九州大学陸上競技部  フィールドパート

こんにちは!

九州大学陸上競技部フィールドパートです!


このHPではメンバーや日々の活動、大会の結果等々を紹介しています。

また、新入部員を随時募集しています。男女はもちろん、経験未経験も問いません。

興味のある方はぜひ見学に来てください!!みなさんとグラウンドで会えるのを楽しみにしています!


MENBER

4年生

山田 健祐(やまだ けんすけ)

走幅跳 6m39

出身校 新宮(福岡)

石井 晶子(いしい あきこ)

走幅跳 5m36

三段跳 11m01

出身校 津山(岡山)

松浦 悟志(まつうら さとし)

三段跳 13m05

出身校 藤枝東(静岡)

梁 梓桐(りゃん ずとん)

やり投げ 57m65

円盤投げ 37m66

3年生

中條 愛登(ちゅうじょう まなと)

走幅跳 6m00

出身校 高松(香川)

和知 陸斗(わち りくと)

走幅跳 6m30

出身校 山口(山口)

河野 隼人(かわの はやと)

走幅跳 7m09

出身校 春日(福岡)

福寺 航大(ふくてら こうた)

三段跳 

出身校 津山(岡山)

夏目 廉太郎(なつめ れんたろう) 

走幅跳 7m13

出身校 時習館(愛知)

2年生

鵜木 優羽(うのき ゆう)

走高跳 150cm

出身校 東筑(福岡)

小野 慧大(おの けいた)

走幅跳 5m18

出身校 久留米附設(福岡)

三井 百萌(みつい ももえ)

走幅跳 4m95

出身校 広島大学附属(広島)

森 優和(もり ひろかず)

三段跳 13m65

出身校 東筑(福岡)

八木 聖一郎(やぎ せいいちろう)

走高跳 1900mm

出身校 倉吉東(鳥取)

高木 淳匡(たかき あつまさ)

やり投げ 46m93

出身校 都立青山(東京)

山崎 充眞(やまざき みつまさ)

ハンマー投げ 34m39

円盤投げ 28m77

出身校 高岡(富山)

1年生

大月康資 (おおつき こうすけ)

走幅跳 6m73

出身校 岡山操山 (岡山)

淺野 寛仁(あさの ひろひと) 

走幅跳 6m51

三段跳 12m95

出身校 岡山操山(岡山)

桂 和弘(かつら かずひろ)

走幅跳 6m70

110mH 15.77

400m 51.00

出身校 県立前橋(群馬)

土井 悠羽(どい ゆう)

走高跳 1m50

800m 2'29"56

出身校 基町(広島)

木下 拓道(きのした たくみ)

三段跳 13m55

出身校 明善(福岡)

院生

川野賀 大喜(かわのが たいき)

三段跳 14m46

出身校 呉三津田(広島)

栗原 悠里子(くりはら ゆりこ)

200m 32秒35

棒高跳 2m10

出身校 福岡(福岡)

マーガ・マルセル・ジュリエン

100m 10秒95

砲丸投げ 13m67

出身 ドイツ ミュンヘン

胡 大維

走高跳 180cm

出身 中国


フィールド歴代30傑


フィールドブログについて

みなさんお元気ですか??

フィールドのHPブログについてお知らせします。



時間があるときに是非読んでください。

みんなで頑張ろう!そう思っていただけたら嬉しいです!!

こんにちは!

 1年生の皆さん、入学おめでとうございます!フィールドパートの次期パート長として新歓ブログを書きます、3年の森と申します。文章書くのは苦手ですが(文学部なのに)少しでもフィールドパートの良さが伝わるよう、ブログを書いていきたいと思います!


 まず軽く自己紹介をしたいと思います!私は中学、高校、大学と陸上を続けており、中学時代はハードルもやっていましたが高校からは三段跳を専門にやっています。そして今年の7月からはフィールドパート長として競技に取り組んでいくつもりです。

 そんな僕ですが、正直大学でも陸上を続けるつもりは、陸上部を見学するまでほとんどありませんでした。ただ、高校時代の記録に未練があったこと、週3なら続けられそうだということ、そしてフィールドパートが楽しそうに部活をやっていたことなどから、わりと「なんとなく」入部を決めたことを覚えています。


 こんな感じで大学3年間陸上を続けている僕ですが、陸上部、そしてフィールドパートに入って本当によかったなと、まあ現時点でではありますが感じています。大学生は中学、高校、そして社会人に比べ自由時間がたくさんあります。その時間を無駄にしたくないですよね、じゃあなに使おう。せっかくなら何か夢中になれること、そしてそれを通して何かしら達成感を味わえることに4年間を捧げたいと思ったわけです。僕にとってはそれが陸上で、だからこそここまで夢中で取り組めているんだろうなと思っています。


 まあもちろんスポーツである以上、きついこともあります。単純に練習がきついとか、記録が伸びない、モチベが上がらないなどなど。ただ、そのきつさも競技の醍醐味と言えば醍醐味だと思います。また大学生活という、やめようと思えばいつでもやめられる、きついことなんてあえて立ち向かわなくても他にやれることもたくさんある、というぶっちゃけそんな状況の中で、自分の力、そして周囲の仲間を頼りながら乗り越えるという経験は、自分を強く大きく1UP!(昨年のフィールドスローガンより)させられるはずです。4年後の自分が陸上を通して成長した姿、見てみたくないですか!?


 そしてフィールドパートは4年間の経験を作るのに最高の場所だと思っています。ブログを書いた他の人たちも言っていましたがいい仲間たちです、ほんとうに。それぞれに個性があり、特殊な面もあり、でも陸上に対しての気持ちは同じ方向に向いている。私がパート長をやろうと決めたのも、そんなフィールドの仲間を引っ張り、協力しながら、最後の大会で最高の結果を残したいという気持ちがあったからです。


 とまあこんな感じで今年の新歓ブログは締めたいと思います。このブログを読んで、フィールドパートのことが少しでも気になった方はぜひ総合グラウンドまで見に来てくださいね!新歓期間は残り少ないですが、興味ある方はいつでも見学・体験に来てもらってかまいません!フィールドパート一同お待ちしています!!

『人間は高い知能と科学技術を持つ代わりに、生身での身体能力は著しく退化してしまっている』……というのが世間一般のイメージであろう。

五感の鋭さや筋力・体格はもとより、道具を扱うためその「爪」も、道具に役目を奪われたその「牙」も棄ててきた。


だが、

人間にはまだ棄てていない武器がある。

それは大脳の発達とは別に、“戦うために”進化した身体機能……


『投擲(スローイング)』!!


(貴家悠/橘賢一 作 テラフォーマーズ 第48話 PITCHERS 対抗するもの より抜粋)



最近、週19コマという鬼の時間割である3年前期が始まってしまい、常に「死は救済である」と考えてしまうでおなじみ、フィールド・投擲パート3年高木です。


新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます!!🎉👏


冒頭から変な語りから入ってしまいましたが、新歓ブログ第3弾となる今回は投擲&私から見たフィールドパートについて紹介していこうと思います。



まずは投擲についての紹介から。

現在、投擲パートは3年生2人のみ(新入生1人入ってくれた!ヤッター^_^)の活動となってしまっており寂しく静かにひっそりと練習を続けている………ことなんてありません!!この2人、練習中も食事中でも飲み会でもラインでも非常に活発、誰よりも声が大きく元気モリモリに活動しています!

最強……というほどの記録は残せてないのでまぁ最叫にしておきます笑。サイレントマジョリティーの逆、ノイジーマイノリティーということです。どっちが五条悟でどっちが夏油傑なのでしょうか。どうでもいいですね。次に行きましょう。

普段は人数が少ないため、跳躍の人たちに混ざってスプリントメニューをしたり、短距離に混ざってウエイトトレーニングをしたり、かなり自由な動きをしています。

平日がランメニュー、サンドボールやメディシンを投げたり、チューブトレなどの技術練習、空いている時間にはウエイトトレーニング、そして土曜日の練習はイーストゾーンに行って投擲練習をするのが主な一週間のメニューです。


次に投擲の魅力について。

何といっても即戦力なこと!!他パートや跳躍種目は人数が多く、対抗枠を争って部内選考をする必要がありますが投擲はその必要がありません。すぐに部の戦力として活躍することが出来ます!

特に部が一番力を入れている七大戦では出場選手がそろわずに点差を付けられてしまっている種目があります。男子の砲丸投げ、ハンマー投げ、女子の投擲が特に狙い目です!チャンスしかない!!

七大戦ではみんながお祭りのように盛り上がって応援してくれます。普段の大会では手拍子を求めづらくても、ここでは私たちが主役です。みんな手拍子を求めちゃうほどノリノリになって盛り上がれます!すっごい楽しいです!そんな大会に一年生から対抗選手として出られるのは魅力的なんじゃないかと思います!


あと、自分は普通にかっこいいからで続けているかもしれません笑。

人類って他の動物に比べ、投擲に特化した体を持っていて、ひとえに絶滅してこなかった理由は我々のリーチが長かったからという歴史があります。(さりげなく生物学科をアピール)

地球上の生物には人類より走るのも飛ぶのも上がいますが、生身の体で一番物を投げられるのは人類なのです。

投げるだけ。それだけをとにかく突き詰める。そこに奥深さとロマンがあると思うのです!


そして、未経験でもできるよってことを伝えたいです。恐れることはありません。自分も実は高校までにやっていた期間は1年もありません。もともと長距離として陸上部に所属していて、野球やっていたという過去からちょっとやり投げやってみるか~ぐらいのテンションで始めています笑

地道ですが少しずつ筋力をつけ、技術をつけ、いろんな失敗をしてようやく出せた自己ベストは何物にも代えがたい喜びです。

きっかけは何だっていいです。少しのやる気さえあれば十分です。



最後に私から見た陸上部・フィールドパートについて。

新入生の皆さんはいろんな動機をもって練習に参加してくれたり、インスタを見てくれたり、このブログを読んでくれていると思います。

何を頑張りたいと思っているかも人それぞれ。部活と勉強、バイトだったり、ある人たちは恋愛だったり。九大ではほとんどの人が一人暮らしですし、生活するのでも今は精一杯という人もいるのではないでしょうか。

一昨年の和知パート長の新歓ブログでも触れていたのですが、これらの中で大学生活において頑張れるのはせいぜい2個だと私も思います。全部全力で追うことは残念ながら難しいです。


自分も最初は全部やろうとして、怪我をして風邪になってしんどくなって部活も授業もいけなくなった時期もあります。緩く続けられたらいいな、50m投げられたら万々歳で45mでもまあいっかぐらいの気持ちが一年の終わりごろまでありました。1どころか0.5個分ぐらいの心持ちだったと思います。


それでいいと思います。部活の中では緩めの週3の活動、個人競技ということもあり自分のキャパやモチベーションに合わせて動けるところが始めやすい、大学でも続けやすいと思える陸上部のいいところです。


そして、そんな気持ちで入ったフィールドパートも今では気を遣わずに落ち着ける一つの居場所になっています。

一人ずつ試技を行うというフィールド競技の性質なのか、個性豊かな人しかいません。 みんな尖ってみんないい です。上下関係は緩く、繋がりは強く。みんながみんなの活躍、成長を応援してくれる、刺激的で面白くて温かいパートです。


そんな温かいパートだからこそ今ではみんなに感化されて部活とは別に自主練を週4,5で入れるようになっているのだと思います。モチベを上げようと思えばとことん上げようとみんながサポートしてくれる、かといって干渉もし過ぎずやりたいペースに合わせてくれる、そんな良さがあります。


きっと今の自分の配分は、部活:1、勉強:0.6、バイト:0.4、恋愛:0(同期に置いてかれた😢)ぐらいです。人によってどう変わるかなんてわかりませんね。大学入学時には思い描いてなかった未来です笑。

でも、フィールドパートに来たからこそ成長できた、選んで正解だったと胸を張って思えます!


