おはようございます、こんにちは、こんばんは。あっちゃんから指名いただきました2年のトリを務めるフィールドパートのさわやかお兄さん担当こと矢木聖一朗です。あっちゃんは何が成長の要因だったかわからないとか言ってますが、間違いなく疲労、メニュー、メンタル管理を手伝ってくれるお兄さんがいたおかげですよね。まぁ交際面では彼に頼りっぱなしなので競技面ではたくさん迷惑かけてくれよという感じです。いつもありがとね。
7大で楽しい感じにした分反省色強めなので今回はちょっとかなり真面目です。面白いかどうかというと面白くはなくて自分のやる気が出るように書いてみただけです。ちなみに今回も①今年の反省、②来年の抱負、③冒頭の言葉の3本立てで行きます。書くのが好きな人間な上、好きなことなのに急いで作って中途半端にするのは大嫌いなADHDの性質が祟ってやりすぎてしまいました。この量だとおなか一杯過ぎるから本格的に定期的なブログ更新をしていかなきゃいけないねとおもってます。
追記:何回も読み直して書き直してはいるんですが執筆時からほとんどずっと泣きっぱなしなのでみなさんにうまく伝わるかわかりません。とだけ伝えておきます。
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①今年の振り返り
人はたいていダメなところを見つけるのが得意らしいのでまずは今シーズンでよかったところ、でもってそこで上げた数だけ反省点をあげていきます。
良かったところはズバリ試合にたくさん出たこと、歯車の一つを見つけられたことの2つですね。
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3月の沖縄記録会(2月にフルマラソン出たじゃないかって?知らないなぁ)に始まり、4月に2試合、5月に2試合、7月7大からの8月専門外、五県と合わせて3試合、秋シーズンに2試合と10試合ほど出場しました。アベレージも1800~1850と壊滅的な崩れ方はしなかったのがやはり評価するべき点ですね。特に4月時点でUBに並んでいたのを考えると骨折らなければほんとに2000行ってたのではと期待せずにはいられないですね。今年は自分のメンタル面をしっかり鍛えるために結構な試合量を組み、そのおかげでかなりしんどいけがをしながらも最終的にはPBタイも出せたのかなと思います。最低限の最低限はクリアできましたね。
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もう一つの歯車についてですがこれがとても大きかった。夏休みの本気の鍛錬の中で自分の跳躍をぶっ壊して新しいものを積み上げるという試みの中で得た感覚です。跳躍のための走りと、気持ちいい踏切。簡単に言えば足が速いことが跳躍力に直結しないように、スピードをコントロールできるからこそスプリンターと差別化できるんだよって話ですね。専門的な話をしても面白くないと思うので詳しくは話しませんが死に際でつかんだ跳躍の核心ってとこですね。
やっぱりまだまだ僕は伸びしろだらけの初心者ですね(^^)。
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良いところ2つしかなかったおかげでダメなところはたった2個しか上げる必要がなくて幸せです。今年最も反省する2点は、ケガと計画性ですね。前者は長くなるので先に後者から。
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実力が足りないからと言って掲げた目標を崩すつもりはさらさらなかったのでなんとしてでも2100を跳ぶための予定を立てたこと、そしてそれを遂行できなかったことが僕の最大の反省です。基礎を伸ばしながら試合で記録を出すためにはどうしても強度は下げられないし、そもそも初めての福岡の環境がどんなものなのかわからないためにあらゆる計画が理想と現実のギャップによって裏目に出てしまいました。自分に正確な予定を課して、その通りにたどるのが好きな人間なので無理な予定を立ててはだめなんだなと改めて反省しました。
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次にケガの話をしますが、逆にケガをしていなければさらに自分を追い込んで分離症の再発とかいう最悪の事態も考えられるレベルで予定を強行していたのかもと考えるといい戒めだったのかもしれません。あと、高校の時の感覚で体重の計画を立てたのもミスですね。もう大反省です。言いたくもない。
