょうもなくて、変で、笑えることを思いつけるのがわからないです(褒め言葉)。去年の今頃はパート長としてやっていけるかなど不安も口にしてましたが、それから1年後、和知パートは強くなり、集大成を迎えようとしています。僕の体感ですが、フィールドには特にこの1年パート長を支えようとする雰囲気があり、それを生んだのは和知さんの競技への真剣な姿勢プラス、ユーモアなんじゃないかと思っています。まあ大変なこと多くもあり、僕ら後輩がどれだけサポートできたかは分かりませんが、とりあえず本当にお疲れ様でした。七大戦が終わっても、いつでも老害ムーブしにきてくださいね笑。すね毛を抜くのと草を投げてくるのはやめてくださいね。

夏目さん

 まずは、愛知県選優勝&西カレ標準突破おめでとうございます🎉

夏目さん自身の競技への向き合い方を聞くのがすごく好きでした。どんなことにもかっこよさを追求する夏目さんの姿はかっこよかったですよ。最後の七大戦はチーム九大として一緒に戦えてほんとに嬉しいです。輝かしいフィナーレ期待してます。

中條さん

 センスの塊だと思います。和知さんの掛け合いを見てるとこっちまで自然と笑顔になります。個人的には去年の七大ブログの、「今日夕方には、今日夕方にはブログを、…」のくだりが一番好きです。陸上のほかにも留学とか謎の言語の勉強とか色々していて、自分には真似できないなと尊敬してます。最後の七大戦6m超え期待してます!!

河野さん

 僕が部活の見学に来たときに、最初に話したのが河野さんでした。寒かったのでグラウンドを歩きながら話したのを覚えていますか?なぜかフィールドには福岡県民が異常に少なく、地元の話ができたのも楽しかった記憶があります。去年からまた部活に来てくれて嬉しかったです。最後の七大戦、河野さんの"ZEAL"を見せつけてください!!

 1年間の目標とする大会かつ、代替わりの大会でもあり、やはり七大戦は特別感あるなぁとしみじみ思うこの季節ですね。と、こんな感じで僕のブログを締めたいと思います。

 お次は今季1900mm→0.002kmへと、自己ベストを10cmも更新した矢木くんです。お楽しみに!

漢に化ける旬ちゃんからバトンを受け取りました鹿児島出身の福添相人(フクゾエ ハルト)です。

陸上をしてる人は基本ドMだと思うので、ここでは言及しないこととします。

人生初のブログということでどのように書けばいいかわからないですが、頑張って書こうと思います。この場を借りて、僕の陸上遍歴を振り返っていきたいと思います。僕が陸上を始めたのは小学校2年生。姉の影響で始めた陸上ですが、こんなに長く続けられていること自体に自分でも驚いています。小学校2・3年は専門種目と言えるほどの種目はなく、100mと800mをしていた気がします。ある800mの大会で名前を呼ばれたいが故に、スタート直後のカーブを全力で走り先頭に辿り着いたものの、名前を呼ばれた直後に失速。結局、下から数えた方がいい順位で終わったのも今ではいい思い出です。僕が現在取り組む跳躍種目に出会ったのは小学校4年。「100mよりも競技人口が少ない幅の方が入賞できるんじゃね?」と思った僕は、年に1回の鹿児島県の大会で走幅跳に出場。結果は7位。確か出場していた人は10人程度しかいませんでしたが、初めての県大会入賞で味を占めた僕は、跳躍にのめり込んで行きました。その後も競技人口は徐々に増えると同時にライバルも増えていきましたが、小学校5・6年も何とか入賞できました。しかし、中学に進学したあたりから、当時150センチぐらいしかなかった僕からしたら、大人同然のごついライバルとの勝負を強いれられたり、度重なるけがに悩まされていました。その後中学校2年のとき、小学校の時と同様に「走幅跳よりも競技人口が少ない三段跳なら入賞できるんじゃね?」と思った僕はそのシーズンラストの試合で初めて三段跳に出場。結果はイマイチでしたが、このタイミングで中学校3年の県総体では、三段跳で入賞したいと決意しました。

ですが、コロナによって県総体はなくなり、練習もままならない毎日が続きました。そんな中、代わりに開催された県規模の代替試合で三段跳に出場し、参加人数が少なかったものの2位になれました。

冬季練もうまく積むことができ、自分自身に期待して臨んだ高校1年のシーズンでしたが、4月の体力テストの50m走で坐骨を剥離骨折しました。走っていたら「ポキっ」て音がした瞬間、「オワッタ」と思ったことを今でも鮮明に覚えています。この怪我により、1年棒に振りました。リベンジするために臨んだ高校2年のシーズン。僕はこの頃には九大に行きたいと思っていたものの、学力が伴っていなかったためこのシーズンで高校陸上を終えると決めていました。最後の県新人でベスト8に入り、自分の中では納得して高校陸上を終えたつもりでした。ですが、どこかインターハイに挑戦せず高校陸上を終えたことを後悔していた自分がいました。

そのため、大学では高校時代に達成できなかった西カレ、全カレなどの上位大会に出場したい、そして何より三段跳で15m跳びたい。

そう思い続けた受験期は、「九大に合格したら、また陸上をする」ということをモチベーションに勉強していましたが高3時は不合格。浪人してようやく九大に合格できました。大学に入ってからは、楽しく陸上をさせていただいてます!