本気でやりたい人も、ふわーっと始めてみようかな、続けてみようかなと思っている人も、部活に行きたいと思える居心地のいい場所。

大学生活をそんな環境の中で過ごし、成長してみてほしいなと思います!

興味がわいたらぜひフィールドパート、そして投擲パートの見学に来てみてください^_^



なんか最後はタイトルや前半と全く違う雰囲気になってしまいました笑。

お次は新歓ブログラスト!次期パート長の森ひろかずです!!

前パート長の松浦さとぼぉ先輩のブログを超える、魂が震えるブログを期待しています!!お楽しみに~!

こんにちは!

女子・2年を代表してブログを書かせていただくことになりました、土井です! このブログを見てくれているっていうことは多かれ少なかれフィールドに興味があるということなんでしょうか?😏今回は女子の目線から書いていきたいと思いますが、もちろん男子も読んでいってくれると嬉しいです!

まず初めましての方も多いと思うのでちょっとだけ自己紹介します。専門は走高跳で、たまに800もやっています。フィールドですが100~42195mの公式記録を持っています。様々な種目にチャレンジしやすい環境というのも九大陸上部の魅力の一つですね!

私は高校時代、走高跳と400mhをしていました。純粋に陸上が好きだったことと、高校最後の大会で走高跳において悔しい思いをしたということで大学は陸上部で走高跳をすると決めていました。しかし、決定打はやはりフィールドパートの雰囲気の良さでした。

ここで本題に入りたいと思います。九州大学の陸上部は男子の数が多く、入りづらいなあ、、うまくやっていけるかなあ、、と考えている女の子も少なくはないかもしれません。私も実際に陸上部の公開練習に行ったときに思いました。私が初めて見学に行った公開練習はメニューが坂ダッシュの日でした。でかいし、何か叫んでるし、サングラスしてるし、圧倒された記憶があります。でも心配する必要は全くありません!個性的で面白くて優しいメンバーが揃ったフィールドは居心地良く、自然と笑顔があふれるパートです。それでいて多くの人が目標に向かって日々努力をしていて、様々な面でとても刺激を受けることができます。困ったときには優しく手を差し伸べ、ウェイトや練習、単位の相談に耳を傾け、アドバイスをくれる、そんな人たちが揃っています。きっと気づいたら部活のない日がなんか物足りないなんて感じる日が来るはずです。

そして現在、フィールドパートの女子部員数は4人です。数字で見るとやっぱり少ないなと感じるかもしれません。しかし体積よりも重要なのは密度です(自論です。責めないでください)。要は少人数でもフィールド女子のつながりは強いってことです!!そしてそのつながりは他パートまでにも及びます。休憩中や練習前後にお話ししたり、ご飯に行ったり、遊びに行ったり、先輩後輩関係なくつながりが生まれ、部活+αの楽しみを実感できること間違いなしです。私の場合、パートの2年に私以外の女子がいないため、少し寂しく思うときもありますが、このつながりのおかげで楽しく部活ができています。後輩が入ってきてくれたらもっと楽しくなっちゃいますね!ワクワクが止まりません!

最後に少し大学生活についてです。勉強やバイトとの両立が可能かということをよく聞かれるのでこの場を借りて私なりにお答えしたいと思います。結論、できます!私は期末テストの代わりにレポートが多めなので、早め早めに取り掛かるようにしています。学部によって差もあるかもしれませんが、受験を乗り越えてきた皆さんなら大丈夫だと思います!

バイトはほとんどの部員がしていて、掛け持ちをしている人も珍しくはありません。塾や飲食や運送、みんないろんな職種で働いているため、エピソードトークを聞くのも楽しいです。大変だけどとっても良い経験になります!バイト代でスパイクやシューズを買うと、高揚感がすごいしモチベも爆上がりします。

このブログで少しでも陸上部・フィールドパートの魅力が伝わったでしょうか?楽しそうだなと思っていただけたら幸いです。皆さんの入部、体験、見学を心からお待ちしています!!

4年しかない大学生活を陸上部・フィールドパートで一緒に最高なものにしましょう!!

こんちには!!!

本日から何名かで新歓ブログを回していこうと思います!

入部した新入生だけでなく、入部を考えている新入生にフィールドパートの魅力を伝え、入りたいなと思ってもらえるようなブログを書けたらなと思います!


まずは自己紹介から!

僕は現フィールルドパート長を務めさせていただいている4年生、数えない年で21歳の和知です。最近の悩みは毎練習時のパート集合の際に締まりがないと後輩たちに文句を言われることです。なので、最近は練習始めにクールでスマートな掛け声を、練習終わりにはとても為になる教えを説くということを始めました。これからのフィールドパートの伝統にしていきたいと思っています。


僕は、小学時代は野球、中学時代はソフトテニス部、高校時代は帰宅部、そして浪人を経て、九大陸上部に入部しました。完全に陸上は未経験、スポーツのブランク4年以上もある自分が九大陸上部、フィールドパートに入ったかというと、雰囲気が好きだなと感じた、それだけです。大学の運動部というと上下関係が厳しいとか体育会系をイメージしがちで、逆にサークルだとチャラチャラした緩すぎるイメージがありますが、九大陸上部、特にフィールドパートはそのどちらもの良い所取りというのか、厳しすぎず緩すぎないで、入りやすいと感じました。そんな軽い感じで入部したら、当時の先輩たちが初心者の自分もとても可愛がってくれて、毎回の練習が楽しくて、毎回休むことなく行くようになっていました。今やもう4年生となり、一番の先輩となってしまった自分ですが、新入生だったころの自分を可愛がってくれた当時の先輩たちを思い出して、新入生を可愛がろうと思っています!また自分が好きなフィールドパートの雰囲気を壊さないように努めてきたつもりです!なので、このブログを読んでフィールドパートが気になっている新入生がいたら、ぜひ一回見学にでも来て雰囲気を味わってほしいなと思います!


次は特に陸上未経験だったり、ブランクがあり、周りのみんなについていけるかなと悩んでいる新入生に向けて。自分も入部したての頃は高校、浪人と4年以上まともな運動をしてこなかったので、心配はありましたが、今では(自分で言うのもなんですが、)ついていくどころか引っ張っていけていると自負しています。参考に自分の成長の記録を載せてみます。


100m

2022/5/2(1年) 13.89(練習) 初めての100m

2023/3/18(1年) 学連競技会 12.61 初めての試合

2024/3/30(2年) 学連競技会 11.68 初11秒台!

2024/10/27(3年) 新人戦 11.26 目指せ10秒台


走幅跳

2022/8/11(1年) 5m26(練習) 初めての幅跳

2023/4/16(2年) 朝日記録会 5m36 初めての試合

2023/10/29(2年) 秋季記録会 5m76

2024/7/6(3年) 七大戦 6m13 初6m!

2025/3/22(3年) 学連競技会 6m30


専門の幅跳びでは1m以上、サブ種目の100mでは2.6秒以上伸ばすことが出来ました。自己ベスト更新回数は幅6回、100m6回、高1回の計13回!経験者の人だと大学で高校時代の自己ベストを更新が出来ず、モチベーション維持が難しい人もいますが、未経験だとバンバン記録を更新できて、ドンドン自分んの成長を感じられ楽しいです!またブランクがある子も、練習を少しづつ戻していったらすぐに戻ると思います。

自分がこんなに成長できた理由は、フィールドパートの緩い面もありながらも、みんなの陸上に対するモチベーションが高いことだと思います。上下関係だったり、普段は緩いフィールドパートですが、九大陸上部で一番練習しているパートだと思います。部活としての練習は月水土の週3回ですが、部活後や部活のない日に自主練や何人かで集まって練習する雰囲気があったおかげで成長できたと思います。

これを聞くと逆に陸上に対するモチベーションがあまり高くないと浮いてしまわないかなと思うかもしれないけど、あくまで陸上は個人競技である以上、良い意味でお互いに過干渉でないので、全然浮くとかはなく、普段の部活だけを楽しむというのもできると思います!


以上、自分からは未経験から始まった陸上、フィールドパートの魅力について書いてみました。あと何人か、いろんな人の目線でフィールドパートの魅力について紹介していくので、ぜひ次回以降のブログも読んでみてください!そして少しでも陸上部、フィールドパートに興味が湧いたら、一度見学だけでも来てみてください!いつでも待ってます!

こんにちは!年末ブログのトリを務めさせていただく、和知です!