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ケガに関しては今シーズン小さな怪我がなかったことはほめてあげたい。痛みの出る前にしっかりと休養を入れたことで格段にピーキングもうまくいくようになったし、練習の質を上げられました。ただこれを無にするレベルでチコちゃんの骨折は悔しかったですね。ただ、同時に嬉しくもありました。前回のブログでここら辺のことを書くと決めていたので序盤ですがしっかり話します。
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ーーーーーアニメでよくある回想の回想シーンだよーーー
西カレは当然として、7大表彰台、さらには全カレまで見据えていた今シーズン、ケガのおかげでチャラにできてほっとしました。悔しいですがこれが骨折が判明した時の率直な感情です。
「弱者も強者のふるまいをすれば自然と強者に近づける。せめてマインドだけは強者であれ」
うちのボスの言葉です。これを守り続けて強者の仮面をかぶり続けていますが、実際のところは弱っちいのが僕です。骨が折れて練習に大きな制約がついたこと以上に、とりあえずこれで記録が悪くても失望されることはないだろう、と安堵している弱い自分を自覚せざるを得ないことが療養期間中最も苦しかったです。もちろんこんな心があるからといって練習を緩めることはありませんでしたが、フィールドパートの試合に向かっていく雰囲気や同じようにケガした健一さんのひたむきさを見るたびに根本的に自分はダメだと引け目を感じてしまいました。結局自分のために頑張っているようでみんなの評価が怖くて頑張ってるだけの負け犬なんだなと自覚しました。7大の時にサトチャンにだけ見せた涙は悔しさなんかじゃなくカスみたいな記録でも跳べて良かったと感じたところ、そしてさんざん予防線を張っていざだめだったら少し悔しい気持ちになっている自分のことが嫌で嫌で出た涙です。
結局いろんな人を勝手に評価していますが一番逃げてるのは自分で、誰よりも低評価されるべき人間でした。
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反省すべき点は2つとか言いましたが結局のところ自分の本当の弱さに蓋をして自分に向き合い切れなかった結果が出ただけです。
厳しい現実があるかもしれないけれど自分に寄り添った理性を殺すか、無理だった時にいいわけの作れる理性を殺すかで逃げ道を作れる後者をとった時点で自分は負けてたんだなと気づかされました。
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今年はいろんな試合に出たことに加えいろいろと心が動いた試合があるのでいくつかピックアップして反省します。上述の話にかぶる点もあるので飛ばしていただいても構いません。
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1.県選の躍進→インカレの悲劇
やはりこの連戦のことを話さずして今シーズンは語れませんね。
久しぶりの県選出場と初めての九州インカレです。
まずは県選。
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実はというより当然というべきでしょうか、昨年のCSから復帰した僕にとってこの大会は2年ぶりの地元での試合でした。弟が同じ高校なので後輩の高校生たちからしっかりと応援をもらいながらの試合はなにかおもしろい感覚になりました。
当時の僕を知らない子達なので僕がどんな思いでピットに立っているのか知る由もない。
けれど誰よりも努力している3年生の先輩のさわやかなお兄さんだから声援を送る。チームの強さは声の大きさだとおっしゃっていたボスの言葉が今になって響きました。縁も薄くなった僕にすら力を分けてくれるようなチームを僕は九大で作れているだろうか、いや今からでも作り上げて見せると試合が終わった後心に決めました。また、高校時代のコーチからアドバイスをもらいながらの試合も楽しかったですね。すべての信頼を置いて自分の100%で応える、簡単なようですが、当時は後がなくて、そして何より自分を信じ切れない高校の時の僕は最後の最後に怖くなってできませんでした。まだ自分の力に信頼はできないけれど、コーチのことを100%信頼したおかげで2年越しにようやくコーチの前で、高校最後に跳べなかった1850mmを一撃クリア、さらにここでほぼクリアの1900が出せた(というよりあれで落としたら高跳び選手失格レベル)ことで大きな感謝の気持ちが溢れました。長いシーズンに強烈な光が差し込んだ瞬間です。