高2に部活を引退し、2年以上のブランクのせいかは分からないですが、4月に筋膜炎、5月肉離れと立て続けに怪我をしてしまっています。

そんな中、七大トライアルでは13歩で12m87と、高校時代のPBを当時よりも短い助走で跳ぶことができていたため、夏インでは13m30をターゲットに調整していました。

何とか間に合わせることができた夏インでしたが、アップの助走練のとき踏み切り接地した瞬間、右踵に激痛が。人生2回目の「オワッタ」瞬間でした。オワッタ後も抗って、1本跳びましたが、あまりにも痛すぎたのでその後の2本は棄権。結局、翌日病院を受診したところ、踵を全治3週間の打撲をしてました。ここでタイトルの「筋膜炎・肉離れ・打撲」は僕が大学に入学してからの怪我ということを察していただけたのではないかと思います。

というわけで七大の対抗枠は取れなかったので、七大は走幅跳のオープンに出場します。幅のオープンは1日目に行われるため、僕個人としての最低目標はここで高2ぶりのぱーばー&CS標準を突破する跳躍をして、その後の対抗に出場する流れを作りたいです。先日の右踵の打撲により七大前に1回も跳躍練ができない可能性が高いですが、もしできなくても気合いで跳んでみせます!4年生の方々には、色々とアドバイスをくださったり、面白い話をしてくださったりと感謝しかありません!4年生の先輩方々と練習できる残りの時間でもっと話したいと思うので、僕が話しかけた時は4年生の先輩方にはぜひ話してくださったら嬉しいです!

拙い文章を読んでいただきありがとうございます。

次は真面目な一面もありつつ、卒業した先輩を今も推し続ける次期フィールドパート長の森先輩です!

木下じゃないよということできむらたくみちおにいさんからバトンを受け取りました田中旬です。今日の部活でよく分からないサッカーチームの応援歌の練習をし、クラーク、待ってろよTシャツも貰えたことで七大戦をすぐそこに感じ始めています。

クラークと言えば「少年よ、大志を抱け!」ですが、この間Xの文字入れ替えシリーズで「少年、シたい!余を抱けい!」というポストを見て、さすがにショタコンクラークには萎えました。

というのはどうでもよくて、今回の七大戦はOPの走幅跳に出ることになりました。なぜなら、夏インの記録が足りなかったからです。PBが出ないのは分かっていたけど、中3の自分に負けるのは悔しいですね。ということで、遍歴を書きます。

小学生

小5で陸上を始める。多分初戦の100のスタートで股関節の骨にヒビが入ったが、そうとは知らず半年以上放置。治る。幅跳びも始める。

小6で幅跳びが伸びる。冬季にバスケットゴールにジャンプしまくったおかげでジャンプ力が上がったため。しかし、この時のジャンプの癖が今にまで残り苦戦することをこの時はまだ知らない。全小に出る。

中学生

中1の時は幅跳びのPBは一応始めてすぐ出るものの、シーズンのその後はほぼファールで記録残らず。まだ5mには届いていない。100は伸びる。

中2の一発目で6mを超え、PBを1m以上伸ばす。そこからはあまり伸びなかったものの、勝ちはした。初11秒台。

中3は少ししか伸びなかった。ライバルに大きく引き離された。だが、中国大会はレベルが高くないので4位。

高校生

高1の県総体の1週間が人生でいちばん調子良かった。よって、現在も更新出来ていないPBである6m79を出す。そして、100も高1の11.50で止まっている。しかし、年末の合宿で脚の変なところを負傷し、高校生の間その怪我をずっと引きずることになる。矢木さんが居なくなる。

高2はずっと脚を庇って競技していた気がする。特に言うことなし。

高3は高2よりもSBを落とす。他の同級生がみんな強くなって萎え散らかす。脚も治りきらず、100にも高1以来出れずじまい。だけど、マイルのインハイに補欠として着いて行って福岡に初上陸する。そういえば、九大志望にしたのも高3の春。

最近思ったのは、僕は男なのでピークが高1に来るはずは無いのですが、PBが高1で止まってしまっているので、このままでは女扱いになってしまうのではないかということです。女の人は早熟なイメージがあって早いところでピークが来る人が多い気がするのですが、僕は男なのでデカピークが大学で来ると信じています。PBを出して男に、大記録打ち立てて漢になる。これを目標にやっていきます。

ということで、PBを出すための布石として今回の七大戦で660くらい跳びたいという気持ちです。競技の面で修正しないといけないところは山ほどあるし、海地さんに「まだお腹つまめるじゃん」と言われてしまったので、できることをできるだけしていこうという感じです。

そういえば、廉くんが735跳んで県選優勝しててすごすぎる。みんなの刺激になってるんじゃないでしょうか。ちゅちちさんも上がってきてるっぽいし、ワチさんも練習の記録のアベレージ高くなってきてておじさんは分かんないけど、4年生が調子良さそうなのがパートとしても士気が上がりそうでいい流れなのでは。流れに乗って対抗のみんなもぜひぶちカマしてください。

まぢがんばりましょ🩷

次は、ブランクのせいかずっと怪我してる!?なのにずっとギリギリを攻めて練習し続けるドM福添相人選手お願いします!!