トリを任せてもらったのに申し訳ありませんが、明るい新年を迎えられるような元気なブログは書けそうにありません。自分に嘘をついて明るいブログを書こうかとも思いましたが、とある僕の大好きな先輩もおんなじようなことをしていたので、それも良いかなと思い、思うままに書くことにしました。



2024年を振り返ると、まず最初に思い出されるのは1月下旬のとある決断です。その日、僕は人間関係で1つ大きな決断をしました。この決断は多分間違っているのだろうなと当時の僕でも分かってはいましたが、すでに限界を迎えていた僕にはその決断を取らざるを得ませんでした。


そこからの冬季練は辛さを含むものでした。先輩たちのいなくなった後の部活に希望を見いだせず、先輩たちに今年の七大で4年生と一緒に引退したいと毎日のように相談していた気がします。でも先輩たちの支えのおかげでなんだかんだ楽しくやれていていました。


そんなこんなで迎えたシーズンイン、追参でしたが初の6mと11秒台を記録し、冬季中の悩みも忘れるようにシーズンに突入していきました。


5月は絶対に大好きな先輩と一緒に対抗枠として七大戦で戦うために、記録会で記録を残しておこうと必死に焦っていました。ですが結果は散々で、迎えた春インも心身ともに傷を負ってしまいました。


6月は5月の反省を生かし、焦らずにトライアルに備えていきました。結果的にトライアルでは対抗枠を取ることができませんでしたが、もう気負わなくていいんだとほっとしました。また先輩との絆をより一層深めていけたように感じてます。


それからの七大戦にかけては本当に最高の日々で、一瞬で過ぎ去っていきました。この時にはもう、この七大戦で辞めたいといった気持ちはかなり薄れていて、先輩からもらった大切なものを背負っていきたいと思うようになりました。


最高の七大戦が終わり、ついにパート長になり、自分が一番の先輩になってしまいました。

夏休みはパート長として頑張ろうという気持ちはありましたが、不安もありました。いなっくなった先輩の影の大きさに潰されそうになり、自分のパート長としての存在価値が分からなくなりました。ですがそんな時にある後輩が、僕の事情など知っていないであろうけど、ポロっと僕のパート長としての存在を肯定してくれるような言葉を言ってくれました。それが救いの言葉になり、夏休みは不安を抱えつつも、明るい希望をもって楽しく過ごすことが出来ました。


10月はシーズンの締めくくりに向けて、練習を行っていきました。しかし今思えば、そこには競技者として自分しかいなったように思います。後輩の言葉に甘えて、先輩として、パート長としての自分はただあぐらをかいているだけでした。


そうして迎えた新人戦では幅、100ともにベスト更新し、競技者としては最高の締めくくりが出来ました。


11月になり冬季に入ってから、ゼミの関係で部活に遅れての参加が増えていき、後輩に任せることが多くなりました。そこで消えかかっていた黒い影がまた現れました。先輩として、パート長としての自分に存在価値があるのかと毎日のように考えるようになりました。また、当たり前ですがシーズン中の自分とピークアウトしてしまった自分の動きのギャップを感じるようになりました。これまでの冬季は初心者であったこともあり、冬季中も調子が下がることなく練習が積めていたので、余計にこのギャップには強く苦しめられました。そうして、先輩としてパート長としての自分だけでなく、競技者としての自分も暗い影に飲み込まれていきました。


12月の頭にウエイト中の気の緩みで腰を痛めてしまいました。満足のいくように練習が出来なくなり、競技者としても苦しい日々となりました。またゼミの発表の時期も重なり、部活に裂ける気持ちのキャパが減っていきました。そうすることでさらに先輩としてパート長としての自分の存在価値が消えていっている恐怖に苦しめられました。後輩の言葉の効能も完全に消えてしまい、先輩にもらった大切なものさえ、苦しい重りになっていきました。


「なんでこんなにも先輩として、パート長として頑張れないのか?」

「自分って後輩のこと、パートのみんなのこと好きじゃないのか?」


そんな自己嫌悪ばかりでできました。そんな不安や自己嫌悪をかき消すために部活に行ったら無理に、大げさに、明るく振る舞っていたように思います。そんな中、ゼミの発表がいよいよのところまで近づいたことで1週間、部活からも練習からも離脱してしました。久しぶりの練習でほんの些細なことで、パート長としての挫折、競技者としての挫折やその他の挫折が重なり、一気に感情が爆発してしまいました。


そんなこんなで後悔ばかり積み重ねしまったこの数か月ですが、2024年の最後の最後にまた一つ後悔を重ねてしまいました。もう情けなさも越えて、自分でも笑ってしまうくらい滑稽に感じます。


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こんな1年を過ごしたわけで、2024年最終日にこうブログを書いている現在も、何も解決していないし、何か得たわけでもありません。ただ、先輩にもらったモノ、もらった言葉はちゃんと残っていて、今の自分に何もないなんてことはないと少しずつ思うようになりました。


正直これから先輩として、パート長としてなにかやれるか、残せるかは分かりません。でも、今はただ先輩たちにもらったモノだけを信じて、やれるだけのことをやっていこうと思います。



「どんなに辛くたって終わってみたら続けて良かったと必ず思う」


自分も終わったときそう思えると信じて。



思ったより長くなってしまいました🙇最後まで読んでくれた方ありがとう!年末ブログもこれにて終了!みなさん良いお年を!!!

こんにちは。フィールドパート3年の筋肉からバトンを受け取ったフィールドパート3年の河野です。2024がもう終わるとのことで早いものですね。歳をとるに連れて1年が短くなって行くような気がしてなりません。

2024の振り返りとしては大きな怪我もせず楽しく陸上やれたのでとても良い1年だと思いました。あと、部活を初めてから食生活を見直した結果体重がとても落ちました。ほんとに嬉しいです。2年時は休部して、今年の3月から徐々に復帰していった自分ですが暖かいフィールドパートのみんなのおかげでそんなに苦しむことなく練習に参加することが出来ました。皆さん本当にありがとうございます。短いですが振り返りはここぐらいにしておきます。

次に来年の目標ですが、来年も相も変わらずに怪我なく楽しく陸上出来たらいいなと思っています。あと、七大戦に出来れば対抗選手として出たいな〜って思ってます。ただ、現状跳躍練で1本跳んだだけで膝が痛くて結構苦しんでます。膝の改善方法、些細なこととでもいいので案ある方は教えてください。

自分も文章書くのニガテな部類ですが、短く書くことでまとまった雰囲気を出せたと思います。

最後は我らが長、和知陸斗です。年末に相応しい大トリを飾って貰いましょう。

ユニこーーーーーーーーん

こんにちはフィールドパート3年の筋肉です。2024年も終わりが見えてきました。クリスマスも終わり、まるでそれが何もなかったかのように次は大晦日だ、年始だと忙しない世間に嫌気がさしてます。まず少しだけ、最近の悩みについて聞いて欲しいです。皆さんは、夢遊病ってご存知ですか?夢遊病は、ノンレム睡眠という深い眠りの時に生じ、寝ている間に体が勝手に動いているという睡眠障害です。もしかしたら私の身体もこれかもしれないということが起こっています。というのも、週5で着ていたスウェットのズボンを脱いでいて、そのうち3回はパンツまで下ろしているのです。下品でごめんなさい。しかし、大問題です。このままではこの愚行を許してくれる女性を見つけないといけないのです。人生が一気にハードモードです。同じような経験がある方がいたら少し話したいです。助けてください。

では本題の今年の振り返りへ。今年の自己評価はまあまあといったところです。肉体のフィジカル、走力という面では今までで一番だったし、質のいい練習もできていたと考えています。一方で強みだった体の強さという面で、怪我をしたり、体調を崩したりといった老い(まだ老いを語るには早いかもだけど)を感じる点で少し良くなかったです。疲労も抜けづらくなっているのをこの冬期で感じているし、ついに来年のやめ時を意識してきました。今の修士で陸上やっている奴らってすごいんだなというのを体で感じています。あいつらはヤバイ。

最後に今後の冬期の展望と来シーズンそしてその後のことについて。まず冬期。ここから寒さが加速してくるのでいよいよ調子に乗らない。とにかく怪我をしない。力のコントロール、オンとオフの切り替えをしっかり意識して練習を行うこと。

次に来シーズン。来年の七大で僕は陸上を辞めるので最高の終わりにしたい。まずベスト出すのはもう当たり前であって、九大のランキング?みたいなので自分より上にいる奴は全員ぶっ○す。七大も優勝。とにかく陸上選手としての自分を最高に高めたい。

最後に今後。みんなは陸上を辞めた後何を趣味に生きていくとか考えているのかな?僕は陸上の能力を向上させる目的で始めた筋トレの魅力にすっかり取り憑かれてしまい、今では気持ち良くなるためにやっています。多分なんか病気です。まあ色々あって陸上やめた後はフィジーカーになろうと思っています。こっちも意識してシーズン中はトレーニングしていこうと思いますƪ(˘⌣˘)ʃ

来年は九大生として戦います。つまりこれを読んでくれたみんなとはライバルです。あと七ヶ月間だけどよろしく。

文章書くのニガテ、うまくまとまらなかったから隼人がなんとかしてくれるよ。

こんにちは。親指を立てながら「知ったこっちゃない」表情が最高な、いつもハッピーなマナトです。

お久しぶりです。しばらく部活に行ってない間に、初めましての人もフィールドに加わったようですね😮

今留学が終わり、空港で帰りの飛行機を待ちながらブログを書いています。

さて、今年ももう終わりですね。

つい最近入部した感覚でしたが、気づけば3年生の冬がやってきていました。今年は本当に濃い1年になりました。

皆のように、軽く振り返ってみます。

1月

冬季練真っ只中。強豪校に比べれば九大の練習はそんなにキツくないかもしれませんが、それでも毎回練習の前日ぐらいからは憂鬱になります。自分はメンタルが弱いので自分に甘くなりがちですが、去年に比べればキツい練習もそれなりに踏ん張れたと思います。

帰省時には高校の同期と練習しました。実力者の彼らと一緒に練習をこなして力がついたし、何より楽しく練習できたのが良かったかなと思います。

また、1月には成人式がありました。本当に時の流れの早さを感じました。

2月

一番印象深いのはやはり七大合宿です。全国レベルの選手も多く、萎縮しそうになりましたが、できるだけこの貴重な機会を実りあるものにしようと努力できたと思います。他校の選手とチームを組んでのメニューもあり、自分から積極的にコミュニケーションを取りにいくことで、自分の考えを言語化したり他の選手の技術を盗んだりできました。跳躍練ではかなりの本数を跳びましたが、全て高い集中力でこなせたと思います。補強でも皆より重いバーベルでチャレンジするなど、能動的に成長の機会を得ることができました。

いつもとは違う環境で緊張感のある練習はストレスフルな部分も大きかったですが、それ以上にこの合宿で得られた成長は大きかったです。

3月

九大陸上部での合宿がありました。5日間連続の練習で、とにかく脚にきた覚えがあります。それでも、七大合宿と同様、毎日気を張って自分の成長に必要なものを得られるように頑張れたと思います。

かなり気温が低い中での合宿でしたが、走練も跳躍練も及第点以上の成果は出せたと評価します。最終日のリレーで優勝できたのもいい思い出です。

あとは、山登りしたりコンビニまでめちゃ歩いたり、フィールドの皆と多くの時間を過ごせたこともこの合宿の良かったところです。

合宿後には、サトチャンとポンキチくんとリッくんとマックに行きました。ビッグマックを2つ重ねてかぶりつきました。疲労困憊の身体に染みました。

4月

シーズンインしました。初戦は5m86だったかな。まずまずの滑り出しでしたが、2戦目で5m53を出してしまい、シーズン序盤にしてモチベーションが下がってしまった覚えがあります。