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気分は上々の中、自身初の連戦となる九州インカレは土砂降りの予報。ケガをしないことを優先にしていた僕は当然棄権をしようとしていました。しかしここで揺さぶりがかかります。大野に「試合棄権するん?」って聞かれてしまいました。もうね、大きく揺らぎましたよ。僕のルールとして自分より格上の前で情けない真似は絶対にしないと決めています。そのため大野に聞かれた瞬間に並べていた数々の言い訳たち(連戦の疲労ある、雨でケガするかも、棄権する気満々で観光モードの生活してる、どうせ気温も低いし記録狙えるわけないetc)は粉砕しました。
最終的には自分に様々な折り合いをつけて(雨の中でも上位大会はある、連戦を経験すべき、せっかく鹿児島まで来た、自分の中で意識を決めて試合でも使えるようにする)出場することにしたわけですが、実は最後の最後で僕の肩を押したものがあります。
それは
チームの応援を独り占めしたい
という欲望です。
県選で倉吉東高校陸上競技部のチームとしての結束を感じた僕はその結束の中でこそ至る力を感じ、インカレで試したくなりました。最後は理性じゃなく感情で試合に挑む決意をしましたが、結果は最高で最悪でした。まず最悪のほうは上述のようにチコを骨折しました。そして最高のほうはみんなの応援をもらいました。いまだかつてないほどみんなが応援してくれました。雨の中で顔を上げたらみんながいる、成功を信じて応援してくれる人がいることは自身の体を動かし、鼓動をふるわせるには十二分でした。インカレでもらった絶望はみんなからもらった希望がかき消してくれました。
この場を借りてありがとう。
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2.七大の間違えた!!→辛くて逃げたくなった五県
これは言わずもがなですね。
骨折して、大急ぎで跳躍の基盤を作って、大爆死した7大です。自分一人だけがカスだったならここでかなり重くなるんですが、何しろ間違えた!ですから少し心が軽かったです。2年男子が誰一人目標をクリアできなかったのは過去一で芸術点が高いですね。
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でもやっぱり試合でみんなの期待に一つも応えられない試合はもうしたくないって思いになりました。当たり前ですがこの試合は4年生の思いが一番乗る試合なのでめちゃめちゃ心動かされました。フィールドパートが強い結束で結ばれたチームとして形になった瞬間だと今でも確信しています。それとともにパートメンバー、他パート、他大学の選手の活躍を見れば見るほど自分のやってきたことはあくまでやってきたつもりだったんだと実感しました。この日から僕の中で自分をいじめるもう一人の自分ができました。これまでのトラウマから、使命感という大きな存在を見えないところに追いやって、努力の証明という究極には自分の欲望でしかないものを据えていましたが、絶対に自分の価値を証明しなければならないという使命を持つようになりました。もう忘れてると思うのでもう一度言います。ここからの僕は違います。後ろは振り向きません。離されないようについてきてください。
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こんな感じで決意に満ちておりましたが夏季記録会と五県での無慈悲な現実が僕を襲います。なぜか遅くなった100m、超えられない6mという2つの現実は僕のすべてを揺るがすのには十分すぎる結果でした。
今思えばそもそも2か月近く走ってないうえにまだ完治してない骨があるのに4月の100mを超えられるわけないって話ですよね。踏切が痛いんだから幅跳びでうまくいくわけもありません。おそらくまともな時の僕ならすぐわかっていたはずですが、決意を胸にやる気マックスであったがゆえに成長していないという事実は大きなものでした。ただ夏季での出来が悪すぎて自分が余分な目標を持たないようになったのは良かったのかもしれません。
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そんなこんなで人生2度目の中国五県。試合の前にいつもの練習のベストが更新できたのでかなり自分の中で自信があった+この試合への思いは並々ならないもので気合も十分で挑みましたが惨敗。完全に自分を見失ってしまいました。五県の存在については構想上これ以上重くしたくないので来年に記録が残ったときにでも。