5月, 6月

就活の関係で中々部活に行けず、さらにモチベーションが下がってしまったと思います。

ウエイトはちょこちょこやっていたので、筋力はそこまで衰えてなかったかもですが、本当にしばらく走ってなかったので七大戦への不安を抱えたまま7月を迎えることになったと思います。

7月

鈍った身体を戻さなければいけない焦りと、4年生との練習も残り少ないということで、7月は部活を優先事項にしていました。

走力と筋力を完全に戻すことはできませんでしたが、身体に刺激を入れながら疲労を溜めずに七大戦までを過ごせたので結果オーライかと思います。

七大戦本番では、いつもとは何か違う緊張感が自分の中でありました。自分が後に競技する皆に勢いを与えないといけないとか、お世話になった4年生に記録で恩を返したいとか、シンプルに練習不足だけど大丈夫だろうかとか。数年ぶりに試合で緊張したと思います。

結果は5m94でした。目標の6mには届きませんでしたが、SB、さらにはUBです。苦しんでいた沼から少し抜け出せた気がして安心しました。満足すべき記録ではないかもしれませんが、ここ数年のダメダメな競技生活を考慮すれば満足してもいい結果だと思い素直に喜びました。

実際、踏み切った瞬間、完璧まではいかないものの、ハマったという感覚がありました。人生で初めて手拍子を求めたりもして結構緊張maxでしたが、UBが出せて本当に肩を撫で下ろしました。

皆の勇姿や4年生のかっこいい姿も見ることができて充実した七大戦になりました。

8月

七大戦が終わり、フィールドでバーベキューしたり、地元の友達と今シーズンの最終戦を楽しんだりしました。

部活の仲間との時間も束の間、8月は来たる留学の準備が忙しく、部活に中々行けなくなってしまいました(泣)

といった感じで、紆余曲折ありながらも全体的には満足のいく競技生活ができた年だったと思います。

このままでは8月以降の情報が全く無くなってしまうので、ちょとだけ8月からの個人的な活動についても書きます。

8月

「大学生韓国釜山市訪問プログラム」に参加しました。Campusmateでお知らせが来ていて、「渡航費・滞在費無料!」の文面を見て応募したところ運良く選ばれました。

日本からは福岡大学・九州大学、韓国からは釜慶大学校・東西大学校が参加しました。

最初の数日は、釜山銀行や釜山商工会議所、釜山市役所や民間企業を訪問して、韓国の経済や行政を勉強しました。それ以外にも、皆で韓国料理を楽しんだり、観光地を巡ったり、韓国語を教えてもらったりしました。

プログラム中盤には、各大学から1名ずつ、4人のグループに分かれました。日韓友好に向けた政策提言を考え、プレゼンを徹夜で作りました。韓国人学生は皆日本語ペラペラで、難しい議論も問題なくできていて尊敬するとともに、言語を学ぶことで自分の世界を広げる大切さを実感しました。

最終日には、徹夜で作り上げた政策提言を東西大学校の総長にプレゼンしました。プレゼンの内容は10月に行われた釜山-福岡フォーラムで日韓の各界重鎮に共有され、自分たちの提言が実現する可能性があるとのことで楽しみです。

自分は将来外交に携わりたいので、このプログラムは本当に貴重な経験でした。

9月

ついに交換留学が始まりました。留学先はタイのマヒドン大学インターナショナルカレッジというところです。国際関係学が学べるのと、日本人にとってアジアは比較的住みやすいと思ったため、この大学に決めました。

到着初日から大学でオオトカゲを見たり、ノーヘルバイクの多さに驚いたりと、日本とは全く違う環境にワクワクしました。友達との会話や授業は全て英語ですが、理解できない部分もあって楽しさとストレスが半分ずつぐらいでした。

一番苦しかったのは、到着から約1か月ずっとお腹を下していたことです。後にタイ特有の香辛料が原因だと分かりましたが、それまでは結構苦しみました。楽しかったです。

10月、11月

タイ生活にすっかり慣れました。が、暑さと湿気がすごかったです。毎日35℃ぐらいで雨もよく降るので、the東南アジアの環境だなと感じました。

色々落ち着いてきたので、タイの観光地を巡ったり、タイ料理を存分に楽しみました。ハロウィンに街に出たり、寺院を巡ったりしました。タイ語の勉強もしていたので、現地のタイ人とタイ語で会話するのが一つの楽しみになりました。タイ語が少し話せたおかげで値引きしてもらえたり、普通の日本人よりボッタクられなかったりと、ここでも言語の重要性を実感するようになりました。

12月

4か月の留学生活はあっという間でした。留学生の友達や出会ったタイ人は皆心が温かく、帰国するのが寂しくなりました。様々な経験をくれたタイに感謝です。

という感じで、今年一年は本当に充実した年でした。帰国したらこの秋冬の思い出を共有したり、また一緒に練習したりしましょう。

それでは、皆良い年末年始をお過ごしください。

次は、最近どんどんムキムキになっている夏目廉太郎ですよ。よろしくお願いいたしますね。

皆さんこんにちは、九大陸上競技部のおっさんマルです。

胡くん、フィルドパートの初ブログお疲れさまでした。健康スポーツ科学の学生がもう一人、フィールドパートに参加すると聞いて驚きました。来年以降、大学院生として頑張ってくださいね!

さて、

もう12月ですね。時が経つのは早いもので、ついていくのが大変ですね。今回のブログは特に面白いことが思いついてませんでした。前回、自分の壊れた体について書きましたが、悲しいかな、何も変わっていません。特に持久力と筋肉の疲れの面では、みんなと比べるとまだ年寄りのような気がします...。でも誰かがいつも言うように、僕はまだ若いんだよね。 😅

というわけで、今年唯一の成績である九州インカレでの十種競技について詳しく説明することにしましょう。

まずは100m。あまりに悔しかったので、フィニッシュタイムすら覚えていません。12.30秒ぐらい?? それってスプリントと言えるのか😂?残念なことに、スタートを間違えてしまいました。バランスを失って、スタートブロックから落ちそうになりました。でも、スタートブロックから落ちなかったとしても、僕のスタートは本当に遅いんです。スタートの練習が本当に必要なんです。体重が重くなりすぎて、脚の筋肉が追いついていない感じです。 せめてまた10秒台に近づきたい......11秒30くらいあれば最高なんですけど、どうなることやら......。

それから走り幅跳び。僕の記憶が正しければ、5.86mという結果にはそこそこ満足しているんですけど......。走り幅跳びは最初から苦手でした。どうしても理解できないんです。大会では、僕の助走の計算が甘かったせいで、少なくとも30cmは板を外したとわかっていましたから、すべてがうまくいけば、6m20~6m50は不可能ではないはずです。

次は砲丸投げ。十種競技では11.00mで優勝しました。しかし、それには満足できませんでした。実は翌日(十種競技2日目)の通常の砲丸投げでも11.78mを記録して9位となり、ベスト8入りを逃しました。まだ完璧とは言えないが、まずまずの感触でした。僕の記録である13.67mはまだ20歳未満で達成したものだから、6kgしか使っていません。なので僕の目標は12.50mですけど、12m以上なら何でも満足です。

走る高跳びは......前回のブログを読んで写真を見てくれた人なら、何が起こったかわかると思いますけど......。鉄柱に頭をぶつけて、ものすごい出血をしたんです。高さ1.60mでやめざるを得ませんでしたけど、1.65mなら、もしかしたら1.70mでもいけるかもしれません。でも走り高跳びは嫌いだ。😕

走り高跳びでの怪我に続き、400mは初日の最後の種目でした。体中にはアドレナリンが分泌されながら、特に期待もしていなかった僕は、55.03のPBを出しました。なんという驚きでしょう。😁 僕は400mも本当に嫌いなので、この距離を練習することはほとんどありません。400mで50を切るのはクールですけど、僕には無理だと思います。次はもっと強く頭をぶつかったら~🤔。ノノノ!それはやめましょう。でも、52秒なら最高です。

翌日は110mハードルから始まりました。テーピングをしたにもかかわらず、足首はかなり痛く、ハードルを越えるときに3、4回足首を捻りそうになりました。足がすごく長いのに、なんて情けないレースなんでしょう......穴があったら入りたいぐらい、情けないレースでした......。自分のタイムなんて思い出したくもありません!😤

円盤投げはちょっと不運でした。肩に問題があって、全力を出し切れませんでした。残念ながら、3回の試技のうち2回でファウルをしてしまいました。でも28〜30mはまだいけると思います......なんとか。

棒高跳び。これは驚きました。目標は2.50mでしたが、実際には2.70mまで到達してしまいました。他の選手と鹿屋大のコーチのおかげで。🤯 なぜなら、僕は自分が何をしているのかまったくわからないし、棒高跳びの練習をひとりでするのはちょっと危険だからです。

やり投げも円盤投げと同じ問題があります。肩を痛めることなく、力いっぱい投げるのは基本的に不可能です。悲しいことに、40m近くあった僕の最高の試技は、5cmほどでファウルしてしまいました。それから投げるのを繰り返すことができず、32メートルくらいしか達成できなかったと思います。

そして最後に1500m。結果は5分30秒ぐらいで、最下位でしたけど満足でした。でもその時点では、力も残っていないし、足首の痛みもあったし、夢と希望だけで走り続けていました。次回は5分を切りたいです。僕たちのクラブの中距離ランナーにとってはとても簡単なことで、後ろ向きに走ることもできるでしょう。でも、トラックの 3 3/4周、僕の重いケツを運ばなければならない足には、いい目標だと思います。😅

全体として、十種がとても楽しかったですが、競技中に多くの苦悩も感じていました。でも、それこそが十種競技の面白さであり、やりがいであり、特別なところだと思います。興味のある人にはぜひ挑戦してほしいです!!(和知くん👀)

さてさて、真面目な話...。

来シーズンに関しては、僕の計画は単純です。できることなら、九州インカレで最後に十種競技に出場することです。しかし、今の僕の怪我の状態、特に肩の状態から、それが可能かどうかはわかりません。何点取ってもいいから、最後にすべてを出し切りたいです。

最後にもう一度だけ!

自分で言うのもなんだが、僕はこの大会を最後に陸上競技の大会を引退します。最後の競技を十種競技にしたいので、七大戦には出場するつもりがありません。

「マルはまだ若いです」って言う人がいても、僕の身体は反対のことを言います。競技から引退したいと......。心では続けたいと思っていても、体が止まれと言っています。そして、理性が勝たなければならない時が結局来たような気がします。

これを書いていたら涙があふれてきて、キーボードもよく見えなくなりました。

僕の最初のブログを読んだ人は知っていると思いますが、実は僕はすでに一度、陸上競技を引退したようなものなのです......。

あの頃は、もう二度とこんな競技のスリルを味わうことはないだろうと思っていたのに......。

未来って不思議だよね~

だからこそ、部員一人一人に深く感謝しています。そもそも、九大陸上部に来たことが、僕の心に再び火を灯し、陸上競技への失われた愛を再発見し、蘇らせてくれたのですから......。

でも、そろそろこの気持ちを手放す時期が来ていると感じています......。

ドイツの陸上仲間ともこの瞬間を分かち合いたいもので…、絶対に電話しなきゃ。

これが最後のブログでもないだろうし、部活は卒業まで続けるつもりなので、いきなり悲しくさせてしまって申し訳ないのですが、皆さんにお知らせするタイミングだと思いました。

もうブログがかなり長くなってしまい、ティッシュもなくなっちゃいそうで、この辺でやめます。

読者の皆さんにメリークリスマス、そして良いお年をお迎えください。皆さんが幸せで健康でありますように!

次に登場するのは、親指を立てながら「知ったこっちゃない」表情が最高な、いつもハッピーなマナトです。最近、海外に行ったでしょう?あそこで何をしたのでしょうか?勉強?きっと違うでしょう?教えてくれませんか、愛登?

幸運を祈る、

マル

1. 自分の状況

まず自分の状況について話しましょう。今年、九州大学の陸上競技部に参加できることができて本当に嬉しく思います。今年の5月頃には、インスタグラムで陸上チームに参加して一緒に練習できるかどうか尋ねていたことを覚えていますが、その時点で九州大学に合格できるかどうかはまだ分からなかったhhh。

あっという間に夏から秋になり、私は九州大学の学生となりました。新しいプラットフォームに立て、新しいグループに出会い、「日本の部活」というものに触れることができました。最初は恥ずかしかったので、どのようにみんなに挨拶をすればいいのか分からなくて、後には「よろしくお願いします」、「お疲れ様です」を使いこなすことができました。

2. 練習状況

10月 初めての練習で足をつまずいてしまい、その後1週間休んだ後、徐々に回復する必要があることに気づきました。跳び組のやぎさん、どいさん、うのぎさん(やぎさんの練習は本当に真剣です!)に出会いました。

11月 引き続き休憩と回復を続け、過度な練習による疲労と戦い、病気で1週間休んだ。この月の練習は断続的でしたが、良いニュースは力トレーニングが始まりましたし、足首の状況も徐々に良くなった。

12月 自分の練習のリズムを見つける。冬がやってきましたが、天気がますます冷え込んでいます。練習量は絶えず増えており、ウォームアップと防寒が必要です。頑張れ!

3. 冬の目標

冬の目標は体重増加と筋肉の練習です。練習量を増やしながら、自分の体を守り、できるだけ自分の状態を引き出します。足首が早く回復してほしいです。早くまた高跳びの場に帰りたいです。冬の練習、頑張れ!

4. 振り返り

この3ヶ月は再出発のプロセスでした。最初の迷い、練習内容を理解できない状態から、今は練習の中で自分のリズムを把握し、毎回の練習の重点を知ることができて、本当に嬉しく思います。フィールドのすべての人に感謝します。ありがとう!

5. 来年の目標

自分に馴染んだ位置に復帰し、1~2つの試合に参加し、合宿を体験し、皆さんと一緒に学び続けて努力していきたいと思います。

 どうも急遽ブログ書いてみてます。前パート長してましたサトチャンです。七大戦でブログは最後と思っていたのですが、心が動く出来事が七大戦以降もたくさんあったのと、みんなに最後伝えたいことがあったので、もう一度だけと思ってブログを書いてみました。後輩たち許してね。^_^

 さてあのブログからもう5ヶ月経つ訳ですが、ここ最近のサトチャンと言えば3ヶ月ほど運動から離れてメキメキと激太りではなく激痩せしてしまいました。1番太っていた暗黒期が87kgだったのですが、今はなんと73-4kg。ヴーヴとかポンくんにそろそろ抜かされてしまいそうです。何が僕をそうさせたのでしょうか。

 では、七大戦から振り返っていこうと思います。七大戦の結果といえば、会場を沸かせる跳躍こそ出来たものの全て赤旗でNMでした。やっぱりなんだかんだ悔しかったですね、それ以上の満足感こそありましたが、県選の結果を踏まえてあの時期は自分の競技力にある程度自信も持てつつあった時期だったので、CSまでやる!とは言っていたもののひどく燃え尽きてしまった記憶があります。続く8月は怒涛でした。静岡で練習こそしたものの、合同ゼミでの発表準備や最後の夏休みにやりたいこともあり、ここの穴が後々かなり響いたように思います。七大戦の熱量のまま8月9月を過ごせたらCSの結果も変わったのかもしれません。でも楽しかったからOKですし、この合同ゼミがあったからこそなんとかこうしてブログを書こうかなと思い立てる状況まで持って来れたのもあるので、後悔はしていません。

 迎えた最後の大会九州CS。三段に関していえば正直惨敗でした。でもここでもそれ以上に得るものが多かったです。今までの未練をほとんど全て果たすことのできた大会でした。

 

 僕の大学陸上を形成した要素は主に3つあります。1つ目は共に続けた、或いは続ける僕を応援してくれた高校の同期の存在です。彼らへの想いといえば七大戦ブログで書きましたね。実は僕がPBを出した県選では、同期が5000mで東海選手権進出を決め、後の東海選手権でも4位入賞を果たしました。この出来事が実はかなり大きくて、一瞬燃え尽きかけた自分の心にもう一度火を付けました。

 そんな彼らと過ごした高校時代の未練として、「補欠ではなく正規のメンバーとして、出たい人たちと4継に出る」というものがありました。短距離の選手が少なかった高校時代、僕は正選手としては4継に出れないまま高校陸上を終えることになりました。そのことだけはずっと未練に思っていて、いつか機会があればと思っていました。迎えた4年目の九州CSでは、そんな思いを抱きながら各所にお願いしたところ、フィールドの3人はもちろんのこと、短距離パートも含めて快く了承してくれました。

 44.00、もちろん九大の正規メンバーと比べたらかなりの差がついてしまう結果にこそなってしまいましたが、僕にとっては最高の時間でした。県選でのPBも併せて、高校時代の自分ができなかったことをできた、というのが、未練を清算できたような気がして嬉しかったです。

 2つ目にはやはり学連でしょう。過去のブログにも書きましたが、自分の競技だけでなく生活も勉強も犠牲に実に半年を久留米の2大会に捧げました。最近その日々を振り返る時間が期せずしてあったのですが、残酷すぎるそれまでの期間だけでなく、残酷すぎる最期に誇張抜きで過呼吸になってしまう自分がいました。心拍数は120を余裕で超えていました。今だから書きますが、こうなるまで働いても結局学連と陸協の溝を埋め切ることはできず、大会が終わった日かその数日後に当時の幹事長に

「あんたの半年の努力、全部無駄になったね笑」

と言われました。自分でもそのこと自体はわかっていて、大会2日目にその現実を陸協の先生に突きつけられた時は先生の目の前で崩れ落ちて泣いてしまうくらいだったのですが、せめて頑張りを認めてくれていて欲しかった学連側でもこう言われてしまったのですから、その当時の僕のメンタルはズタボロでした。全部本当の話です。今これを書きながら改めて泣きそうです。笑

 そんな思いをした久留米でも、たくさんの繋がりや経験、絆ができた僕にとっては大切な場所です。学連役員としての松浦くんの魂がきっとあそこで生まれました。だからこそ、学連役員としても久留米に恩返しをしたい、そんな気持ちで何か出来ることはないかと考えていた時、「学連マイル」の話が出ました。イカれてますよね、400mなんて丸1年ぶりでした。でも僕は、競技ではなく競技場中を駆け抜けた去年の日々をふと思い出し、「マイルで競技場を本気で一周して、競技場全体に感謝を伝えよう。」と思うのでした。

 圧倒的ビリで繋がれたバトンで、ほぼ逆独走にこそなりましたが、今年の僕は1人じゃありませんでした。誰よりもいろんな思いをした久留米の競技場で、見覚えのある景色で、学連の仲間も部活のみんなも応援してくれました。極め付けはアナウンスですね。「学連チームも走っています!」鮮明に聞こえました。ラップタイムも記録も正直酷いものでしたが、途方もない達成感と思いを伝え切れたような気がして去年の苦しい思いも全てこの瞬間のためにあったのだと思えば、今までの自分が全て報われたような気がしました。

 3つ目はもちろん三段に打ち込んだ自分、それを応援してくれた九大陸上部のみんな、そして手拍子で盛り上げてくれる全ての人たちです。七大戦ブログや3年の年末ブログでその辺の思いは沢山書いたつもりなので手短かにと思いますが、僕は目立つのがとても好きなのです。手拍子を求めるとみんなが僕に注目をする。その結果が良くとも悪くとも、最後まで注目をされる。だからこそ七大戦みたいな跳躍をするとさらに沸く。これが僕が三段を楽しめた一番の理由かもしれません。引退してわかりましたが、僕は体を動かすこと自体はそこまで好きじゃないんですよね。昔から基本的にインドアで、外でサッカーしたいという友達に難色を示してゲームをしていたり、外に出ても石やダンゴムシを集める遊びをしていたり、てんとう虫を眺めていたり、海で足をただ冷やしていたりといった感じでしたが、僕にはそれが幸せでした。でもそんな僕が三段を続けられた理由、それは大会にあったのです!......まさかそれだけじゃないです。普段にも一緒に頑張ってくれる人や応援してくれる人がいたから、練習も続けられました。

 特に支えになった人を2人挙げるとすれば、全カレという目標を達成した相棒がまずその1人で、どうやら彼女も同じように思ってくれていたらしいです。彼女が言うには七大戦の跳躍の動画を観て、影響を受けて、夏季記録会では歯を食いしばることができたらしいです。その結果も受けて、僕ももう一度頑張ることができました。

 そしてもう1人はポンくんですね。僕は普段かなりポンくんに辛辣に接しますが、彼が県選の速報サイトに齧り付いていてくれたこと、七大戦で13m板で跳び切った時に泣いていたこと、実は本当に嬉しかったのです。僕たちは性格も境遇もかなり違いますが、ここまでやって来れたのは近くでそうやって見てくれている人がいたからだと思います。2人にはとにかく感謝しています。相棒は多分今更面と向かってこういうことを言ったら「は?」って顔をするだろうし、ポンくんに言うのもニヤニヤしながら「そうかそうか笑」と言われそうでとても嫌なので、ここで昇華します。2人ともありがとう。