今回は会場についてですね。会場は浜山と呼ばれるところで僕にとって因縁しかない会場です。なぜならそこは僕の最後の中国総体の会場で、五県の開始の高さは1850で僕が跳べず大量の涙を流した高さで、そりゃ力も入るよなって感じです。つまりここで1850を跳ぶことは完全に過去の自分にけりをつける試合だったというわけで、跳べなかったショックはえげつなかったです。自分のこれまでの練習は何の意味もなくて、いつまでたっても自分の中で作った壁は超えられないんだと絶望しきってました。本当に何をどうしたらいいのかわからなくなりました。正直苦しくて苦しくて鬱になりそうでしたが意外にも早く戻ることができました。理由は2つです。これを読んでくれる人は大体察してくれてると思うのとここで理由を書くといよいよ文字数が事故になってしまうので止めておきます。まぁ要はこの3試合が自分を傷つけ、そして前を向かせてくれたってことです。
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3.やっと並んだ3年間
最後に挙げるのはもちろん九州CSでのベストタイの跳躍ですね。何度も言ってますが正直喜びなんかよりほっとしたというのが最初の感情でした。正直どこから何を書いたらいいのかわからないくらい今でも嬉しさがこみ上げてきてしまいます。
前半シーズンうまくいかなかったことを踏まえて今の自分の跳躍をすべて壊してもう一度作り直した夏季鍛錬。楽しんで競技をするとは言っていたけど正直この大会でまともな記録が出なかったら少なくとも高跳びとはおさらばする、そんな気持ちで腹をくくった1か月弱でした。
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大学陸上を続けていく中で何百回と頭の中で浮かんでいた「あの日の僕はもう二度と超えることはできないんじゃないか」という不安、夏に味わった苦い失敗、自分のメンタルの弱さを何度も何度も恨んだ日々、それら全部がやっとほんの少し軽くなった気がしました。長々と書いてもうまくまとめられないので最後に一言だけ。
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僕は当時の自分に戻ったなんて一つも思ってないです。当時とは全く違うアプローチで、体で、スピードで、パワーで、頭脳で、勇気で、そして仲間たちの力を借りて、同じ高さに追いついただけです。もっと上のさらなる高みを僕は目指します。あと大沼ありがとね。これからも気合い入れる時はお姉さまに撮影頼む気満々です。
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ほかの試合も様々な思いがあります(新人戦での太陽拳話とか)が、全部話してたらこれから出会う人たちと話すときに「ブログ見て」の一言で終わってしまうのでやめときますね
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②来年の抱負
来年は2000は絶対として、やはり上位大会への進出を目指していきたいですね。
実は今年の佐賀国体に後輩が出場するので見に行ったのですが、やっぱり大きな舞台はいいですね。
心底嫉妬してしまいます。
ほかにも西カレに出ている高校の同期や全カレで活躍している先輩たちのインスタを見るだけで自分もみんなと同じ舞台でぶちかましたいと強く願ってしまいます。また、来年が大好きな3年生との最後のシーズンなのでもうすでに西カレ出場が決まっている先輩たちと一緒に大暴れしたいですね。そうは言うもののしっかりと数値は書いておかないとごまかせてしまうのでしっかりと書いておきます。
現状の上位大会の標準は時期が早いものから順に学生個人(4月):2110、全カレ(6月):2100、西カレ(9月):2000、国体(10月):2070?って感じです。
ほんとはすぐに2100と行きたいところですが今年はそれで無理してしまった結果けがをしたので素直に国体出場のペースを目指します。そのうえで試合もしっかり絞って、確実に間に合うような試合ルートをとります。具体的には国体標準切りが7月中旬の国体最終選考までなのでこの大会にベストがいくよう、県選、九州インカレあたりをシーズンインにしてぎりぎりまでガチ鍛錬を積み、そこでの反省を6月しっかり使って修正して国体最終選考であわよくば2100を狙っていければなというのがシーズン計画です。春夏シーズンはこれに加えて7大、五県と計5試合、上位大会に出られなければ秋シーズンはCS、新人のみの予定なので今年と比べるとかなり絞ったシーズンになる予定です。