 もちろん2人だけではありません。僕を応援してくれた、一緒に練習してくれた全ての人が僕の競技人生の支えでした。だからこそ、最後のCSでの試技はそんな全員への恩返しの気持ちを込めて跳ぶつもりでした。

人人人

>大誤算<

 ̄Y^Y^Y ̄

マイルでバネ使い果たしていたんですよね。笑もし関係ないとしても疲労がやばくて。跳べるかー!と突っ込みたくなるようなアップでした。でも気持ちって凄いですよね。いざピットに立ってみて、手拍子のシャワーを浴びたら跳べるような気がしてしまったのです。一本目が特にそうでした。

あぁ全員が観ている。

今年は何度も跳べた距離。

デバフかかっても跳べる距離。

そう思って跳んだら、やっぱり砂場には入っていました。ファールでしたが、それでも今まで入ることのできなかった久留米の砂場に入ることができたのが嬉しかったですね。

 2本目3本目で決め切りたかったですが、正直もう残っていませんでした。ただ3本目は踏み切ったら入っていたと思います。でも一瞬下を見てしまったのが敗因でした。今思えばもう競技しないんだから体壊れてでも跳べよ笑って話ですが。

 でも僕は幸せでした。記録はともかく、思い残すことなんて何もありません。記録という形での恩返しとはいきませんでしたが、最後まで楽しんで競技が出来たことで、今までの自分の頑張りにも、応援してくれたみんなにも、感謝を伝えられたような気がします。伝わってなかったらごめん。自己満足です。

というように、CSは今までの自分のすべての陸上競技を清算する大会でした。本当に引退。今までありがとうございました。

 さて、そんな引退からもう3ヶ月が経ちました。先ほども書いたように一時期は87kgあった、引退時79kgくらいだった体重も今や74kg。陸上との距離が離れるにつれて、(卒論の提出が近づくにつれて、)体からも色々なものが離れていっているようです。恐らく本格的にもう一度競技を、とはならないしなれないでしょう。でも今だからこそ、みんなの競技を楽しみに陸上に関わることができています。新人戦こそ行けませんでしたが、島原駅伝は特設サイト作りから全て楽しくすることができました。余談ですが実は駅伝のゴールテープは相棒と持っていたんですよ。相棒と一緒に学連と競技生活のゴールを迎えられた気がして嬉しかったです。

 今回ブログを書きたいなと思ったのは、今の自分やCS、駅伝が終わった時の自分が見ているこの綺麗な景色をみんなにも見てほしいと思ったからです。

 部活なんて正直、楽しいことばかりなはずがないんです。人と人がぶつかり合う場所だと思いますし、過去の自分と今の自分さえぶつかり合う場所だとも思います。そんな葛藤や悩みから、部活を離れていた時期もありました。でも僕は今こうしてOB面して堂々とブログを書いています。これは僕がなるべく衝突を避けたパート運営をしていたというのもあるのですが、別にそれが1番いい方法だとは思っていません。「もし衝突があったら自分はパンクしてしまうな」と思ったからそうしたというだけです。

 今のフィールドパートを遠くから見ていると、去年よりも多い練習量やパート内での盛んなミーティングなど、全員が強くなろうという意識の下練習が出来ているのだと感じます。その中で不和や衝突もきっとあることでしょう。でもね、僕はそれも含めてパートを大切にしてほしいです。沢山悩み抜いて、沢山走り抜いて、迎える最後四年の引退試合。色々あったとしてもパートのみんなが最後の結果を祝うような、そんなパートであってほしい。そうなるためにはきっとそれまでの過程が必要です。今この時を大切に、そしてゴールから最高の軌跡を見られるように、日々の練習にこれからも打ち込んでいってほしいと心から思っています。少なくとも再来年までは恐らく学連主催の主要大会と七大戦くらいは観に行く予定なので、その過程をたまにでいいので見せてください。^_^

前パート長からの最後のお願いです。^_^

 とまぁ、ここまでで書きたいことはほとんど書けたので、今までのブログを思えばかなり短いですがそろそろ締めますね。

 迎える2025年。僕にとっては今まであったものとの別れと新たな場所(地元ですが)、新たな人や物との出会いの年です。きっとみんなも、新シーズンを楽しみにしながら冬季練習をしていることでしょう!

 今年上手くいかなかった人も、上手くいった人も、更なる飛躍の年にしたいですね!もちろん僕も頑張ります!それでは、良いお年を!

次誰か知らないけど!!

おはようございます、こんにちは、こんばんは。あっちゃんから指名いただきました2年のトリを務めるフィールドパートのさわやかお兄さん担当こと矢木聖一朗です。あっちゃんは何が成長の要因だったかわからないとか言ってますが、間違いなく疲労、メニュー、メンタル管理を手伝ってくれるお兄さんがいたおかげですよね。まぁ交際面では彼に頼りっぱなしなので競技面ではたくさん迷惑かけてくれよという感じです。いつもありがとね。

7大で楽しい感じにした分反省色強めなので今回はちょっとかなり真面目です。面白いかどうかというと面白くはなくて自分のやる気が出るように書いてみただけです。ちなみに今回も①今年の反省、②来年の抱負、③冒頭の言葉の3本立てで行きます。書くのが好きな人間な上、好きなことなのに急いで作って中途半端にするのは大嫌いなADHDの性質が祟ってやりすぎてしまいました。この量だとおなか一杯過ぎるから本格的に定期的なブログ更新をしていかなきゃいけないねとおもってます。

追記:何回も読み直して書き直してはいるんですが執筆時からほとんどずっと泣きっぱなしなのでみなさんにうまく伝わるかわかりません。とだけ伝えておきます。

①今年の振り返り

人はたいていダメなところを見つけるのが得意らしいのでまずは今シーズンでよかったところ、でもってそこで上げた数だけ反省点をあげていきます。

良かったところはズバリ試合にたくさん出たこと、歯車の一つを見つけられたことの2つですね。

3月の沖縄記録会(2月にフルマラソン出たじゃないかって?知らないなぁ)に始まり、4月に2試合、5月に2試合、7月7大からの8月専門外、五県と合わせて3試合、秋シーズンに2試合と10試合ほど出場しました。アベレージも1800~1850と壊滅的な崩れ方はしなかったのがやはり評価するべき点ですね。特に4月時点でUBに並んでいたのを考えると骨折らなければほんとに2000行ってたのではと期待せずにはいられないですね。今年は自分のメンタル面をしっかり鍛えるために結構な試合量を組み、そのおかげでかなりしんどいけがをしながらも最終的にはPBタイも出せたのかなと思います。最低限の最低限はクリアできましたね。

もう一つの歯車についてですがこれがとても大きかった。夏休みの本気の鍛錬の中で自分の跳躍をぶっ壊して新しいものを積み上げるという試みの中で得た感覚です。跳躍のための走りと、気持ちいい踏切。簡単に言えば足が速いことが跳躍力に直結しないように、スピードをコントロールできるからこそスプリンターと差別化できるんだよって話ですね。専門的な話をしても面白くないと思うので詳しくは話しませんが死に際でつかんだ跳躍の核心ってとこですね。

やっぱりまだまだ僕は伸びしろだらけの初心者ですね(^^)。

良いところ2つしかなかったおかげでダメなところはたった2個しか上げる必要がなくて幸せです。今年最も反省する2点は、ケガと計画性ですね。前者は長くなるので先に後者から。

実力が足りないからと言って掲げた目標を崩すつもりはさらさらなかったのでなんとしてでも2100を跳ぶための予定を立てたこと、そしてそれを遂行できなかったことが僕の最大の反省です。基礎を伸ばしながら試合で記録を出すためにはどうしても強度は下げられないし、そもそも初めての福岡の環境がどんなものなのかわからないためにあらゆる計画が理想と現実のギャップによって裏目に出てしまいました。自分に正確な予定を課して、その通りにたどるのが好きな人間なので無理な予定を立ててはだめなんだなと改めて反省しました。

次にケガの話をしますが、逆にケガをしていなければさらに自分を追い込んで分離症の再発とかいう最悪の事態も考えられるレベルで予定を強行していたのかもと考えるといい戒めだったのかもしれません。あと、高校の時の感覚で体重の計画を立てたのもミスですね。もう大反省です。言いたくもない。

ケガに関しては今シーズン小さな怪我がなかったことはほめてあげたい。痛みの出る前にしっかりと休養を入れたことで格段にピーキングもうまくいくようになったし、練習の質を上げられました。ただこれを無にするレベルでチコちゃんの骨折は悔しかったですね。ただ、同時に嬉しくもありました。前回のブログでここら辺のことを書くと決めていたので序盤ですがしっかり話します。

ーーーーーアニメでよくある回想の回想シーンだよーーー

西カレは当然として、7大表彰台、さらには全カレまで見据えていた今シーズン、ケガのおかげでチャラにできてほっとしました。悔しいですがこれが骨折が判明した時の率直な感情です。

「弱者も強者のふるまいをすれば自然と強者に近づける。せめてマインドだけは強者であれ」

うちのボスの言葉です。これを守り続けて強者の仮面をかぶり続けていますが、実際のところは弱っちいのが僕です。骨が折れて練習に大きな制約がついたこと以上に、とりあえずこれで記録が悪くても失望されることはないだろう、と安堵している弱い自分を自覚せざるを得ないことが療養期間中最も苦しかったです。もちろんこんな心があるからといって練習を緩めることはありませんでしたが、フィールドパートの試合に向かっていく雰囲気や同じようにケガした健一さんのひたむきさを見るたびに根本的に自分はダメだと引け目を感じてしまいました。結局自分のために頑張っているようでみんなの評価が怖くて頑張ってるだけの負け犬なんだなと自覚しました。7大の時にサトチャンにだけ見せた涙は悔しさなんかじゃなくカスみたいな記録でも跳べて良かったと感じたところ、そしてさんざん予防線を張っていざだめだったら少し悔しい気持ちになっている自分のことが嫌で嫌で出た涙です。

結局いろんな人を勝手に評価していますが一番逃げてるのは自分で、誰よりも低評価されるべき人間でした。

ーーーーーーーーーー

反省すべき点は2つとか言いましたが結局のところ自分の本当の弱さに蓋をして自分に向き合い切れなかった結果が出ただけです。

厳しい現実があるかもしれないけれど自分に寄り添った理性を殺すか、無理だった時にいいわけの作れる理性を殺すかで逃げ道を作れる後者をとった時点で自分は負けてたんだなと気づかされました。