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こんな長い冬季での大幅レベルアップを目指すプロジェクトの名前は「プロジェクト御堂筋翔~大きく、早く、ウトゥクシク~」です。由来としては弱虫ペダルに出てくるキャラの御堂筋翔君ですね。彼は勝ちに全てを懸けていて一切の妥協がありません。頑張っているつもりの僕とは違って、本物です。そんなレベルで自分も妥協せず頑張ってみる、というより、これに関しては本当に覚悟を決めたいなって思いでプロジェクト名を決めました。
僕はこれまで、おそらく大学陸上で長期的な本気を出したことがありません(もちろん練習の手を抜いてるわけじゃないよ)。というより高校生の時の経験から本気を出すと自分の限界を無視してまた壊れてしまうと思っていたのでこらえてきました。
でも、夏季鍛錬の1か月だけ本気出してみました。案の定体中はバキバキですが意外に冷静に自分の状態を分析できました。それに何より記録もついてきました。だから、あんまりこんな表現は好きではありませんが、高校生の時みたいな気持ちで、この冬季を乗り越えたいなと思います。
そしてその上で忘れてはいけないのは具体的な戦略です。数値的なものはもうすでにいろいろなところに出しているのでここではもう一つの戦略を書いておきます。それはずばり最後の歯車です。歯車は当然ですが一つでは動きません。今シーズンは一つの歯車を見つけましたが、この冬季はもう一つの歯車を探します。踏切にフォーカスした歯車のもう一方は何なんでしょうか。走り方?クリアランス?それとも自分では皆目見当のついていないあらたななにかでしょうか。正解は何かわかりません。でもどこかに必ず正解はあると信じてます。
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だからこそ副題の大きく早くウトゥクシクです。必ず跳躍のための大きな助走とスピード、そしてきれいな跳躍を目指していく先に最後の歯車があると信じてます。あっという間に強くなれる魔法みたいな練習なんて存在しないことはしっています、だからこそ地味で、退屈で、代り映えのないところから必ず掘り当ててみせます。
まってろよ滋賀国体。
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③冒頭
さて、長いようで短かったブログも最後のコーナーですね。今回は仮面ライダーファイズでおなじみ海道君の言葉を借りました。この言葉の裏には、自身のギタリストとして成功したいという夢を持ちながら不慮(実際は意図的でしたが)の事故によってあきらめざるをえず、夢をかなえられなかったままの人生に対して放った言葉です。
いやー、沁みますね。夢をかなえられなかった奴は呪われたままなんてほんとその通りですよ。僕の人生はつまるところ呪いだらけですが今年のシーズンで一つだけ呪いを解けました。
それが1900を跳んで流した涙のわけです。
本当に長かった。
自分が出した記録を超えるために無理をした高3、
復帰から光を見出した大学1年目、
そして自分の限界を感じてしまい絶望した2年目にしてかなった
「自分の記録を高校時代の伝説にしない」
という夢。
競技中に泣いてしまうのは選手失格ですが、3年間もの長い長い呪縛を解いたと考えれば一つも早くない涙です。むしろ遅すぎるくらいです。これでやっと自分の中で止まっていた自己記録の成長という時計が動き始めました。
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夢をかなえたのは事実ですが、僕はまだまだ大きくて、ベストに並んだ位で泣いてる暇はないような夢を持ってます。自分を超えること、2000に到達すること、上位大会出場、金持ちになること、身長1800mm超えることetc、まだまだかなえなきゃいけない夢は多いようです。
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ただ、どうやら僕にももう解けない呪いがあるようで、その一つがインハイ出場です。
おそらく、僕の人生で最初にして最大の挫折で今でもその事実は受け入れられません。高2の時点で1900mmだったので、この夢は確かに叶うところにあって、確実に手のひらには乗っていて、大切に、大切に逃げないように包んでいましたが、最後の最後に強く包んでしまい壊してしまいました。中国総体での最後の失敗は今でも忘れない、というより忘れられません。
あの時の天気、風向き、助走の目線、実況、
そして腰でこすったという確かな感触。
今でもありありと思い浮かんできます。終わったという事実に感情が追いつかず、本当に悪夢を見ているかのような感覚でした。みんなの待つ陣地に戻ると悪い夢は現実だったと気づかされてしまいそうで戻れませんでした(実際今でも悪い夢を見ていると思い込んでいる節があって、いまだに徳島インハイの記録に自分の名前がないのか探してしまいます)。
スタンドで一人涙を流し、ひとしきり泣き終えたところで同じタイミングで決勝進出を逃したキャプテンと二人でボスに報告。ここでの話は自分の心をあまりにも揺らすので割愛。1年後に、しかるべき身分になったのち、ちゃんと書きます(決して切なくないよ)。ゲリラブログとかあったら載せてみたいですね。つまるところ、僕はもう二度とかなえることのできない夢を持っていて、おそらくこの夢はあきらめることもできなくて、一生インハイを目指してるってことですね。
我ながらダサすぎて穴があったら入りたいです。
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本当はもう1つの呪いがあるのですがあまり気乗りしませんね。どう考えても辛いので。七大ブログの時にちゃんと書くと決めていましたがいざ書こうとすると気持ちがもたないし、これ以上は自分が耐えられなくなりそうなのでまたの機会に。
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と言いたいところですが、どんな形であれ書かないといけない気がするので書きます。ここから先は完全に誰かのためではなく、自分が折れそうになったり迷った時見返すため書くだけなので皆さんは飛ばしてください。点線部まで行けばもう大丈夫なはずです。
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もう一つの呪いは弟を呪わせたことです。
先に僕はインハイという夢に呪われていると言いましたが実は一つだけ解く方法がありました。それが弟のインハイ出場です。僕の夢が絶たれた瞬間から2年弱ずっと2人で戦ってきました。当然光がなかったら戦っていません。もちろん僕よりは細くて、かすかだけれど勝者になりうる資質がありました。だから、次は絶対に壊さないように丁寧に、かつ大胆に僕の持ちうるすべての思考と感覚を伝えて行きました。
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初めはいやいやだった彼も僕の本気の姿勢と先輩の最後の戦いを見たことで火が付いたのか徐々に本気になっていきました。特に二年生の年明けあたりからかなり無理な日程で積み始めたのを覚えています。ほとんど当時の僕と同じような練習量、けれども当時と違うのは僕がいる。疲労管理もメニュー設定も僕が調整できる。本人の柔軟性も相まって本当に故障ゼロで冬を乗り切りました。シーズンに入ってからも全力支援状態で疲労管理と試合設定を行ったのもあり1年前とは圧倒的に比べ物にならない力を付けました。得意種目の大幅ベストと、県選優勝という確かな手ごたえで続くインハイロード。鳥取県であればそうそうのことがなければ中国には進めるのでそこに全てを懸けていましたが、まさかの県総体優勝。福岡で1日中スマホとにらめっこだったのを覚えています。最後の結果が表示されて優勝した瞬間の喜びはとんでもなかったです。絶対に勝つという勢いそのままに中国総体。
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振り返っても僕はこの試合を応援しに行くために骨折したんだろうなと思います。というか確信して疑ってません。神様が本当にいるのなら、おそらく僕の2024シーズンでうまくいって得られる感動以上に、弟の最後となる試合で得られる感情のほうがはるかに大きくて、大切なんだろうなと判断してくれたんだと思います。まぁ結果としては気合が入りすぎて初日の動きが硬くなり、それを取り戻そうと焦った結果やり投げで負傷し負けてしまったわけですが。そんななかでベストを20秒近く更新した最後の1500はまだ短い人生ではありますが、これまでみてきた誰の、どんな試合より心を揺らしました。そしておそらくこの心の震えは一生忘れることのない宝物なんだと思います。