今年はいろんな試合に出たことに加えいろいろと心が動いた試合があるのでいくつかピックアップして反省します。上述の話にかぶる点もあるので飛ばしていただいても構いません。

1.県選の躍進→インカレの悲劇

やはりこの連戦のことを話さずして今シーズンは語れませんね。

久しぶりの県選出場と初めての九州インカレです。

まずは県選。

実はというより当然というべきでしょうか、昨年のCSから復帰した僕にとってこの大会は2年ぶりの地元での試合でした。弟が同じ高校なので後輩の高校生たちからしっかりと応援をもらいながらの試合はなにかおもしろい感覚になりました。

当時の僕を知らない子達なので僕がどんな思いでピットに立っているのか知る由もない。

けれど誰よりも努力している3年生の先輩のさわやかなお兄さんだから声援を送る。チームの強さは声の大きさだとおっしゃっていたボスの言葉が今になって響きました。縁も薄くなった僕にすら力を分けてくれるようなチームを僕は九大で作れているだろうか、いや今からでも作り上げて見せると試合が終わった後心に決めました。また、高校時代のコーチからアドバイスをもらいながらの試合も楽しかったですね。すべての信頼を置いて自分の100%で応える、簡単なようですが、当時は後がなくて、そして何より自分を信じ切れない高校の時の僕は最後の最後に怖くなってできませんでした。まだ自分の力に信頼はできないけれど、コーチのことを100%信頼したおかげで2年越しにようやくコーチの前で、高校最後に跳べなかった1850mmを一撃クリア、さらにここでほぼクリアの1900が出せた(というよりあれで落としたら高跳び選手失格レベル)ことで大きな感謝の気持ちが溢れました。長いシーズンに強烈な光が差し込んだ瞬間です。

気分は上々の中、自身初の連戦となる九州インカレは土砂降りの予報。ケガをしないことを優先にしていた僕は当然棄権をしようとしていました。しかしここで揺さぶりがかかります。大野に「試合棄権するん?」って聞かれてしまいました。もうね、大きく揺らぎましたよ。僕のルールとして自分より格上の前で情けない真似は絶対にしないと決めています。そのため大野に聞かれた瞬間に並べていた数々の言い訳たち(連戦の疲労ある、雨でケガするかも、棄権する気満々で観光モードの生活してる、どうせ気温も低いし記録狙えるわけないetc)は粉砕しました。

最終的には自分に様々な折り合いをつけて(雨の中でも上位大会はある、連戦を経験すべき、せっかく鹿児島まで来た、自分の中で意識を決めて試合でも使えるようにする)出場することにしたわけですが、実は最後の最後で僕の肩を押したものがあります。

それは

チームの応援を独り占めしたい

という欲望です。

県選で倉吉東高校陸上競技部のチームとしての結束を感じた僕はその結束の中でこそ至る力を感じ、インカレで試したくなりました。最後は理性じゃなく感情で試合に挑む決意をしましたが、結果は最高で最悪でした。まず最悪のほうは上述のようにチコを骨折しました。そして最高のほうはみんなの応援をもらいました。いまだかつてないほどみんなが応援してくれました。雨の中で顔を上げたらみんながいる、成功を信じて応援してくれる人がいることは自身の体を動かし、鼓動をふるわせるには十二分でした。インカレでもらった絶望はみんなからもらった希望がかき消してくれました。

この場を借りてありがとう。

2.七大の間違えた!!→辛くて逃げたくなった五県

これは言わずもがなですね。

骨折して、大急ぎで跳躍の基盤を作って、大爆死した7大です。自分一人だけがカスだったならここでかなり重くなるんですが、何しろ間違えた!ですから少し心が軽かったです。2年男子が誰一人目標をクリアできなかったのは過去一で芸術点が高いですね。

でもやっぱり試合でみんなの期待に一つも応えられない試合はもうしたくないって思いになりました。当たり前ですがこの試合は4年生の思いが一番乗る試合なのでめちゃめちゃ心動かされました。フィールドパートが強い結束で結ばれたチームとして形になった瞬間だと今でも確信しています。それとともにパートメンバー、他パート、他大学の選手の活躍を見れば見るほど自分のやってきたことはあくまでやってきたつもりだったんだと実感しました。この日から僕の中で自分をいじめるもう一人の自分ができました。これまでのトラウマから、使命感という大きな存在を見えないところに追いやって、努力の証明という究極には自分の欲望でしかないものを据えていましたが、絶対に自分の価値を証明しなければならないという使命を持つようになりました。もう忘れてると思うのでもう一度言います。ここからの僕は違います。後ろは振り向きません。離されないようについてきてください。

こんな感じで決意に満ちておりましたが夏季記録会と五県での無慈悲な現実が僕を襲います。なぜか遅くなった100m、超えられない6mという2つの現実は僕のすべてを揺るがすのには十分すぎる結果でした。

今思えばそもそも2か月近く走ってないうえにまだ完治してない骨があるのに4月の100mを超えられるわけないって話ですよね。踏切が痛いんだから幅跳びでうまくいくわけもありません。おそらくまともな時の僕ならすぐわかっていたはずですが、決意を胸にやる気マックスであったがゆえに成長していないという事実は大きなものでした。ただ夏季での出来が悪すぎて自分が余分な目標を持たないようになったのは良かったのかもしれません。

そんなこんなで人生2度目の中国五県。試合の前にいつもの練習のベストが更新できたのでかなり自分の中で自信があった+この試合への思いは並々ならないもので気合も十分で挑みましたが惨敗。完全に自分を見失ってしまいました。五県の存在については構想上これ以上重くしたくないので来年に記録が残ったときにでも。

今回は会場についてですね。会場は浜山と呼ばれるところで僕にとって因縁しかない会場です。なぜならそこは僕の最後の中国総体の会場で、五県の開始の高さは1850で僕が跳べず大量の涙を流した高さで、そりゃ力も入るよなって感じです。つまりここで1850を跳ぶことは完全に過去の自分にけりをつける試合だったというわけで、跳べなかったショックはえげつなかったです。自分のこれまでの練習は何の意味もなくて、いつまでたっても自分の中で作った壁は超えられないんだと絶望しきってました。本当に何をどうしたらいいのかわからなくなりました。正直苦しくて苦しくて鬱になりそうでしたが意外にも早く戻ることができました。理由は2つです。これを読んでくれる人は大体察してくれてると思うのとここで理由を書くといよいよ文字数が事故になってしまうので止めておきます。まぁ要はこの3試合が自分を傷つけ、そして前を向かせてくれたってことです。

3.やっと並んだ3年間

最後に挙げるのはもちろん九州CSでのベストタイの跳躍ですね。何度も言ってますが正直喜びなんかよりほっとしたというのが最初の感情でした。正直どこから何を書いたらいいのかわからないくらい今でも嬉しさがこみ上げてきてしまいます。

前半シーズンうまくいかなかったことを踏まえて今の自分の跳躍をすべて壊してもう一度作り直した夏季鍛錬。楽しんで競技をするとは言っていたけど正直この大会でまともな記録が出なかったら少なくとも高跳びとはおさらばする、そんな気持ちで腹をくくった1か月弱でした。

大学陸上を続けていく中で何百回と頭の中で浮かんでいた「あの日の僕はもう二度と超えることはできないんじゃないか」という不安、夏に味わった苦い失敗、自分のメンタルの弱さを何度も何度も恨んだ日々、それら全部がやっとほんの少し軽くなった気がしました。長々と書いてもうまくまとめられないので最後に一言だけ。

僕は当時の自分に戻ったなんて一つも思ってないです。当時とは全く違うアプローチで、体で、スピードで、パワーで、頭脳で、勇気で、そして仲間たちの力を借りて、同じ高さに追いついただけです。もっと上のさらなる高みを僕は目指します。あと大沼ありがとね。これからも気合い入れる時はお姉さまに撮影頼む気満々です。

ほかの試合も様々な思いがあります(新人戦での太陽拳話とか)が、全部話してたらこれから出会う人たちと話すときに「ブログ見て」の一言で終わってしまうのでやめときますね

②来年の抱負

来年は2000は絶対として、やはり上位大会への進出を目指していきたいですね。

実は今年の佐賀国体に後輩が出場するので見に行ったのですが、やっぱり大きな舞台はいいですね。

心底嫉妬してしまいます。

ほかにも西カレに出ている高校の同期や全カレで活躍している先輩たちのインスタを見るだけで自分もみんなと同じ舞台でぶちかましたいと強く願ってしまいます。また、来年が大好きな3年生との最後のシーズンなのでもうすでに西カレ出場が決まっている先輩たちと一緒に大暴れしたいですね。そうは言うもののしっかりと数値は書いておかないとごまかせてしまうのでしっかりと書いておきます。

現状の上位大会の標準は時期が早いものから順に学生個人(4月):2110、全カレ(6月):2100、西カレ(9月):2000、国体(10月):2070?って感じです。

ほんとはすぐに2100と行きたいところですが今年はそれで無理してしまった結果けがをしたので素直に国体出場のペースを目指します。そのうえで試合もしっかり絞って、確実に間に合うような試合ルートをとります。具体的には国体標準切りが7月中旬の国体最終選考までなのでこの大会にベストがいくよう、県選、九州インカレあたりをシーズンインにしてぎりぎりまでガチ鍛錬を積み、そこでの反省を6月しっかり使って修正して国体最終選考であわよくば2100を狙っていければなというのがシーズン計画です。春夏シーズンはこれに加えて7大、五県と計5試合、上位大会に出られなければ秋シーズンはCS、新人のみの予定なので今年と比べるとかなり絞ったシーズンになる予定です。

 こんな長い冬季での大幅レベルアップを目指すプロジェクトの名前は「プロジェクト御堂筋翔~大きく、早く、ウトゥクシク~」です。由来としては弱虫ペダルに出てくるキャラの御堂筋翔君ですね。彼は勝ちに全てを懸けていて一切の妥協がありません。頑張っているつもりの僕とは違って、本物です。そんなレベルで自分も妥協せず頑張ってみる、というより、これに関しては本当に覚悟を決めたいなって思いでプロジェクト名を決めました。

僕はこれまで、おそらく大学陸上で長期的な本気を出したことがありません(もちろん練習の手を抜いてるわけじゃないよ)。というより高校生の時の経験から本気を出すと自分の限界を無視してまた壊れてしまうと思っていたのでこらえてきました。