努力をたたえようと思うもどんな言葉が正解か分からず声をかけられなかったところ先制の一言
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「すまんな」
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この瞬間これまでのすべての行動を反省しました。自分が夢を押し付けていたこと、無理をさせたこと、そして、彼を自分と同じインハイ出場という呪いを背負わせてしまったこと。謝罪が先に出てしまうほどのプレッシャーを与えてしまったことは僕の人生でかなり上位に来る後悔です。本当は楽しく競技を続けられるような支援の仕方もあったはずなんです。でも、期待をせずにはいられませんでした。仇をとって欲しくて仕方ありませんでした。後悔して欲しくありませんでした。けれど結果はその逆を行ってしまいました。最後に笑って終わらせてあげたかったです。
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これが僕のもう一つの呪いです。だからこの呪いをほんの少しでも和らげるために僕は競技を続けます。そして、僕を信じてくれた弟に自分の行動は間違ってなかったと思ってもらえるような結果を残します。誰のための夢なのかもうわからないですね。やっぱりうまくまとめられないので最後に一言だけ、
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最後の最後まで一緒に戦わせてくれて、最後まで信じてくれて、もう一度夢を見させてくれてありがとう。立派だった。さぁ、もう一つの夢はちゃんとかなえるぞ。
何一つ面白くない感情の羅列を読んでくださりありがとうございます。
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ちょっといいこと言ってみましたがやっぱり暗い話は暗いですね。
じゃあ、どうすればいいかって?
簡単だよ。
目標だよ。
競技だけじゃなくていろんな目標を見せればいいんだよ。
人前で自分のキャラが崩れるのは嫌だって?
黙りなさい、もう手遅れだから。
せっかく楽しいブログなんだから楽しくつなげないとね(^^)
それじゃあ一気に競技内外10個+1ドキドキの目標を次回予告的な感じで上げますよ。
毎年似たようなことする人がいるので、この前風都探偵の映画見たのもあり仮面ライダーW風に行かせていただきます。
第一話:「Aの怒り:せっかちさんの18きっぷ旅行」
第二話:「唸るW:全カレへの第1歩」
第三話:「春が呼ぶL:恋する5秒前」
第四話:「涙のP:あの日を超えるとき」
第五話:「感じるB:いつかの無人島」
番外編:「Tの遊戯:海の先の大冒険」
第六話:「悪夢なC:かつての部屋を取り戻せ」
第七話:「Dの呪い:今君が輝くとき」
第八話:「加速するH:アイが止まらない」
第九話:「笑顔のR:つかの間の幸せ」
最終話:「叫ぶJ:崖の上の生」
わかる人にはわかるレベルで奇怪な文章になってしまいましたね。答え合わせは一年後に。さぁ、僕は無事に最終話までcompleteできるのでしょうか。
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最後に意味の分からない文を挟んでしまいました。チームの一体感を無視できない「せいちゃん」が空気を読まずやったことなので許してください。
本題に戻って、今年はみんな目標を文字に、口に起こしてもらいましたね(正直みんなの目標が強気すぎてびっくりしてます)。つまり皆さんも僕と同じ、夢を追う人になったわけです。呪い合いですね。一度夢をかなえたらまた大きな夢にすり替わるこの競技の世界はまさに地獄です。
みなさん、終わりのない一方通行の地獄へようこそ。最後の最後にこれから共にする苦楽と、あらゆる瞬間を一緒に乗り越えるために仮面ライダーエターナルよりこの言葉を贈ります。
さぁ、地獄を楽しみな!
さて、下級生のブログはこれで終わりです。次はいよいよ上級生ですね。今年の年末ブログは余裕をもって今年で終わるのでしょうか、非常に不安です。そんな不安もありながら上級生の1人目はなんとCHINA国からの刺客、ゴダイイさんです。よろしくお願いします。
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最後の最後の最後に今年のベストショットというか昨日撮った写真を載せておきます。こんな素敵な笑顔をあと何回スマホに保存できるんでしょうかね。