でも、夏季鍛錬の1か月だけ本気出してみました。案の定体中はバキバキですが意外に冷静に自分の状態を分析できました。それに何より記録もついてきました。だから、あんまりこんな表現は好きではありませんが、高校生の時みたいな気持ちで、この冬季を乗り越えたいなと思います。

そしてその上で忘れてはいけないのは具体的な戦略です。数値的なものはもうすでにいろいろなところに出しているのでここではもう一つの戦略を書いておきます。それはずばり最後の歯車です。歯車は当然ですが一つでは動きません。今シーズンは一つの歯車を見つけましたが、この冬季はもう一つの歯車を探します。踏切にフォーカスした歯車のもう一方は何なんでしょうか。走り方?クリアランス?それとも自分では皆目見当のついていないあらたななにかでしょうか。正解は何かわかりません。でもどこかに必ず正解はあると信じてます。

だからこそ副題の大きく早くウトゥクシクです。必ず跳躍のための大きな助走とスピード、そしてきれいな跳躍を目指していく先に最後の歯車があると信じてます。あっという間に強くなれる魔法みたいな練習なんて存在しないことはしっています、だからこそ地味で、退屈で、代り映えのないところから必ず掘り当ててみせます。

まってろよ滋賀国体。

③冒頭

さて、長いようで短かったブログも最後のコーナーですね。今回は仮面ライダーファイズでおなじみ海道君の言葉を借りました。この言葉の裏には、自身のギタリストとして成功したいという夢を持ちながら不慮(実際は意図的でしたが)の事故によってあきらめざるをえず、夢をかなえられなかったままの人生に対して放った言葉です。

いやー、沁みますね。夢をかなえられなかった奴は呪われたままなんてほんとその通りですよ。僕の人生はつまるところ呪いだらけですが今年のシーズンで一つだけ呪いを解けました。

それが1900を跳んで流した涙のわけです。

本当に長かった。

自分が出した記録を超えるために無理をした高3、

復帰から光を見出した大学1年目、

そして自分の限界を感じてしまい絶望した2年目にしてかなった

「自分の記録を高校時代の伝説にしない」

という夢。

競技中に泣いてしまうのは選手失格ですが、3年間もの長い長い呪縛を解いたと考えれば一つも早くない涙です。むしろ遅すぎるくらいです。これでやっと自分の中で止まっていた自己記録の成長という時計が動き始めました。

夢をかなえたのは事実ですが、僕はまだまだ大きくて、ベストに並んだ位で泣いてる暇はないような夢を持ってます。自分を超えること、2000に到達すること、上位大会出場、金持ちになること、身長1800mm超えることetc、まだまだかなえなきゃいけない夢は多いようです。

ただ、どうやら僕にももう解けない呪いがあるようで、その一つがインハイ出場です。

おそらく、僕の人生で最初にして最大の挫折で今でもその事実は受け入れられません。高2の時点で1900mmだったので、この夢は確かに叶うところにあって、確実に手のひらには乗っていて、大切に、大切に逃げないように包んでいましたが、最後の最後に強く包んでしまい壊してしまいました。中国総体での最後の失敗は今でも忘れない、というより忘れられません。

あの時の天気、風向き、助走の目線、実況、

そして腰でこすったという確かな感触。

今でもありありと思い浮かんできます。終わったという事実に感情が追いつかず、本当に悪夢を見ているかのような感覚でした。みんなの待つ陣地に戻ると悪い夢は現実だったと気づかされてしまいそうで戻れませんでした(実際今でも悪い夢を見ていると思い込んでいる節があって、いまだに徳島インハイの記録に自分の名前がないのか探してしまいます)。

スタンドで一人涙を流し、ひとしきり泣き終えたところで同じタイミングで決勝進出を逃したキャプテンと二人でボスに報告。ここでの話は自分の心をあまりにも揺らすので割愛。1年後に、しかるべき身分になったのち、ちゃんと書きます(決して切なくないよ)。ゲリラブログとかあったら載せてみたいですね。つまるところ、僕はもう二度とかなえることのできない夢を持っていて、おそらくこの夢はあきらめることもできなくて、一生インハイを目指してるってことですね。

我ながらダサすぎて穴があったら入りたいです。

本当はもう1つの呪いがあるのですがあまり気乗りしませんね。どう考えても辛いので。七大ブログの時にちゃんと書くと決めていましたがいざ書こうとすると気持ちがもたないし、これ以上は自分が耐えられなくなりそうなのでまたの機会に。

と言いたいところですが、どんな形であれ書かないといけない気がするので書きます。ここから先は完全に誰かのためではなく、自分が折れそうになったり迷った時見返すため書くだけなので皆さんは飛ばしてください。点線部まで行けばもう大丈夫なはずです。

もう一つの呪いは弟を呪わせたことです。

先に僕はインハイという夢に呪われていると言いましたが実は一つだけ解く方法がありました。それが弟のインハイ出場です。僕の夢が絶たれた瞬間から2年弱ずっと2人で戦ってきました。当然光がなかったら戦っていません。もちろん僕よりは細くて、かすかだけれど勝者になりうる資質がありました。だから、次は絶対に壊さないように丁寧に、かつ大胆に僕の持ちうるすべての思考と感覚を伝えて行きました。

初めはいやいやだった彼も僕の本気の姿勢と先輩の最後の戦いを見たことで火が付いたのか徐々に本気になっていきました。特に二年生の年明けあたりからかなり無理な日程で積み始めたのを覚えています。ほとんど当時の僕と同じような練習量、けれども当時と違うのは僕がいる。疲労管理もメニュー設定も僕が調整できる。本人の柔軟性も相まって本当に故障ゼロで冬を乗り切りました。シーズンに入ってからも全力支援状態で疲労管理と試合設定を行ったのもあり1年前とは圧倒的に比べ物にならない力を付けました。得意種目の大幅ベストと、県選優勝という確かな手ごたえで続くインハイロード。鳥取県であればそうそうのことがなければ中国には進めるのでそこに全てを懸けていましたが、まさかの県総体優勝。福岡で1日中スマホとにらめっこだったのを覚えています。最後の結果が表示されて優勝した瞬間の喜びはとんでもなかったです。絶対に勝つという勢いそのままに中国総体。

振り返っても僕はこの試合を応援しに行くために骨折したんだろうなと思います。というか確信して疑ってません。神様が本当にいるのなら、おそらく僕の2024シーズンでうまくいって得られる感動以上に、弟の最後となる試合で得られる感情のほうがはるかに大きくて、大切なんだろうなと判断してくれたんだと思います。まぁ結果としては気合が入りすぎて初日の動きが硬くなり、それを取り戻そうと焦った結果やり投げで負傷し負けてしまったわけですが。そんななかでベストを20秒近く更新した最後の1500はまだ短い人生ではありますが、これまでみてきた誰の、どんな試合より心を揺らしました。そしておそらくこの心の震えは一生忘れることのない宝物なんだと思います。

努力をたたえようと思うもどんな言葉が正解か分からず声をかけられなかったところ先制の一言

「すまんな」

この瞬間これまでのすべての行動を反省しました。自分が夢を押し付けていたこと、無理をさせたこと、そして、彼を自分と同じインハイ出場という呪いを背負わせてしまったこと。謝罪が先に出てしまうほどのプレッシャーを与えてしまったことは僕の人生でかなり上位に来る後悔です。本当は楽しく競技を続けられるような支援の仕方もあったはずなんです。でも、期待をせずにはいられませんでした。仇をとって欲しくて仕方ありませんでした。後悔して欲しくありませんでした。けれど結果はその逆を行ってしまいました。最後に笑って終わらせてあげたかったです。

これが僕のもう一つの呪いです。だからこの呪いをほんの少しでも和らげるために僕は競技を続けます。そして、僕を信じてくれた弟に自分の行動は間違ってなかったと思ってもらえるような結果を残します。誰のための夢なのかもうわからないですね。やっぱりうまくまとめられないので最後に一言だけ、

最後の最後まで一緒に戦わせてくれて、最後まで信じてくれて、もう一度夢を見させてくれてありがとう。立派だった。さぁ、もう一つの夢はちゃんとかなえるぞ。

何一つ面白くない感情の羅列を読んでくださりありがとうございます。

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ちょっといいこと言ってみましたがやっぱり暗い話は暗いですね。

じゃあ、どうすればいいかって?

簡単だよ。

目標だよ。

競技だけじゃなくていろんな目標を見せればいいんだよ。

人前で自分のキャラが崩れるのは嫌だって?

黙りなさい、もう手遅れだから。

せっかく楽しいブログなんだから楽しくつなげないとね(^^)

それじゃあ一気に競技内外10個+1ドキドキの目標を次回予告的な感じで上げますよ。

毎年似たようなことする人がいるので、この前風都探偵の映画見たのもあり仮面ライダーW風に行かせていただきます。

第一話:「Aの怒り:せっかちさんの18きっぷ旅行」

第二話:「唸るW:全カレへの第1歩」

第三話:「春が呼ぶL:恋する5秒前」

第四話:「涙のP:あの日を超えるとき」

第五話:「感じるB:いつかの無人島」

番外編:「Tの遊戯:海の先の大冒険」

第六話:「悪夢なC:かつての部屋を取り戻せ」

第七話:「Dの呪い:今君が輝くとき」

第八話:「加速するH:アイが止まらない」

第九話:「笑顔のR:つかの間の幸せ」

最終話:「叫ぶJ:崖の上の生」

わかる人にはわかるレベルで奇怪な文章になってしまいましたね。答え合わせは一年後に。さぁ、僕は無事に最終話までcompleteできるのでしょうか。

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最後に意味の分からない文を挟んでしまいました。チームの一体感を無視できない「せいちゃん」が空気を読まずやったことなので許してください。

本題に戻って、今年はみんな目標を文字に、口に起こしてもらいましたね(正直みんなの目標が強気すぎてびっくりしてます)。つまり皆さんも僕と同じ、夢を追う人になったわけです。呪い合いですね。一度夢をかなえたらまた大きな夢にすり替わるこの競技の世界はまさに地獄です。

みなさん、終わりのない一方通行の地獄へようこそ。最後の最後にこれから共にする苦楽と、あらゆる瞬間を一緒に乗り越えるために仮面ライダーエターナルよりこの言葉を贈ります。

さぁ、地獄を楽しみな!

さて、下級生のブログはこれで終わりです。次はいよいよ上級生ですね。今年の年末ブログは余裕をもって今年で終わるのでしょうか、非常に不安です。そんな不安もありながら上級生の1人目はなんとCHINA国からの刺客、ゴダイイさんです。よろしくお願いします。

最後の最後の最後に今年のベストショットというか昨日撮った写真を載せておきます。こんな素敵な笑顔をあと何回スマホに保存できるんでしょうかね。